ミカンの肥料には、ネズミが良い
2024.2
コタツにミカンの季節と成りましたが、
こんな面白い文書を見つけました。
柑橘類は、ネズミや猫を肥料にすると良い、そうです。
まあ、そんなミカンは、食べたくはありませんが。
以下、本文。
橘の類に、ネズミを肥やしにすると、優れて良く効くものである。
死んだネズミを小便壷の中に入れておき、数日の後、膨れて浮き上がるのを取る。
それを、柑橘類の根の周りに埋めて置けば、柑橘類が栄え繁ること限りなし、と古くより言い伝えられている。
涅槃経(ねはんぎょう)にも、「橘の鼠を得たるが如し」、とその功を説いていると云う。
また、俗に、橘の根下に猫を埋めれば、良く栄えると云い習わしている。
以上、「農業全書」(広文庫)より
大蝦蟇が人に化けて願い出る
2024.2
松平美濃守(みののかみ)下屋敷は、本所にあり、敷地内に方三町余りの沼があった。
ある年、何か理由があって、この沼を埋めるように申し付けた。
そして、近々埋め立てようとした時に、玄関に憲法小紋(けんぼうこもん)を着た一人の老人が来て、取次の侍に、
「わたくしは、この下屋敷に棲んでいる蝦蟇でございます。
このたび、わたくしの棲んでいる沼をお埋めになることを、お聞きいたしましたので、参上いたしました。
なにとぞ、沼を埋めるのを、ご中止くださるようお願い申し上げます。」
と言った。
取次の侍は、退座して、これは怪しいことだと思い、ふすまを隔てて窺い見るに、憲法(けんぼう)小紋の上下と見えたのは、蝦蟇の背中のまだらであった。
体の、大きさは、人間位であった。両眼は、鏡のようであった。
すぐに、美濃守へ報告すると、要望を聞きいれるとの言葉があった。
そして、その蝦蟇に答礼され、沼を埋める事を、中止した。
元文三年の事であった。
燕石十種 第五輯 江戸塵拾 より
木こりが、榎の大木を切り、マムシの毒気にあたったこと
樵夫(きこり)榎に上り大なる蝮を截害(さいがい:殺害)す・・・原題
2023.8
泉州谷の輪の居守山(兵庫県姫路市に居守山がある)の榎の根に洞穴(ほらあな)がある。
その穴に、蝮蝎(うわばみ)が棲んでいる、と人々は畏れて、そこへ行く事はなかった。
ある時、与惣(よそう)と言う者が、その榎の枝を切って、薪にしようと出て行こうとしった。
すると、人々が、やめさせようとした。
しかし、彼は、
「なあに、怖がることはないよ。」
と言って、木に登り、枝を切った。
すると、例の穴から蝮がのたり出て来たのを、与惣が注目して、木に上るところを待ちうけ、鎌を持ち直して、蝮の眉間の真ん中に打ち込んだ。
さすがのまむしも、ドウと落ち、そのあたりにうねりながらに倒れたが、草も木もなぎ倒された。
しかし、与惣はすこしも騒がず、欲しいだけの枝を切り落として持ち帰った。
与惣(よそう)は、友達に、これこれこうだと語った。
それで、皆々は見に行ったが、全身の毛が逆立って、恐しかった。
与惣も、やがて煩(わずらい)つき、二十日ばかり過ぎて終に死んだ。
深い毒気にあたったのであろうか?
日本随筆大成第二期第5巻「新著聞集」より
針を喰う虫の話 2023.8
京都三条の西に貞林という尼がいた。
若い時は備前に下って、御物縫いの奉公(責任者)をつとめた。その折の事であった。
この貞林尼は、物を縫う針の折れたのをもったいないと思っていた。それで、折れたのを随分と拾い集め、針箱の底に置いていた。ある時、取り出して捨てようと思ったが、見えなかった。
二度もこの様であった。
ある時、針箱の掃除をしていると、大きさが三分(9mm)ばかりある虫が出てきた。
珍しい物なので、針さしの上に置いておいた。
この虫は、そろそろとはい歩き、針さしの針をほろほろと喰べた。
さては、先達っての針の折れもこの虫が喰べたのだ、と思って、小さい箱に入れ、針のおれを餌として飼い置いたが、二月ばかりすると、大きさが一寸程(3cm)になった。
この事を御主人が聞いて、その後には古かねなどを与えたが、いよいよ大きくなった。
それで、怪しい物であろうと火で焼き殺したそうである。
これは、この貞林が、直に語ったことである。
大旅淵の蛇神 「土佐風俗と伝説」より
2023.4
今は昔、長岡郡本山郷天坪(あまつぼ)の字(あざ)穴内赤割(あなないあかわた)川と称する川上に、大旅(おおたび)の淵と言う、底の知れない深い淵があった。
昔より蛇神が棲んでいて、金物などを淵に入れると、怒って大暴れした。
たちまち、暴風雨などを起こす、と言って、人々は皆恐れていた。
ところが、ここの村に一人の男がいた。
物好きの人であって、ある日ここに魚釣に出掛けて、釣糸を垂れた。
さて、魚の釣れることは、たとえようもなく、多かった。
丸で引っ切り無しであったが、最早や籠一杯になったので、急いで家路を指して帰った。
家で、ふたをあけて見れば、これはどうしたことか、ただの木の葉のみと変っていた。
流石の大胆なる男もこれに懲りて、その淵では、二度と釣りはしなかった。
しかし、ある無頼の者が、又この淵には魚が豊富にいるので、鵜飼いをしようと、ある日、一羽の鵜を放った。
しかし鵜は、水中にもぐったまま、再び出て来なかった。
これは不思議、と衣服を脱いで水底にもぐって行くと、珍らしい殿閣があって、丸で浦島太郎の龍宮の話のようであった。
一人の美しい女神が、殿中で機(はた)を織っていた。
機(はた)の上に彼の鵜を止まらしてあった。
女神は、
「ここは人間の来る所では無い。早く帰れ。」
と言った。
その男は鵜を放ったことを詫びて、ゆるしてもらい、命からがら這うように逃げ帰った。
それより、再びこの淵に近付かなかった。
また、この村に国見山と言う、強力無双の力士があった。
ある日、外出して帰宅途中の夜半の丑満(うしみつ:午前二時位)の刻(とき)に、この淵の傍を通った。
すると話にもきいたことが無いような大蛇が、悠然と横たわっているのを見た。
彼は、流石に強気の男であって、大蛇に「通れないからどうぞ通してくれ」と言った。
しかし、蛇は中々動かなかった。
この男は乱暴にも、手頃な松を引き抜き、それで大蛇を打ち叩き、大蛇が去っていくのを見て、家に帰った。
それから、毎夜、大蛇の神が枕神に立って、うたれた
苦しみを訴へた。
力士は大熱を病み、遂に煩悶しながら死んだ。
そしてその最後には、身体には鱗のようなものがあらわれた。