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★お月見★行事

2012年10月13日 | ★イベント★
月見とは、月、主に満月を眺めて楽しむこと。観月(かんげつ)とも称する。

呼称

この夜の月を「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」と呼ぶ。

「仲秋の名月」という表現もあるが、これだと「陰暦8月の月」を指し、十五夜の月に限定されなくなる。「仲秋」とは、秋を初秋(旧暦7月)、仲秋(同8月)、晩秋(同9月)の3つに区分した場合、旧暦8月全体を指す。対して「中秋」とは「秋の中日」=陰暦8月15日のみを指す。

加えて、中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月(むげつ)」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月(うげつ)」と呼び、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされる。また、俳諧では8月14日~15日、16日~17日の夜をそれぞれ「待宵(まつよい)」「十六夜(いざよい)」と称して、名月の前後の月を愛でる。

日付

秋分は北半球では、太陽と月の角度により、月の(地球から見た)位置が観月に最も適している。秋分は旧暦では旧暦8月にあたる。実際の新暦での日付は、秋分(9月23日ごろ)の前後半月の1ヶ月の期間の中で変動する(具体的には8月15日 (旧暦)#対照表を参照)。

しかし、日本の関東以西では、この時期、晴天に恵まれる確率は低い。

南米の日系人社会でも、日本と同様に十五夜の月を中秋の名月として観月する。ただし、南半球では春であり、月の位置も観月に適してはいない。

十五夜の日は満月の日に近い日ではあるが、必ずしも両者は一致するものではなく、むしろ異なる場合の方が多い。その差は最大で2日である。
















各地の風習

日本

中国から仲秋の十五夜に月見の祭事が伝わると、平安時代頃から貴族などの間で観月の宴や、舟遊び(直接月を見るのではなく船などに乗り、水面に揺れる月を楽しむ)で歌を詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。

現代では、月が見える場所などに、薄(すすき)を飾って月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛り、御酒を供えて月を眺める(お月見料理)。この時期収穫されたばかりの里芋を供えることから、十五夜の月を特に芋名月(いもめいげつ)と言う地方もある。

沖縄ではふちゃぎ(吹上餅)を作って供える。

仏教寺院では、豊作を祈る満月法会を催すところもある。

また戦前から昭和中期にかけて(ところにより今日でも)は、各家に供えてある月見団子や栗、柿、枝豆、芋、菓子類を近所の子どもたちがそこの家人に見つからないように(見つけても見ない素振り)捕って回りその年の収穫を皆で祈る(祝う)風習がある。(お月見泥棒)。

中国

十五夜の月を鑑賞する慣習は中国に由来する。

中国、韓国、台湾では中秋節として盛大に祝う。中秋節は祝日となっている。中国では当日、月餅を食べながら月を観る慣習があったが、近年は月餅はひと月以上前から知人に配るようになったため、中秋当日までに月餅は食べ飽きてしまい、中秋当日には売れ残りを恐れて安売りされるという現象も起きている。

台湾

台湾では中秋節は重要な民俗行事であり、全台湾が休日となる。月見をして月餅や文旦を食べる習慣がある。地区的な文化としては、美濃区の客家のアヒルを殺して食べる習慣や、宜蘭の小麦粉を練って中に黒糖を塗って焼いた「菜餅」を食べる習慣がある。また、台湾南部ではおもちや火鍋を食べる風習もある。

1980年代中期から、当日屋外でバーベキューをするなどの別の楽しみ方が増えている。その起源は諸説あるが、広告代理店の影響であるとか、月見の最中に腹が減るからだと言われている。この習慣は、この年代の経済発展と生活の西洋化が、伝統的な民俗習俗にまで影響を及ぼしたと思われる。

韓国

韓国では旧暦8月15日を秋夕(チュソク)といい、その前日と翌日が公休日(祝日)となる。このため、多くの企業、施設も休みとなり、帰省する者も多い。先祖の墓参りをし、新米で「松片(ソンピョン)」という餅を作り、祖先に感謝を捧げてお供えをする。また知り合いに贈り物を贈り合う。このため英語では、コリアン・サンクスギビングデーという。

八月十五夜以外の月見

九月十三夜

八月十五夜の月に対して「後(のち)の月」と呼ばれる。十三夜は日本独自の風習と言われている。ちょうど食べ頃の大豆や栗などを供えることから、この夜の月を豆名月(まめめいげつ)または栗名月(くりめいげつ)と呼ばれる。

江戸時代の遊里では、十五夜と十三夜の両方を祝い、どちらか片方の月見しかしない客は「片月見」または「片見月」で縁起が悪いと遊女らに嫌われた。二度目の通いを確実に行なうために、十五夜に有力な客を誘う(相手はどうしても十三夜にも来なければならないため)風習があった。

その他の夜

天候次第で月を見られない場合もあるので地方によっては月待ちという風習があり、十七夜以降を立待月(たちまちづき)、居待月(いまちづき)、寝待月(ねまちづき)、更待月(ふけまちづき)、という。二十三夜待ちまでを行う地域が多くを占めたが、二十六夜待ちまで行う地域があり、月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が現れる、という口実を付けて月が昇る(深夜2時頃)まで遊興に耽った。この風習は明治時代に入ると急速に廃れていったようだ。出典・ウィキペディアフリー百科事典。