絵、大好き・Yoh-Mのブログ

ジャズ聴きながら絵を描くYoh-Mが、自身の頭の整理の為に書くブログです。

上田毅八郎・90歳個展

2010年11月05日 | インポート

海洋帆船画家・上田毅八郎の90歳個展開催。

レイテ海戦生き残りで、『歴戦の勇士』上田毅八郎さんの個展を

静岡市清水区ミヤモト画廊で開きます。

http://www.plaza-e.net/ueda.html

この夏は清水・フェルケール美術館にて『波間に消えた徴用船』。

と、題して軍部に徴用され、多くの人命と共に波間に消えた船舶を描いた展覧会を開催しました。

上田画伯は20歳より甲板砲手として、7隻に及ぶ船の甲板にて激戦を繰り返し、海の水を飲まされること6回。最後は金華丸と共に、レイテ湾にて撃沈され波間に漂う事3日程。その強靭な精神力で今日まで生き抜き、亡くなった方々の鎮魂に人生を送って来た戦士です。

ポツダム宣言受け入れが1週間早ければ、多くの人命と徴用船を失う事もなかった。と、常々言い続けてきた戦士です。

利き手を負傷して戻ってから、箸を持つことから訓練し、好きな絵を描く為にどれほどの苦闘をされたか・・

この上田画伯は私の母と同い年。大正9年生まれで、戦死された方が一番多い年代の方です。

母の小学校同級生男子の生き残りは・・・僅かに4名のみでした。母と上田さんは良く戦時中の事を語っていたものです。

上田画伯を紹介して呉れた人は、偶然にも母の教え子で、叔父と同級。しかも私の大学の先輩にもあたる人です。

ですから、私にとって巡りあわせに近い存在でして、上田画伯は特別な人なのです。

上田画伯から作品販売を一任されてより40年近く。

90歳になられた上田毅八郎の記念展です。

上田画伯は色々な分野へ作品を提供して来ましたが、今回、初めて世に出す作品があります。

『クラシック・カー』です。

機械好きの上田さん。クラシック・カーへの思い入れにはもの凄い迫力があります。

が、90歳になるこれまで門外不出にしていました。

水彩・油彩のいずれの技法で描かれたクラシック・カーは、愛好家にとって垂涎の的でしょう。

既に問い合わせも来ていますから、早い者勝ちになる予想です。

戦争で散った方々への鎮魂の為の作画。

それとは違った、絵描きとして世に送り出す作品。

これからの若い日本人に残すべき作品を展示します。

『 90歳 上田毅八郎 原画即売展 』

    10月1日~12日

         静岡市清水区銀座4-10

            ミヤモト画廊。

       

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歌手「すがはらやすのり」の素晴らしさ。

2010年11月05日 | アート・文化

11月3日。文化の日に浅草へ・・

022 ・

この日の浅草は『東京時代祭り』というセレモニーで朝から夜まで大賑わい。

本当に久し振りの祭りのど真ん中に・・私はいました。

家内と親友夫婦と4人はまず駐車場の確保から苦労し、初めて浅草寺の裏側から境内へ入りました。

浅草国際通り方面は昔から土地勘もあったつもりでしたが、さすが、もうお上りさん。

この4人で楽しい日を送る事が出来ました。

さて、このお祭りのさ中、歌手『すがはらやすのり』さんのコンサートがアミューズ・ミュージアムで行われました。

祭りのど真ん中へ行くのだから、私は昔はいたお気に入りジーパンに装飾ベルト。白綿シャツにニットの細いグレータイ。そして、珍しいバーバーリー・グリーンマフラー。幅広厚セルメガネと羽根つきシャッポ。

こんな服装でしたので少々派手?かなと思いましたが、【着こなしのYoh-Mさん】らしく様になっていたようでしたので、歌手『すがはらやすのり』さんに若干はお近づきになれた気分で会場に入りました。

