社長の独り言

資産運用コンサルタントの社長日記です

石橋を叩いて渡ること

2007-10-18 08:48:08 | 日常
日経プレミアムの面白い記事を紹介します。


国公立大学への合格者が急増したことで、注目されている
京都市立堀川高校の校長・荒瀬克己さんは、
より広く人間というものに向き合っている教育者だと思った。

 基礎学力を付けることと、総合学習のような応用力を付けることは、
普通は別のことだと言われている。しかし、本当は同じことで、
探求をしないと学力を付けようというモチベーションは起きないし、
逆に基礎学力がないと探求もできない。
だから、本来はそれが一体のものとして発展していくのが、望ましい。
荒瀬さんはそう言われていた。

 印象的だったのは、できるだけ早く生徒が「失敗するようなしかけ」
を作っておいてあげるべきだということだった。
人が成長するには、失敗することが大事で、
ただ普通に進学校で受験勉強ばかりしていると失敗する機会が少ない。

 ストレートでよい学校へ入ってしまうような子でも、
例えば学校の行事や会議などで、責任を持って運営するという立場になると、
様々ことで失敗を経験する。それはまさに実社会の縮図のようなものだ。
だから高校の時からそういう経験をさせてあげることが最大の教育だと言う。

 堀川高校はいろいろな改革をし、新しい試みをしているのだけれど、
実際はどこかで事前に実施されて効果があると分かっていることばかり
を取り入れている。荒瀬さんは、「石橋を叩いて渡る」
とおっしゃっていたけれど、教育者というのは、
特に学校単位ではもっとも慎重でなければならない。
例えば、探求心を育てると学力も上がるといったことは、
外国の例も含めて全部知られていることで、
それをただ調査してまとめあげただけだとおっしゃっていた。

 つまり、できるかどうか分からない新しいことをやったわけではなく、
「こうなればうまくいく」と予想できるようなことをやった。
これだけ情報があふれているのに、どうやればうまくいくかという
成功事例について、調査しないままに闇雲に新しいことをやったりしがち
だけれど。実は堀川はそうではなかった。

 改革というのはいままでのやり方を否定するところから始まるのではない。
今までの良かったところも冷静に見るということだ。
過去を全否定するというのは科学的な態度ではない。
全部が100パーセント悪いはずがない。

 荒瀬さんは自分のことを「保守的」だと言っていた。
その“保守派”の人が改革をなしとげたところに、
味わい深い意味があるのではないか。

 保守派というのは、つまり過去を全否定するわけではないし、
新しいことにすぐに飛びつくのではなくて、「石橋を叩いて渡る」
くらい慎重にいろんなことを調べて検討した結果、
間違いのないところを採用したという、非常に保守的な態度を取った。
その人こそが、いま問題になっている公立高校を再活性化するという
改革の先頭に立ったというところが、非常に面白い。

荒瀬さんは、「渦中に巻き込まれるといけない」と言っていた。
渦中に巻き込まれると大局的な見方ができなくなるから、
自分はちょっと離れたところから見ているのだと。
ぼんやりと見ることが大事で、そうしないと見えないことがある。

 あと、何事も「決め付けるな」ということをずっとおっしゃっていた。
例えば公立はだめで、これからは私立だとか、よく言われるけど、
公立にもいろいろある。そもそも学校のキャラクターだけでなく、
人間に対しても、「この人はこうだ」と決め付けてしまいがちだ。
これが一番いけないことで、決め付けないで向き合うことが一番大事だ。

 しかし、そのためには自分自身もエネルギーがいるし、
場合によっては自分自身も変わらないといけない。とにかく、
人に対してまっすぐにその人を見ることが大事だ。
これは生徒と教師の関係だけでなく、一般社会においてもまったくそうだ。

 決め付けてみてしまうことでかえってその人の可能性を封印してしまう。
引き出してあげられなくなってしまう。そういう態度を取る人は、
自分自身のことも決め付けて見てしまっているのではないか。
自分はこういう存在なので、この程度なのだと決めてしまうことで、
自分自身を伸ばしていない。

