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江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

「和漢三才図会」でのカッパ、カワタロウの記述  

2024-10-03 19:52:25 | カッパ

「和漢三才図会」でのカッパ、カワタロウの記述  

                                         2024.10

「水虎奇譚」でのカッパ、カワタロウの記述  


豊前の國に、幅が五六十間(けん)であるが、浅いので、歩いて渉(わた)ることのできる河があった。
夜に河を渉(わた)ろうとすると、必ずカッパが出てきて、「相撲をしようよ」、と引き留める。
カッパを子供だと思って、相撲をとると、最後には、河に引きいれられて、食われてしまう、と云う。

小笠原信濃守の家の家臣に、大家庄右街門という人が有った。いとこである瀬川藤介を伴って河を渉(わた)った。その時、藤介の袖を引きとどめて、「相撲をとろうよ」、とカッパが言った。
大家庄右街門は、返事もしないで、抜き打ちにした。
手ごたえがしたが、水の中へサッと入っていった。
次の朝早くに河に行って見ると、三町ばかり下流の柳の根にひっかかっていた。十歳以下の子供のようで、髪は四、五寸ばかりあり、顔は猿のようで、白く、爪は猫のようであった、とのことである。

以上
「水虎奇譚」 広文庫 より


本草記聞でのカッパの記述

2024-10-03 19:50:48 | カッパ

本草記聞でのカッパの記述

                    20024.10

姿形は猿のようであり、眼は丸く、鼻は長く出ている。頭の毛が赤いのもある。頭頂に、蛤(はまぐり)のカラのような皿がある。これに水をたたえれば、力を増すとの俗説がある。全身の色は淡黒く、少し青黄を帯びている。腹腹及び背には、甲羅がある。手足を縮めて甲羅のなかに隠す事が出来るが、亀の様である。手足を伸ばせば人の形の様である。手足のすべてにに五本の指がある。また、水かきもある。全身に、はなはだ生臭い臭いがある。

以上
「本草記聞」広文庫 より

 


益軒全集大和本草附録一」でのカッパ、カワタロウ

2024-09-24 23:29:09 | カッパ

益軒全集大和本草附録一」でのカッパ、カワタロウ

                                                  2024.9

河太郎と相撲をとった人が、正気を失って、病いになった場合には、しきみの木の皮をはぎ、乾燥させて粉(抹香)にし、水にかき混ぜて、呑ませれば、すぐに正気をとりもどし、本復する。しばしば用いて、効果があると云う。
しきみは、莽草である。木では、あるが、本草綱目毒草類に、分類、記載されている。

以上
「益軒全集大和本草附録一」広文庫 より

 


「本朝食鑑」でのカッパ、カワタロウ

2024-09-23 23:26:06 | カッパ

「本朝食鑑」でのカッパ、カワタロウ

                                     2024.9

最近、水辺に河童なる者がいて、能く人を惑わす。
或いは、大鼈(おおすっぽん)の化けたものとも言う。
それ故、顔は醜くく、体は、童児のようで、皮膚は、責黄色である。頭上には、凹んだ処があり、常に水を蓄えている。水があれば、則ち力が強く、捕らえられない。水が無ければ、力が弱く、捕まえることができる。
それで、もし人がカッパに出会ったら、必ず先に腕を持ち上げ、拳で、頭の水を取ってしまえば、カッパを倒すことができる。
伝え聞くところによれば、海西諸国には、このカッパが、人をだますことが多く、人を妖力で害する。
土地の人は、大鼈(おおすっぽん)ではなく、老いた獺(かわうそ)の化したものである、と言っている。
その物のたぐいは、変化(へんげ)して、どのようになるのかは、測りがたい。

海国(海が多い地区)には、この族(やから)が最も多い。

以上
「本朝食鑑」 広文庫 より


幼女の妖かし(原題:妙年の河伯)   三州奇談後編巻之八

2024-09-16 20:00:00 | カッパ

幼女の妖かし(原題:妙年の河伯)   三州奇談後編巻之八

                  2024.9

新川郡滑川(富山県滑川市)は大きな郷であるが、その名称である滑川の由来は、わからない。
もしや青砥左衛門が付けたのであろうかと尋ぬねると、こう答えが返ってきた。

滑川は古い名であって、元来は川があった。今は海が入って来て、その水源である中河原村の小清水に(名残がある)近い。わずかに水が湧出している。昔は小浜松と言ったが、川を隔てて、両側に寺と神社があったそうである。今は町名(まちな)のみに残っている。
浜沿いの地名は伏木(ふせき:富山県高岡市)と言う。伏鬼千軒の号(名)が残っている。賑わった湊(みなと)であったそうである。
今の放生津(ほうじょうず:富山県射水市)の方へ移った伏木と言うのは、本来はここであったそうである。今の地(名は)は、(昔は)辰尾(たつお)であって小川滑川の号(名)からかわったのではないかと思われる。
町の東に櫟(いちい)原の神社(富山県滑川市)がある。延喜式にある由緒ある式内の神である。辰尾の古名は刀尾(かちお)だそうである。
これ等の号(地名)が皆々変じて地区(郡の一部の)名の滑川を総名と
するのも、又因縁があると思われる。

