幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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新型コロナ感染者増加 気になる症状 風邪との違いは?…子どもは<手足口病、溶連菌 ”身近にも感染した人が出てきました”

2024-06-25 13:31:13 | 社会

 新型コロナウイルスの感染者が増えてきています。厚生労働省によると、直近の6月10~16日の1週間に、全国約5000か所の定点医療機関から報告された1医療機関あたりの感染者数は4.16人で、6週連続で増加しています。今、流行している新型コロナの特徴について、多摩ファミリークリニック(川崎市)院長の大橋博樹さんに聞きました。(聞き手・利根川昌紀)

微熱でも「陽性」

――「新型コロナの患者が増えてきたな」と感じるようになったのはいつ頃ですか。  5月の大型連休(GW)が終わってからです。GW以降、感染した患者さんが増えたり減ったり、上下の波を繰り返しながら増えてきているなと感じています。  今年のGWは行動制限がなく、過ごせました。人があちこちに移動し、マスクを外す人も増えました。連休が終わった後、家族や職場、学校で感染を広め、それが今も続いているとみられます。  クリニックを受診される患者さんの場合、感染の中心は20~50歳代です。子どもは、新型コロナよりも手足口病や溶血性レンサ球菌(溶連菌)にかかる人の方が多いです。
――今、最も多いのは、BA.2.86系統から派生した「JN.1系統」というタイプのウイルスです。症状や出方に特徴はありますか。  
 喉の痛みを訴える人が目立ちます。37~38度程度の熱も出ます。加えて、せきと痰(たん)の症状が出ています。  ただ、以前のように、症状が重くなる人は、高齢者も含めて本当に少なくなりました。これまでに多くの人が新型コロナに感染したりワクチンを接種したりし、社会全体に「集団免疫」がついてきたからだと思われます。  熱が出ても、だいたい翌日には下がります。インフルエンザなど、ほかの感染症の方が、症状は重いのではないかと感じています。  
 ただ、症状は軽いとはいえ、感染力は強いと思います。検査をして陽性になった人に話を聞くと、家族や職場、学校で、感染している人がいたと言います。微熱程度の熱しか出ていない患者さんでも、「身近でかかった人がいるから」と念のため、検査をしてみると「陽性」となる人がけっこういますね。 
――かかった場合、どのように治療をしますか。  
 せきや鼻水、発熱といった症状に合わせて、それぞれの症状を抑える薬を使います。いわゆる風邪薬です。基礎疾患があり、重症化のリスクがある人には抗ウイルス薬の投与も検討します。

嗅覚や味覚に障害
――普通の風邪との違いはありますか。  
 症状の出方は、普通の風邪と同じです。違いは、新型コロナの場合、後遺症がいつまでも続くことがあるということです。  これだけ症状が軽くなっても、嗅覚や味覚に障害が残る人は少なくありません。また、「痰がからむせき」がいつまでも治らないという人も多くいます。 
――どうしてですか。  
 新型コロナに感染すると、上気道や気管でいつまでも炎症が続いてしまい、痰が出続けてしまうのではないかと考えています。また、炎症が続くことで、気道や気管が刺激に対して過敏に反応してしまう状態になっていると推察できます。過敏になると、冷たい風や湯気などを少し吸っただけでも、せきが出てしまいます。 
――今後も、感染者が増え続ける可能性があります。対応策はありますか。  
 これまでも散々言われてきたように、こまめに手洗いをする、人混みはなるべく避ける、屋内で「密」になるような所に行く場合は、マスクの着用を検討する――といったことになると思います。症状が出た場合は、感染を広げないためにも早めに検査を受けてほしいです。

大橋博樹さん
 多摩ファミリークリニック院長、日本プライマリ・ケア連合学会副理事長。1974年東京都中野区生まれ。獨協医大卒、武蔵野赤十字病院で臨床研修後、聖マリアンナ医大病院総合診療内科・救命救急センター、筑波大病院総合診療科、亀田総合病院家庭医診療科で勤務。2006年、川崎市立多摩病院総合診療科医長。2010年、多摩ファミリークリニック開業。

感想
 報道され亡くなったので、「もうコロナは大丈夫」と思っていると、感染するリスク高まります。
 高齢や病気を持っていると感染が死のリスクを高めます。
 
 報道され亡くなった≠感染が治まっている
用心に越したことはないようです。
感染して死ぬ、死ななくても後遺症が残り、”後悔先に立たず”になっていまいます。

「ブラックボックス」を正すと語っていた小池知事…プロジェクションマッピングの開示は「ほぼ黒塗り」 ”申請した人、認可した人、入札の責任者…全部「同一人物」!?” ”

2024-06-25 11:30:11 | 社会

申請した人、認可した人、入札の責任者…全部「同一人物」!?

