おさむのブログ

日常考えていることや、感じた事を書いています!!

東京思風塾2月例会

2014年02月01日 18時43分09秒 | 自分のこと
今日は平成26年度初めての東京思風塾でした。今回もダダッとまとめましたので、長いですがよろしかったらご覧ください。毎度ながら、文面は私個人の感じるところで書いておりますので、『感性論哲学』と異なる表現があるかもしれません。講義を聴きながらのタイピングですので文脈も整っておりません。。。ご了承ください。

東京思風塾 平成26年2月例会

『過去を断ち切る生き方』

現代は過去の延長線上に未来はない。あらゆる分野において過去にとらわれない生き方。原理的な変革が求められている。激しい変化が求められている。西洋文明から東洋文明へ、世界文明の大変換が行われている。

長い間の西洋文明のアジア支配により、アジアはアジア独特の本来の文明の力を忘れてしまっている。その意味でこれから我々が生きるためには、理性を主軸とした西洋文明の支配から脱却し、感性を主軸としたアジア文明を創造していく必要がある。

≪近代≫
『人間の本質は理性である』という精神原理が近代をつくった。物質的な豊かさや繁栄を実現したが、その弊害が顕著。自然破壊・環境破壊・人間性の破壊・・・これからは『人間の本質はこころである、感性である』という時代にならざるを得ない。全人類が『理性のゆらぎ』に直面している。
『学問』とは、『揺るぎない根拠』

理性というのは、真理は一つとし、矛盾を排除しようとする。画一性を追求し、競争を生み出す。考え方が違うこと許さない。だから争いがなくならない。理性はすばらしい文明を築き上げたが、その反対側にある恐ろしさも顕現している。

子育てもそう、社員教育もそう。矛盾を許さず、画一性を追求し、考え方の違う子供や社員、反抗する子供や社員を理性的に排除しようとしたら、それは『子殺し』であり『社員殺し』だ。そこには愛がない・・・・・あーーーー、おれはこれをやっていたんだとしみじみ思う。

愛とは、矛盾を生きる力だ。考え方や価値観の違う人と共に生きる力だ。『違う』ということは、自分にないものを相手が持っているということ。

矛盾を抹殺しようとする西洋の文化、矛盾を内包しようとするアジアの文化。西洋人は変化しないものを『真』とする。変化するものは偶然であり価値がないものという考え。アジアは『諸行無常』変化しないものはないという文化。変化しないものを願うのは『迷い』という考え。
人間性は神から与えられたものは完全であり、変化しないもの。『目覚めよ』という考え。アジアは、人間とは未熟な存在であるから、その人間性を成長させようとする。
・・・・・西洋とアジアは全く異なる精神原理。

こころとは、理性と感性の統合された状態。『・・・・思う』という表現。こころの時代とは、感性が理性を手段能力として使いこなす時代。

≪未来をつくるために≫
過去って、居心地がいいものだ。未来って不安があったりする。
過去を断ち切り新しい時代をつくるとは、過去の延長線から未来を見るのではなく、未来からいま現在を見る。未来からの思考。因果律から自由律へ

我々人間は、歴史をつくるために生まれてきた。

いのちの構造は有機体である。有機体である二人のいのちから生まれたいのちは相乗効果として存在する。相乗効果とは足し算ではなく未知数である。(ピンクレディーシンドローム・笑)未知数であるからこそ劇的な歴史的変化を生み出す可能性がある。

自分にしかできない仕事(天分)を見つけ、やり遂げて死んでいく。そういう生き方をしたい。天分はすべての人に与えられている。

天分とはいのちの使いどころ。使命。遺伝子とは能力が物質化したものであるから、能力によって顔が違う。顔が違うということはその人にしかできない何かがある、という真実。『カタチは内容の表現である』

天分を自覚的に発見する5つの方法
① やってみたら好きになるかどうか。
② やってみたら興味関心が湧いてくる。
③ やってみたら得手だ得意だと思えるかどうか。
④ やってみたら人よりも良くできてしまう。
⑤ 真剣に取り組んだら問題意識が湧いてくるかどうか。

