『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

女性も一緒に「じゃんがら」

2006年07月25日 | 歴史
柳田国男の教えを受け、
いわきの地に民俗学の種を蒔いた高木誠一(いわき市平北神谷生まれ、1887年~1955年)は、
「じゃんがら」を次のように紹介している。

「ジャンガラ念佛
磐城の盆踊は、ジャンガラ念仏が第一である。
この念仏は若衆組でも踊るので、仏宇の縁日、
又は新盆の家を廻って踊るのである。
先づ、この踊の始めは円形になり、
円形の中央には、頸から緒をたれた直径一尺五寸程の長形の太鼓をぶらさげ、
先端に白い毛の附いた七寸程の撥を両手に持ち、
鉢巻、襷がけの太鼓打が二人、乃至、三人入る。
この太鼓打が太鼓を打始めると、其太鼓に和して、
円形の者は頬冠をして、伏鐘をチャンキチャンキと打ちながら、
両足を共に振ったり、前後に振ったりして、円形に飛び廻る。
これをカネキリと云ふ。
鐘と太鼓とで踊る踊りがすむと、
太皷打ちの者だけが円内に残って、太鼓をたヽきますと、
今度は女も交って歌を唄って、手踊をするのである。
其文句は頗る妙なもので、
ハーハイ、モーホーホーイ、ワーハーハーイ、メーヘーヘーダー。
ソレナアー、ハーハーハイ、モーホーホーホイ、メーヘーヘーヲサヨー。
ソレナアーハー、ヨーホーホーイ、メーヘーヘーンダハアー。
と唄ふのである。
これは南無阿弥陀仏の名号のかはったのだそうである。

これらの記述のなかで、特に注目したいのは、
「鐘と太鼓とで踊る踊りがすむと、太皷打ちの者だけが円内に残って、
太鼓をたヽきますと、今度は女も交って歌を唄って、
手踊をするのである」という部分だ。
つまり、「太鼓打ち」と「鉦キリ」による「じゃんがら」の
「ぶっつけ」といわれる部分が終わり、
次に「太鼓打ち」が太鼓を叩き始めると、
「じゃんがら」の輪の中に女性たちが加わり、
歌を歌いながら、手踊りを始めるというのだ。
 女性も一緒に踊る「じゃんがら」を今に伝えている地区は、
極めてわずかになってしまった。
コメント (2)
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