「申請した人も認可した人も、入札の責任者も全部同一人物。そんな不思議なことってありますか。まったく入札の体をなしていないですよね」 

【入手】ほぼ「非開示」!? 
 開示された「電通ライブのプレゼン資料」を入手…! これは、東京都が2年間で約48億円をかけて行っている東京都プロジェクションマッピング事業の入札関係資料を開示請求したことで判明した、Xアカウント名「taka1984」さんの驚きの言葉だ。 都庁舎の外壁などを使って映像を映し出すプロジェクションマッピングには、SNSで「無駄」「下品」「パチンコ屋の新装開店みたい」「都庁近くでは生活に困窮した人達の炊き出しが行われているのに」といった非難の声が噴出している。 いったいどこに48億円もの大金が使われているのか。 都が発表している48億円の内訳は、都庁舎(PM)事業16.5億円(’23年度7億円、’24年度9.5億円)、民間との協力等によるPM展開事業20.4億(同10.5億円、9.9億円)、PM国際アワード事業9.6億円(同4.8億円、4.8億円)、東京PM促進支援議場2億円(同0.6億円、1.4億円)など。しかし、これらは場所別の大まかな金額であって、都民の知りたい「内訳」は、それじゃない。 ちなみに、この事業の運営は、’24年8月まで東京都の入札指名停止中の「電通」グループ会社「電通ライブ」が行っていることが、今年3月の「よい旅ニュース通信」の取材・報道でわかっている。では、電通ライブへの発注や金額はどのように決まったのか。 そこで、taka1984さんが開示請求した結果、明らかになったのが冒頭の衝撃の事実だった。 
 「建造物の壁面等を活用したプロジェクションマッピング等の実施に関する協定書の変更について」という資料では、実行委員会から申請され、承認されたのが「産業労働局」となっている。 また、開示された資料「令和5年度都庁舎におけるプロジェクションマッピングに係る映像制作等業務委託における企画選定委員会の実施について」の「決定権者」には東京プロジェクションマッピング実行委員会委員長・向井一弘氏の名が。さらに、企画選定委員会の選定委員には「東京都産業労働局 観光部長」の文字がある。当時の観光部長は向井一弘氏だ。 「プロジェクションマッピング実行委員会で入札を行っており、当時の実行委員会委員長で観光部長だった向井さんが、入札の委員長もしていました。入札で決める決定権を持っている人が実行委員長本人ということです。 しかも、選定委員5人の中には、東京都産業労働局観光部の課長が2人。向井さんを含め、入札の選定委員5人中3人が観光部関係者ということです。ちなみに、非開示とされた他の2人は外部有識者だそうです。 これまで東京都に対してさまざまな開示請求を行ってきましたが、申請した人と認めた人、入札の責任者が全員同一人物なんてケースは初めてですよ」 実はtaka1984さんは、FRIDAYデジタルの過去記事「開示請求で発覚!35万『五輪反対署名』を東京都が無視していた」(’21年7月2日)に情報提供してくれた「開示請求クラスタの30代男性(当時)」で、現在も他に、東京都の英語スピーキングテスト(EAST-J)やTOKYOモニュメントなどの妥当性を開示請求で調べ続けている人だ。

入札の審議は「10分間」!?
 そんなtaka1984さんがプロジェクションマッピングの入札資料で違和感を抱いた点は他にもいろいろある。1つはタイムスケジュールだ。 「入札には受託した電通ライブと、博報堂プロダクツの2社が参加していましたが、審議は10分のみ。 これまで英語スピーキングテストなど、いろいろな開示請求をする中、入札のタイムスケジュールが出てくることもありましたが、いずれも20分~30分はかかっていました。(委員だけでの)審査10分は通常あり得ないと思います」 電通ライブと同様に、入札に参加したもう1社・博報堂プロダクツも、五輪談合事件で今年8月まで入札資格停止処分になっている博報堂のグループ企業というのも、気になる点ではある。 「不思議なのは、受注した電通ライブのプレゼン資料の全体コンセプトのページすら非開示ということ。 企業ノウハウだからということですが、実際にプロジェクションマッピングはもう進んでいるわけで、成果物が出ているのに、コンセプトを今さら隠すのは意味がわからないですよね」 