【名曲歌声劇場】とのタイトルのコンサートでしたから、どんな名曲が飛び出すかと思えば、渡された歌詞ファイルには・・・昔懐かしい《童謡集》。

最近とんと聞かなくなりました名曲劇場でした。

素晴らしいアイデアですよねー。

若い家内は一曲だけ知りませんでした。現在の若者は殆ど知らない曲でしょう。

小中学校で教えない名曲ばかり。

童謡が名曲?? と疑う人もいるでしょうが、そんな人は感覚音痴。才能なし。オバカさん。

最も童謡は1部で2部は・・・ラブソング ?? でしたよ。

会場は100人でほぼ満員になるぐらいの小さな会場。

大きなホールでそれこそクダラン奴が大勢出て歌い、マイクの性能に助けられて歌う・・・まあ、NHKの歌クソ番組なんかよりずーっと素晴らしい演奏会でした。

それも、『すがはら』さんが詩の大切さ、日本人の普遍的性格を掴んでいるからです。

将来の100年、300年迄残す歌を探すとなれば、日本人の普遍性をもった曲でなければならない筈。それには・・・童謡。ピッタリではないですか。

まあ、童謡云々はここいらにして

歌手『すがはらやすのり』さんの素晴らしさを簡単に紹介しておきましょう。

まず、http://www.youtube.com/user/yarria#p/u  をお聞き下さい。

・声量と音域の広さ。は当代ピカ一でしょう。マイクなしでも歌うし、3オクターブは楽々・・。

・詩のシッカリした歌を歌い続けている。

・皆さんが日本の歌。と思われるほど親しんでいる外国の歌をも伝えている。

・海外で日本の歌を広めると共に世界に発信している。

・日本はおろかアジアにおいても非常に有名な曲【四季の歌】は彼が最初に広めて行った曲です。

この人、大学で都市工学を教えていた博士でもあるのですが、若い日より世界の貧しいところを中心に100箇所以上も訪れ慰問演奏をしていた国際派でもあるのです。

ですから、現在も世界の各地で音楽祭があると・・日本人を代表として招待され、日本人の心を歌っている人です。

そんな彼を支える多くの人、グループも数多いのですが、それは何と言っても彼の今までの実績と人間性。

実際のコンサートで彼の声を聞かないと分からないので、ここで私が幾ら力んでも仕方の無い事かも知れません。が、私・Yoh-Mを支持してくれる方、このコラムを読まれた方は、まず彼の名前だけを覚えておいて下さい。

今回同行した親友の奥方は・・静岡ソロプチミストの代表をしています。

今迄名前だけの歌手を招いては、がっかりばかりしていたようですが・・・

『すがはら名曲』コンサートでは、もう乗り乗りで上気して楽しんでいました。

『すがはら』の名はイワユル・・知る人ぞ知るのみです。

私は、彼が歌う曲を・・後世に残すべきと考えています。又、ラジオ日本では月曜22:30より彼の生の声を聞くことが出来ます。

一度お聞きくださいな。

彼は絵も大変好きなようでして、中学時代の絵の恩師「星野先生」もコンサートを楽しんで居られました。

私の中学時代の絵の恩師は市川正三先生。安井賞作家です。この先生の恩師は須田国太郎。

絵の世界も色々ありまして、私は市川先生、鴨居玲さん等の助言で、絵で生活する事を止めた男。『すがはらやすのり』さんとはこの点で似ていますが、彼には何より【天性の声】があります。

その声を通して豊かな心を残そう。という彼の心意気は素晴らしいです。何せ、大学教授の椅子を蹴って活動しているのです。

私は、彼とは対極にいるような今迄でした。が、その事が返って今後の良いお付き合いに向かうと信じています^^

私のモットーは

・一人の為に動け。動ぜずな。です。

彼は【人生は出会いだ~】と言います。出会った以上は、その人の為に動ぜずな。ですね

語れば色々諸々ありますが、余り書くと『なんとかの贔屓倒し』になっちゃいます。

ともかく人間性溢れる『すがはらやすのり名曲コンサート』を楽しみました。

                2010.11.3

                       Yoh-M

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