 教育というのは、教師が生徒を引き上げるというのだけではなくて、
教師の側も学ぶプロセスなのだと、荒瀬さんはおっしゃっていた。

紀元会

2007-10-17 06:47:32 | 日常
長野県の宗教法人でイジメによる殺人事件が
起きました。
代表を務める49歳の女性の指示に信者が
暴行を加えたものです。
21名もの逮捕者がでました。

この宗教法人は創始者が1年前に死亡し、
後を継いだのが、今回の容疑者です。
彼女のわがままぶりは相当凄かったらしく、
また、高級外車を乗りまわし、豪遊も目にあまるものでした。
典型的な2代目のバカ子供です。

今回の事件で浮き彫りになったのが、
宗教法人のあり方です。
行政の管轄は文部科学省ですが、
主教法人の現状と管理をどの程度まで把握出来ているのか
が大きな疑問です。
いつも、事件・事故が起こらないと問題視されません。
宗教法人では、教祖といわれる代表は絶対的存在です。
信者は教祖の言いなりです。
ここに恐ろしさを感じます。
つまり、そこには常識や倫理が入り込む余地がありません。
徒に、犯罪行為に繋がる危険が大きいです。

また、宗教法人は税制の優遇があります。
お布施に代表されるように、税金の免除という
大きな特典があります。
これを悪用する輩は後の絶ちません。
弱者の弱みにつけ込み、自分だけ金儲けえを
する悪い輩の温床になっているのです。

文部科学省は宗教法人の設立に厳しい基準を設ける
だけではなく、設立した後の管理、監督を行うべきです。

亀田ファミリー

2007-10-16 00:00:31 | 日常
日本ボクシングコミッショナーは亀田家に対し、
厳しい処分を下しました。
父史郎氏に対しては、セコンドトレーナー無期限の資格剥奪
大毅には、1年間の資格停止という処分になりました。
世間で騒がれていた亀田ファミリーも暫くお休みです。

この問題の背景には、様々な問題が潜んでいます。
一つはメディアの視聴率獲得という問題です。
主にTBSが試合の放送権をもっています。
TBSの放送内容については、相当のクレームが殺到している
様です。
ボクシングで視聴率を稼げる唯一の宝ものです。
放送局が手放すはずがありません。
その為には、些細なことには目をつぶるのでしょう。
また、亀田には話題性もあります。
つまり、メディアの視聴率至上主義に巧く
乗せられたのが、亀田ファミリーです。

次には、父史郎氏は調子に乗りすぎました。
メディアは持ち上げてくれる、
多分裏では相当のお金が動いたでしょう。
「何をやっても大丈夫」位に思っていたのでしょう。
試合前に対戦相手に対するパフォーマンスは
呆れてしまいます。
常識ある大人の発言・態度ではありません。
ボクシングというスポーツであり、
街中の喧嘩と勘違いしている様です。

対戦相手を「ゴキブリ」「いじめられっ子」
などと詰り、試合ではレスリングまがいの投げ技、
多くの反則行為、プロとして失格です。
彼らは、プロレスの「ヒール役」を演じているつもり
でしょうが、本物のヒールは強いのです。
残念ながら、本物のヒールにもなれない
寂しい選手です。

大毅も、口ばかりでただの弱虫でした。
親父の陰に隠れて、悪口を言っている子供と同じです。
友達にいじめられて、親父に告げ口をする
正に、大毅のほうが「いじめられっ子」です。
親父も、そんなバカ息子をもっとしっかり教育することです。
ボクシングの才能があっても、「人」としての資質が無ければ
誰も認めてくれません。
「能ある鷹は爪を隠す」という諺があります、
亀田家には、この意味すら分らないでしょう。



漢字が仲介する日中の絆

2007-10-15 08:28:48 | 日常
宋文洲さんのメルマガを紹介します。


漢字が仲介する日中の絆

宋 文洲

最近、海外旅行先として日本を選ぶ中国人が増えましたが、「日本への印象は」
と聞くと、いつも予想以上に評判がいいのです。

理由を聞くと「街がきれいだ」、「人間が親切だ」などのよくある答えととも
に意外に「字が読めるから」という声もよく聞きます。

僕はよく思うのですが、もし日中間に戦争が無かったら、この二つの国は、た
ぶん最も親近感のある国になっていたと思います。たとえ近隣同士の細かいト
ラブルがあったとしても。