◆「議事録」がない!? 
 さらにtaka1984さんが疑問を抱く問題がある。 「入札の資料が開示された中に、1つ決定的なもの、議事録がないんです。黒塗りだらけの英語スピーキングテストでさえ議事録は出ているのに。 活発な意見が出なくなるからなどの理由で、議事録が非開示とされるものもあります。しかし、今回は非開示ともされていないので、『不存在』なのだと思います。 どういうふうに入札を決めたかの記録が全くないなんてこと、あるのでしょうか。本当に10分の中で2社の審議は行われたのでしょうか。談合だったのではないかなどという憶測もしてしまいそうです」 ちなみに、令和5年度の入札時は向井一弘氏が務めていたプロジェクションマッピング実行委員会委員長・観光部長が、令和6年度は江村信彦氏に交代。taka1984さんは「年度初めの人事異動では発表されていなかったので、年度途中で代わっているのだと思いますが、不思議な時期の異動だと思いました」と首を傾げる。 また、合計金額は出ているものの、各単価は「一式」とされ、全部非開示。 「企業の競争にかかわるノウハウとされ、内訳は出ないのですが、本当は都としてはいくらで発注したかを具体的に見せるほうが都民の不信感を払拭できますよね。 何らかのズレがあったときに金額がバレるとマズいから、それを隠すためにやっているんじゃないかと私は思っています」

 ところで、「開示請求」ができるのは基本的に行政機関や独立行政法人であり、五輪関係をはじめとして、対象が「実行委員会」となると、その効力が及ばず、情報が闇の中になりがちだ。 そんな中、今回情報が開示されたのは、実はイレギュラーな経緯によるものと言う。 「東京プロジェクションマッピング実行委員会は、実は東京都産業労働局観光部の中に設置されているんですが、表向きは別なんです。 そのため、最初に観光部に資料を開示請求したときには、金額や契約関係は実行委員会のほうにあるので開示請求が及ばないと1回突き返されているんですね。 そこで、金額はわからなくとも、何か観光部に関わる資料はないかと探している中で、ホームページに載っていた業者への委託指示書の提出先が観光部となっているのを見つけ、それを観光部に開示請求しました。 そこから、東京都への開示請求を取り下げ、実行委員会宛てに再度開示請求をかけるという流れによって、初めて開示された情報なんです」 

◆東京都からの回答は… 金額の詳細はわからず、肝心なところは「非公開」だらけ。それでもわかった入札に関する違和感について、FRIDAYデジタルでは「Tokyo Night&Light事務局」及び東京都産業局観光部に以下の質問をぶつけた。 

感想
 開示されないのは、”疚しい”の一言に尽きるでしょうね。
それが小池都政なんですが。
都民に疚しいことは、支持者にとって美味しいのでしょうか?
それとも知らずに支持されているのでしょうか?

「はっきり言う、これは殺人だ」木原誠二氏妻の元夫“怪死事件”に驚きの新事実が…“捜査一課・伝説の取調官”が週刊文春に実名告発した経緯 ”これが日本で起きている怖さ/大手マスコミも取り上げない”

2024-06-25 10:45:45 | 社会

〈「部屋は血の海になっていた」首相側近・木原誠二氏、妻の元夫が自宅で“謎の不審死”…“捜査一課・伝説の取調官”が明かす《木原事件》の全容〉  から続く 
 2006年4月10日、都内の閑静な住宅街で一つの「事件」が起こった。その日、不審死を遂げた安田種雄さん(享年28)は、木原誠二前官房副長官の妻X子さんの元夫である。事件当時、X子さんは「私が寝ている間に、隣の部屋で夫が死んでいました」と供述したという。通称「木原事件」と呼ばれるこの“怪死事件”を巡り、1人の元刑事が週刊文春に実名告発をした。 
 「はっきり言うが、これは殺人事件だよ」  木原事件の再捜査でX子さんの取調べを担当した佐藤氏は、なぜそう断言するのか。実名告発に至った経緯とは――。ここでは、佐藤氏が「捜査秘録」を綴った『 ホンボシ 木原事件と俺の捜査秘録 』(文藝春秋)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/ 1回目 から続く) ◆◆◆

