『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

まちは火の海「じゃんがら念仏」

2006年07月26日 | 歴史
大須賀筠軒(1841年~1912年)は、
江戸時代の「じゃんがら念仏」の様子を,
その著書『磐城誌料歳時民俗記』のなかで、
『磐城枕友』(吉田定顕著 江戸時代の宝暦年間に書かれた)を引用し、次のように紹介している。

盆中 村里ヨリ、鉦、太皷ニテ、老若男女打交リ、
十四、五ツレテ、城下ニ来リ、神社、仏寺ヲ廻リテ、念仏躍スル。
町家、新盆ノ家ノ前ニテ躍ル。
又、呼入テ、念仏サスル家モアリ。
町々ヲ廻リ、夜深テ村里ヘ帰ル。
若輩ノ男子ハ鉦太皷打鳴シ、十王堂十ケ所ヲ巡ル。
之ヲ十十王申ストイフ。枕友。

漢字にカタカナ交じりで書かれた文語調の文章は、
やや取っ付きにくいところがあるが、
現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。

お盆になると、近くの村々から、
鉦や太鼓を携えた「じゃんがら念仏」の一行がたくさんやってくる。
そのなかには年老いた者も、若い者も、また、男も、女もおり、
ひと組の人数は14~15人ほどである。
「じゃんがら念仏」の一行は、
磐城平城の城下にやって来て、神社や仏閣を廻り、
そこで念仏踊りを踊る。
また、商家や新盆に当たる家の前でも念仏踊りを踊る。
なかには、一行を家の中に呼び入れ、念仏踊りをさせる家もある。
一行は城下の町々を廻り、夜遅くになって、ようやく村里へ帰る。
青年たちの「じゃんがら念仏」の一行は、
磐城平城下にある10か所の「十王堂」を巡り歩くが、
これを「十十王申す」と呼んでいる。(『磐城枕友』より引用)。

お盆の期間中、
近くの村々から、たくさんの「じゃんがら念仏」が押し寄せ、
また、それを見物しようと
大勢の人たちもまちに繰り出し、
まちはごった返しとなった。
これらの人々が作り出す熱気の渦と、
家ごとに焚かれる盆の迎え火、送り火とが相俟って、
磐城平城下は火の海のようになったという。

コメント (6)
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