中国で戦争する日本軍の士官が「孫子の兵法」を携帯し、きれいな漢詩で愛国
心を表現していたところをみると、僕はとても複雑な気持ちになります。この
二つの国の間に戦争がなければ・・・と

中国近隣の国々は、漢字を捨てて独自の文字を作ったり、植民地支配者の文字
を取り入れたりしてきましたが、唯一日本は漢字を自国の文化としてうまく取
り入れました。

その中で「国家」、「銀行」、「人民」などの漢字を組み合わせ、新しい漢語
を作って中国に「恩返し」したのは日本のみでした。この流れは今も続いてい
ます。ご存知の方もいると思いますが、最近の中国語では「営業」や「人気」
などの日本発の言葉がそのまま使われています。

漢字を共有することによって漢字で表現されてきた思想や文化も自然に共有し
ています。四文字熟語をはじめ、「井の中の蛙」とか「塞翁が馬」などのもの
の考え方や見方も自然に人々の思考回路の一部になります。

たぶん、この二つの国で生きてきた経験を持たない人々にとって、どの言葉が
中国で作られ、どの言葉が日本で作られたかについてまったく意識していない
と思います。この誰のものかを意識せず自然に使いこなすこと自体が、真の共
有だと思います。

漢字を巡って日中は実に寛容、柔軟かつ公正です。戦争がお互いの国民の心を
傷付けましたが、地球上で、漢字を自国の文字として扱うただ二つの国ですか
ら、年月が流れるとともにその絆は必ず強くなると信じます。

内藤対亀田

2007-10-13 00:39:36 | 日常
WBCフライ級タイトルマッチが昨日行われ、
内藤が大差の判定勝ちを収めました。

試合内容を見る限り、内藤の圧勝でした。
心・技・体全てにおいて内藤が上回っていました。
正に世界チャンピオンにふさわしい内容でした。
正に痛快な勝利でした。
一方、亀田大毅のふがいなさにはガッカリしました。

試合前の饒舌ぶりとは裏腹に、チャンピオンに
まったく歯が立たない戦いぶりでした。
最後はプロレス技まで出す醜態をさらけだしました。
あれだけ、大言壮語していたことを考えると
恥知らずとしか思えません。
ボクシングの試合では、試合前お互いの牽制する意味もあり、
相手に対し過激な発言をすることは良くあることです。
あくまで、それは試合の駆引きです。
本気で相手のことを罵ることはありません。
しかし、亀田は相手を本気で罵りました。
「ゴキブリ」「いじめられ子」
もはや、スポーツでは無く、ガキの喧嘩です。
ガキの喧嘩で、プロのボクサーに勝てる訳がありません。

亀田の親父のマナーも最低でした。
子供と一緒になって、相手を罵っただけです。
彼は、子供をプロスポーツ選手として育てましたが、
「人」としての教育を怠ったようです。
ボクサーとしての資格、品格どころか、
「人」としての品格すらありません。

一流のアスリートは己に勝つことに弛まぬ努力をしています。
相手のことなど気にしていません。
如何に自分の最高の力を出せるかを考えています。
その点においても、亀田は失格でした。
今後、かれがボクサーとして、「人」として
どう成長出来るか?
冷ややかに見ていきたいと思いました。



道路特定財源

2007-10-12 00:03:40 | 日常
悪の温床、道路特定財源。
税金の無駄遣い、公共工事
建設業界と政治家の癒着、闇の政治献金、
これら全てに通ずるのが道路特定財源です。

道路特定財源とは何ぞや?
「道路の整備とその安定的な財源の確保の為に創設されたもの
であり、受益者負担の考えに基づき、自動車利用者の方々の
利用に応じて道路整備のための財源を負担していただいている制度」
と国土交通省は唱っています。
その財源の主なものは、ガソリン税です。
1リットル当りのガソリン税は約54円、
ガソリン代の約40%が税金なのです。
それも、税率が以前の2倍になっています。
その理由は、道路整備を性急に行う為の
暫定措置ということです。