実名告発した理由

 なぜ俺は実名で告発することにしたのか。その理由は、文春の記者が書いた、記事の次の記述に尽きる。  少し長いが、記事から引用したい。 
〈佐藤氏に電話で再三協力を呼びかけたところ、深い溜息の後、感情を吐露したのだ。 「警察庁長官のコメントは頭にきた。何が『事件性はない』だ。あの発言は真面目に仕事してきた俺たちを馬鹿にしてるよな」  佐藤氏が言及したのは、その数日前の7月13日に開かれた、露木康浩警察庁長官の定例記者会見のこと。露木長官は、種雄さんの不審死について、こんなコメントを残していた。 「適正に捜査、調査が行われた結果、証拠上、事件性が認められないと警視庁が明らかにしている」  
 佐藤氏は一呼吸し、吐き捨てるように言った。 「事件性の判断すらできないのか。はっきり言うが、これは殺人事件だよ。当時から我々はホシを挙げるために全力で捜査に当たってきた。ところが、志半ばで中断させられたんだよ。それなのに、長官は『事件性が認められない』と事案自体を“なかったこと”にしている。自殺で片付けるのであれば、自殺だっていう証拠をもってこいよ。(文春の)記事では、捜査員が遺族に『無念を晴らす』と言っていたが、俺だって同じ気持ちだよ」

 さらに佐藤氏の口から零れたのは、後輩たちへの偽らざる思いだった。 「あのとき捜査に関わった30人以上のメンバーは誰しも、捜査を全うできなかったことで今でも悔しい思いをしている。文春の記事を読めば、現役の奴らが並々ならぬ覚悟で証言しているのがよく分かるよ」  そして――。 
 「俺は去年退職して、第一線を退いた。失うものなんてない。職務上知り得た秘密を話すことで地方公務員法に引っかかる可能性がある、だ? そんなことは十分承知の上だ。それより通すべき筋がある。現役の奴らの想いもある。もう腹は括った。俺が知っていること、全部話すよ」  
 こうして“伝説の取調官”は、ポロシャツにチノパン姿で小誌取材班の前に現れた。粗野な口調には時に温かさが滲み、穏やかな眼光は時に鋭さを見せる。そんな佐藤氏への取材は、5日間、計18時間にわたった。  仲間たちが作った捜査資料を必死の思いで読み込み、全身全霊でX子さんと向き合った佐藤氏の記憶は、約4年9カ月が経った今でも詳細で鮮明だった。そして、そこから浮かび上がったのは、驚くべき新事実の数々だった〉

佐藤氏が考えた記者会見の「勝算」とは?
 「木原事件 妻の取調官〈捜査一課刑事〉実名告発18時間 木原は『俺が手を回したから』と妻に…」と題された記事が掲載された「週刊文春」は7月27日に発売された。  同誌の竹田聖編集長と片岡侑子デスクから「実名で記者会見をしないか」という提案を受けたのは、その前日のことだ。俺はその提案を二つ返事で受けた。  記者会見に臨むに当たって、俺の頭の中にあったのは、「事件性はない」という露木長官の見解に議論を呼び起こすということだった。  
 まず、この事件が「立件票」が交付された「事件」であること。それを俺が実名で伝える。そのことによって、露木長官と俺の「どちらかが噓をついている」という状況を作り出せるだろう、と考えたのだ。
 俺には勝算があった。それは、俺が警視庁の元警部補として実名で記者会見を行い、事件に関する情報を喋れば、その行為について「地方公務員法違反の“秘密の漏洩”に当たる」という声が上がるだろう、ということだった。
「俺はこの事件は殺人事件だと考えている」
 なぜ、地方公務員法違反が「勝算」になるのか?  それは、この事件に関する「秘密」とは何かという問題に関係しているからだ。  俺が地方公務員法違反に問われるケースとは、安田種雄さんの事件に関する「秘密」を喋った場合である。  改めて言うまでもないことだが、俺はこの事件は殺人事件だと考えている。その前提で「週刊文春」の取材にも応じているし、記者会見にも臨んだ。  一方の警察トップである露木長官は「事件性はない。適正に警視庁が捜査」したと語っている。  
 事件を巡って、俺と露木長官は、そもそもの前提が異なっているわけだ。