天分とは潜在能力であるから、努力しなければ出てこない。どうすれば出てくるか。それは『限界への挑戦』からしか出てこない。いま持っている自分の力では何としようもできないから問題なんだ。その問題に直面した時に、万策尽きた時に尚求める時に潜在能力は顕現する。万策尽きてあきらめたら出てこない。問題には必ず答えがある。答えのない問題はない。起きない。
・・・問題を恐れない。問題には意味と価値が必ずあって、その問題は自分が成長するために起こっているんだ、ということを信じることができる。『問題を恐れない』このことが腑に落ちている感覚がある。逃げることも嫌なこともあるけれど、そういう思いで仕事をしているという実感がある。

新しい時代を創造する創造の原理
① 『常識で考える』のではなく、『常識を考える』。
② 現実への異和感という感性の実感。

新しい時代(未来)を創造するといっても、その未来に対する理想を描く力が全人類的に弱まっている。理性に縛られた、科学的思考が未来への創造を弱めた。いま人類に求められているのは、理念理想を探求する哲学的思考が必要とされている。
与えられた現実に適応するだけでは動物と同じだ。人間が人間らしく生きるということは、現実を変えていく、ということだ。だから過去に縛られず、この現実を因果律から自由律による未来の理想を描く必要がある。

≪脱近代≫
過去から学ぶだけであるから『精神的閉塞感』が充満している。近代人類は、釈迦を超えられないキリストを超えられないと信じ込んでいる。過去の偉人の教えや戒律を学んで、その学びを現代に生かそうとするだけである。この精神的閉塞感を打破するためにも、脱近代とは『千古の教場を去るべき時』である。人間は人間らしく生きることが本来の人間の目的であって、神や仏になるために生まれてきたのではない。きれいごとだけでは娑婆は人間らしく生き切ることはできない。矛盾を内包した真実に生きることこそ、人間らしい生き方なのだ。

脱近代。その潮流はすべてに行きわたる。政党政治は脱政党政治へ、資本主義は脱資本主義へ、資本主義経済は人格主義経済へ。人間と経済の関係性は労働で結ばれる。労働は罰・試練であるという古代ギリシャ以来の西欧的思考から、労働とは、人様に喜んでもらうことによって自己の人間性を成長させるという東洋的思考へシフトしていく。
民主主義は脱民主主義へ。民主主義とは権利を主張する。義務すら他者を責める道具とする。権利を主張し他者を責める。職場も家庭も権利を主張し他者を責める。争いが絶えない。
民主主義を超えた新しい時代とは、許しあい認め合うことができる『互恵主義社会』である。

≪過去を変えることができる≫
因果律に縛られなくなると、過去をも変えることができる。たとえ悪しき過去の体験があろうとも、いまより良く生きることができるならば、『あの体験があったからこそ』ということになって、その悪しき過去の体験が生きる。それが過去に支配されない、時間軸に縛られない、過去を断ち切る自由律の生き方である。

『只今誕生』『只今臨終』という仏教の教えは、過去にも未来にも縛られない『いまここ』を生きる極意である。

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これより昨年『生きる 死ぬ』という本を上梓された土橋先生のミニ講演がありました。土橋先生の現代医療に対する異和感。その異和感に対して実践されているお話しは、思風先生の医療界における実践版、といえるようなお話しでした。理性というものがつくり出したのがガンである。ガンとは意識が物質化したものである。病気とは過去を断ち切るためになっているとしか思えない、というお話しは、、、すごいなぁ。

更に思風先生と土橋先生の対談がありました。宗教と哲学の異なるところ等々、深いお話しを拝聴いたしました。ヘーゲルやマルクスの弁証法等々の濃いお話しは・・・・いやいやいや、、、ちんぷんかんぷんでした(^_^;)

ということで、東京思風塾2月例会でした。

ではまた。

おさむ





コメント
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