西には、水橋の渡りがある。

ここは常願寺川の末流であって、甚だ深く、川には所々合流地点があり、あまが瀬と言う渡りがある。
義経が奥州下りの頃、畑等右衛門尉と言う者が、この渡り瀬を教えたそうである。今に至っても、百姓の畑等清兵衛と言うその子孫がいる。今も、飛脚などがこの家に渡りの道筋を教わって川を打ち渡り、舟が難船するのを免がれるそうである。世の中には飛鳥川のように、水路が変わってしまうのもあるのに、数百年の今日迄、この川の淵瀬が変わらないのも、又不思議なものである。それならば、水中に霊(神様や妖しいもの)がいても怪しむに足らないであろう。湘霊(しょうれい:中国の湘江の神様)鼓ヒツ?の事を聞けば。舜の二女。猶
 水底にヒツ?を嗚らせるとかや。左もあるべし。

越中は大きな川が多い所である。俗にこんな事が言われている。時々、深い淵から鈴の音が聞こえてくる。小児が踊る時に袂(たもと)に鈴をいれて嗚らすのに似た音がすることが多い。
確かめようもないので、誰も見たことがない。

そうではあるが、安永四年八月の事である。滑川の南有金村(滑川市)の傍に今井川と言う川がある。
これは這槻(はいつき)川の枝流である。
高月村(富山県滑川市)の専福寺の和尚は、弓の庄柿沢の円光寺(富山県上市町)の和尚の二男である。早朝、用事があって柿沢より専福寺へ帰ることがあった。この今井川のほとりに来た。朝六半時頃の事である。川に来て向う側を見れ


ば、対岸に一人の小さい女がいて、顔が合ってしまった。その顔色の白いこと、雪の如くで光があった。はなはだ美麗であって、只雛人形のようであった。身長は二尺余り(60センチ余り)で、髪のかざりは常人のようで、簪をさしていた。ゆっくり歩いて立っていた。衣服を見るに、多くの色彩があって見事であった。
しかし、普通の人間の織物とは見えなかった。
両脚は、大きく露出していて、着物は腰の廻りまでであると見えた。
白い膝があらわに出ていた。
手元袖ロのあたりには、網の如き物が下がっていて、手も又大変に白かった。
様子は、人間と異ることなく、ただ大変に背が低かった。
専福寺の和尚と顔を見合すこと度々であった。
笑みを含んでいるようであった。

それで、専福寺の和尚は、全身から汗が出て、ふるえが止まらなかった。
暫くして、岸へ商人が二三人連なって来た。この妖しの物は、人の声を嫌がったのであろうか、暫く川縁にたたずんでいるかと見えていたが、楊株(やなぎかぶ)の間より水に入っていった。
音なく消えたようで、又再び見えなくなった。
専福寺の和尚は、暫く立去りかねたが、ようやく迎えの者が来るのを待って、川を渡り過ぎて寺に帰った。
寺の下僕が、和尚の顔色が悪いのに驚き、色々薬を調え養生をさせた。数日にして本復したとの事である。
この事を櫟原(いちいばら、いちはら)(滑川市)の神主なる人に尋ねると、このように答えた。
「あれは、きっと河伯(かはく)であろう。」と。
何人かにいろいろ聞き合せて、多分、河伯(かはく)であろうと決定した。思うに、これは河伯水霊の類(たぐい)にしては大変に幼い子ではないかと思う。湘霊(湘江の神様、妖怪)が、ヒツ?を鼓することを、思い合わせれば、これ(鈴の音)等は小女にして踊り遊ぶのも、納得できよう。
さては、淵底にややすれば鈴の音がするのも、若しやこれ等の河伯が遊びたわむれて歌った時なのであろうか?
郡の名の新川に比して見れば、この若い「新」しい河(川)伯も新川の名を、付けられているのも又理(ことわ)りと言えようか。

訳者注:
これは、「三州奇談後編巻之八」にある「妙年の河伯」であるが、内容的に、河童(河伯)の話ではない。河童とは別の妖怪であろう。
この三州は、加賀、能登、越中の三国(加賀藩領)を指している。この場合は、三河の国ではない。