記者会見を行う前に恐れていたこと
 7月28日の記者会見で、俺は「この事件には事件性がある」ということを繰り返し述べた。その俺の話が警察の捜査情報=「秘密」であり、地方公務員法違反に当たるというのであれば、それはすなわちこの事件が「自殺」ではなく「殺人」だと認めることになる。俺を地公法違反で摘発する代わりに、露木長官は「事件性はない」という発言を撤回し、捜査を再開せざるを得なくなる。  これが記者会見を行った目的の1つだった。  
 逆に恐れていたのは、記者会見で「なぜそんなでたらめを言うのか」と記者に質問されたり、警察庁から「長官が『事件性がない』と正式に発表しているのに、なぜ佐藤は噓の会見を開くのか」というコメントが発せられることだった。その場合、露木長官が「真実」を言っていることになってしまい、俺は存在しないでっちあげの事件について語っていることになってしまう。  そんなことを考えながら、俺は記者会見の当日を迎えた。

感想
 殺人疑惑があっても、きちんと捜査されない。
袴田事件のように無罪であっても、警察と検察の面子で有罪と発言を繰り返す。

 帝銀事件は昔だからミスがあっった、あるいは当時はGHQの支配下だったので、仕方がない面もありましたが、今令和で同じようなことが起きています。

 大川原機工の捏造など、警察と検察の行きすぎた取り調べ。
一般の噴霧乾燥機が滅菌などできないと、ちょっとして論理的に判断できる人があれば誰でもわかることがわからない警察と検察の担当者。その担当者たちは出世したり表彰されたり(流石これは取消し)しました。
 
 勇気ある人がいるからこそ、間違いを知ることができます。
権力者の好き勝手にしないためには、そのような権力者が引き続き政治を担うことを防ぐために選挙での投票が重要になるのでしょう。

 権力側も「公務員法」違反で佐藤氏を逮捕しないようです。
逮捕することで、問題をもっと多くの国民が知ることを怖れているのでしょう。

「60歳を過ぎたら絶対観たい映画43―画面のどこかに、あなたがいる! 」 "1回きりの人生。名作映画を観ることで、今とは違う人生も体験できます”