しかし、小泉・安倍政権時代に、この道路特定財源が
余り、それを一般財源化する審議が行われました。
ということは、徴収しているガソリン税が余っている、
つまり必要以上の税を徴収しているのです。
ならば、暫定税率を下げて、ガソリン代を引き下げる
という考えに至らないのは何故か?
そこに、政治と金の問題が出てきます。
つまり、政治家は自分達が当選する為に、
この道路特定財源の金を地元の公共事業に使いたいのです。
そして、その恩恵を受けた特定の建設業者は
その政治家の票集めをします。
裏では闇献金も行います。
潤うのは、政治家と建設業者という構図です。
地方の公共事業を請け負う建設業者を見れば
やたら羽振りのよい振る舞いをしているのが分ります。
つまり、一般国民から巻き上げた税金を
一部の政治家と特定の業者が巻き上げているのです。

今の自民党には、この道路特定財源スキームを
復活させようとの動きが垣間見えます。
金をばら撒いて、来る衆議院選挙を迎えようとしています。
一般国民の知らないところでは、この様な税金の
使われ方をしています。
だから、税金を払いたくない人が増えています。
つまり、無駄な税金を払う必要はありません。
納税は国民の三大義務の一つです。
その代わりに国民は、権利を主張できます。
今こそ、その権利を主張する時だと思います。

冤罪

2007-10-11 09:43:01 | 日常
富山県の柳原さんの再審の判決が
10日富山地裁でありました。
検察の求刑通り無罪が言い渡されました。
強姦と強盗未遂容疑で逮捕され、
服役した罪が冤罪であると確定しました。
2002年に逮捕され、無実を勝ち取るのに
実に5年もかかりました。

2002年4月8日、会社に出勤した柳原さんを
5.6人の男が待っていました。
「ちょっと聞きたい」と言われ
そのまま警察署へ、
いきなり尋問が始まりました。
初めは否認していましたが、捜査員の
威圧に恐怖を感じたそうです。
何時間もの取調べ、精神的な苦痛、
一般の人なら、誰でもくじけるでしょう。
あきらめの気持ちで自白を強要されます。
公判でも、あきらめから事実認定を
覆さなかったのです。

冤罪事件の典型的なパターンです。
以前痴漢冤罪を描いた自叙伝
「ぼくはやっていない」を読みました。
これと全く同じ内容でした。
警察機構の無謀な検挙、人権無視の取調べ
こういう現状がある限り、同じ様な事件は
今後もなくならないでしょう。
日本における人権は欧米諸国の人権に比べ
格段に軽視されています。
根本は江戸時代から続いている
「お上と町民」の関係です。
時代は変わっても、根本は変わっていません。

柳原さんが公演に呼ばれる度に悪夢をそのまま
語るそうです。
「ある日、突然誰の身にも起こりうるものなんだ」
それが、最も伝えたいメッセージだそうです。

生保不払い問題

2007-10-10 09:03:59 | 日常
生命保険会社の不払い問題で、
金融庁が命じた内部調査の結果、
38社、120万件、総額910億円にのぼった。
今年4月に比べると、2倍以上になりました。
根底には、生保業界の体質と行政官庁の
体質に大きな問題があります。

生保業界、特に日本社と言われる
日本の生命保険会社は「売上至上主義」です。
生保レディーと言われる「おばさん」が営業の主流です。
そのほとんどが、親戚縁者、友人、知人に保険を売ります。
ツテが尽きると会社を辞めるというパターンです。
生保レディーの約半数が1年以内に入れ替わるという
異様な職場です。
保険会社のほうでは、辞めても契約が残ればいいという
発想です。
次から次と素人の「おばさん」を入れては、
同じことを繰り返してきました。

この現状については、行政官庁も実態の把握を
出来た筈です。
それを、なおざりにしてきました。
また、外資系保険会社が売上を伸ばしてくると
日本社を守る、護送船団方式を行い続けてきました。
つまり、日本の保険会社は行政により守られ
競争のない市場で、温室の様なことろで
ぬくぬくと育てられたのです。
そのツケが、今回の事態を引き起こした
原因です。