2024-06-25 08:14:28 | 本の紹介
要旨(「BOOK」データベースより)
過去に学び、これからの人生の道標になる映画がここに!ワーナー・ブラザース映画で2000本の映画に関わったプロが厳選43作品を紹介!
目次(「BOOK」データベースより)
序章 映画の周りに人生が横たわっている
第1章 家族がいなければ、今のあなたはいない
・「幸せのレシピ」
・「コンタクト」
・「スタア誕生」
・「エデンの東」
・「スケアクロウ」
・「ライフ・イズ・ビューティフル」
・「レインマン」
・「ゴッドファーザー」
・「ノッティングヒルの洋菓子店」
第2章 周りへのご機嫌伺いは、もうおしまい
・「理由なく反抗」
・「卒業白書」
・「カラーパープル」
・「JFK」
・「我が道を往く」
・「それでも夜は明ける」
・「俺たちに明日はない」
・「野のユリ」
第3章 この世は、小さな奇跡に満ちている
・「カサブランカ」
・「天使にラブソング」
・「マディソン郡の橋」
・「シティ・オブ・エンジェル」
・「タイタニック」
・「戦場のピアニスト」
・「アメイジング・グレイス」
・「グリーンマイル」
・「炎のランナー」
第4章 時には頭を空っぽにすることも必要だ
・「リーサル・ウェポン」
・「ダーティ・ハリー」
・「デーブ」
第5章 若さを保つ秘訣は、ときめきを忘れないこと
・「サウンド・オブ・ミュージック」
・野生のエルザ」
・「天国の日々」
・「マイ・インターン」
・ワン チャンス」
・「老人と海」
・「ホリディ」
・「ユー・ガット・メール」
第6章 最後のひと息まで、人生は現役!
・「最高の人生の見つけ方」
・「ショーシャンクの空に」
・「素晴らしいかな、人生!」
・「ヘルプ~心がつなぐストーリー~」
・人生の特等席」
・「ロレンツォのオイル/命の詩」
  • 出版社からのコメント
    ワーナー・ブラザースで約40年にわたって、2,000本を超える字幕・吹替版製作に従事した著者が絶対観たい映画を紹介。
  • 内容紹介
    ワーナー・ブラザースで約40年にわたって、2,000本を超える字幕・吹替版製作を担当した著者がシニア向けに絶対観ておきたい映画43をシチュエーション別に厳選して、見どころを解説する。
  • 著者紹介(「BOOK著者紹介情報」より)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
  • 小川政広
    1941年生まれ。元ワーナー・ブラザース映画製作室長。46年半のワーナー在職中、31年間にわたり2,000本を超える字幕・吹替版製作に従事。在職中から、字幕翻訳者養成学校で講師を務める。1962年、キリスト教ラジオ放送で入信・受洗、聖契神学校卒
 私は20歳まで東北の片田舎で育ちましたが、孤独でつらい少年時代を過ごしました。大蔵省専売局(戦後、日本専売公社に 現・日本たばこ産業株式会社=JT)の地方出張所長をしていた父は、無類の酒好きで退職後も酒浸りで体を壊し、私が小学5年生の時に53歳で他界しました。母はその後小さな駄菓子屋で、私と姉、弟の3人の子どもを養ってくれましたが、私は小学生の頃から、自転車で駄菓子などの仕入れを手伝い、小さな店で寝泊まりしていた母の代わりに、7つ下の幼い弟の面倒を見て、夜は少し離れた家に二人だけで寝泊まりする日々でした。高校2年生の時、東京に出ていた姉が帰ってきて、その援助で大学に進もうかと思っていた矢先、姉は山で遭難し亡くなりました。
 私は無性に家族の愛に飢え、愛情を求めて渇きながら、一方では人間がこんな厳しい運命でがんじがらめにする”絶対的な存在”を密かに恨み、恐れて生きる孤独な若き”運命論者”になっていったのです。
 1961年、私は20歳で上京し、前述のように中学時代から憧れていたワーナー・ブラザーズに入社しました。昼は会社に勤めながら、なおも大学の夢を捨て切れず、深夜ラジオの受験番組を聴いていましたが、ある夜、聴き慣れない番組が耳に入ってきたのです。それが、初めて聴いたキリスト教番組「いこいの窓」でした。
 何か心を惹かれながら聴いているうちに、私が密かに思い描いていたその絶対的損時は、聖書にある”全知全能の神”であること。そしてその方は、罪は決して見過ごさない厳しい”義の神”であるだけでなく、その罪を赦すために、独り子イエス・キリストさえ与えられた”愛の神”であることを知りました。1962年夏のある夜、私は心に迫る見えない神の霊に促されるまま、イエス・キリストを救い主、主として信じました。ほどなくしてパブテスマ(洗礼)を受けてクリスチャンになり、喜びのうちに長い間の孤独と運命論から解放されたのです。
 その放送団体から紹介されたプロテスタント教会で、私のクリスチャン生活が始まりました。1970年には信仰を同じくする同年齢の女性、佳子と結婚、彼女は十代の頃に結核を発病し、両肺を手術して死線をさまよい、その病床で十字架のキリストの幻を見て入信しました。二人に子どもは与えられませんでしたが、つらかった青春時代をせめて取り戻してあげようと、49年間の結婚生活で、二十数回の海外旅行に連れて行きました。けれども2019年2月、数年前から始まっていた認知症を抱えたまま、肺機能の衰えた身で生きるのを神が不憫に思われたかのように、彼女は一夜で地上を離れ、天に帰ったのです(拙著『弱き器と共に生きて』は彼女への感謝の証しです)。
 その間にも私といえば、なまじ英語力があるばかりに、FBで開発途上国への支援を訴えていた、私の人を疑うことを知らないお人好しぶりが国際詐欺グループの格好の餌食になり、4年間で3つの複数グループから全財産を吸い取られ、なんと1,800万円ちかい借金まで背負う羽目に陥ったのです。
 そんな愚かな私に、神は想像を超えた助けの手を差し伸べてくれました。FBで私の窮状を知ったあるクリスチャン女性が特別に心にかけ、祈りの中で神の促しもあり、21歳の年齢差を超えて私と結婚してくれました。こうして私は自宅敷地を処分して借金を返し、6,000キロ遠方から飛んできてくれた彼女みどりと、思いもかけず第二の人生をスタートする身になったのです。神のみわざには、ただ驚くばかりです。

感想
 人生の辛苦を味わった小川政広さんが推薦される映画。
聖書からの視点も含まれているようです。
何をして良いかわからない。
生きる意味がわからない。
生きるのが辛い。
そんなとき、小川政広さん推奨の映画を観てから考えてもよいのではと思いました。