各社とも社長が頭を下げて謝罪していました。
しかし、傷に絆創膏を貼る様な対応では、
根本的な改善は無理でしょう。
業界の体質が変わらない限り、
同じことの繰り返しです。
今も「生保レディー」のおばさん達は
保険を売り続けています。
そのほとんどは1年後には辞めていなくなります。
担当者がいなくなった契約を業界用語では
「孤児契約」と呼びます。
つまり、捨てられた契約と言う意味です。
今でも「孤児契約」が生まれ続けています。

生保会社や行政の「ダメ」体質が明らかになった以上、
契約者も賢くなる必要があります。
「ダメ」なものを買う人も結局「ダメ」なのです。
「自分の身は自分で守る」しかありません。

いのちの輝き

2007-10-09 08:46:43 | 日常
昨夜のテレビ番組「いのちの輝き」を観ました。
世界各国特に、貧しい国で
その国の住民の為に、働く日本人の医療関係者に
感銘を受けました。

アフリカのニジェールという国は
世界最貧国と言われています。
当然ながら、医療環境は最悪です。
まともな病院すら、ほとんどありません。
また、医師の数も少ないです。
こんな状況では、ちょっとした病気でも命取りになります。
また、保険制度も不十分なので、医療費が払えない
というケースも多いです。
この国で、一人の日本人医師が働いています。
彼は、この最悪の医療環境の立ち向かっています。
自分の財産8000万円を投じて病院を作りました。
他の医師は、現地で看護学校を卒業した5人の若者だけです。
日本で言えば、ほぼ素人同然です。
それでも、若者達と一緒に現地の人々の為に
働いています。
その年間手術数は1000件を超えるそうです。

日本では医師法改正に伴い、開業するに当り、
2年間の過疎地域での勤務を条件としました。
これは、過疎地域で働く医師数の減少が際立っていることです。
医師の多くは、都会での勤務を希望している証拠です。
医師の使命とは何でしょうか?
「お金を稼ぐこと」が目的の医師が多いように思えます。
本来、医師とは「人の命を助ける仕事」です。
「赤ひげ」先生と称される様に、
「命」の重みを一番に考える医師であって欲しいです。

ニジェールで働く日本人医師は、正に「赤ひげ」先生です。
報酬などありません。
ニジェール政府から、一度は病院を閉鎖されました。
しかし、彼の熱意により病院は再開しました。
彼の病院には何百キロの道のりを何日もかけて
患者さんがやってきます。
命をかけて来るのです。
彼は医師としてすばらしいですが、
「人」として本当にすばらしいと思います。

非凡であれ

2007-10-05 08:54:54 | 日常
いつも心掛けしていること、
それは「非凡でなれ」です。

人より抜きん出る為には、皆と同じことを
しいていたらダメです。
皆がしないこと、皆より早くが非凡になることです。
出張の際、朝1番の新幹線6時発はとても空いています。
朝6時前の東京駅は閑散としていて、歩き易いです。
車内も空いていてゆったり出来ます。

多くのサラリーマンは朝通勤電車に乗ります。
7~8時台の電車の混雑は異常です。
外国の方は一様に
「しんじられな~い」と言います。
そんな電車に毎日詰め込まれ、
文句も言わない日本人が不思議に思えるのでしょう。
東南アジアの発展途上国、インド、タイなどで
列車の屋根や通路にはみ出して乗っている人を
映像で見ますが、日本の通勤電車の混雑も
欧米の人から見れば、大差がないのでしょう。

日本人は我慢強いと言われますが、
本当にそうでしょうか?
最近の事件等を見聞きすると、
すぐに「キレル」ことが原因の殺人事件が起きています。
我慢・忍耐という言葉が失われつつある様にも思えます。

結局、日本人は皆と同じでいることに安心する国民なのです。
人と同じであることが安心なのです。
いくら混んでいて不快でも、皆が不快なら「良し」とする
国民なのです。
この国において「非凡」であることは
妬み、嫉妬の対象になります。
ある時は、イジメの対象にもなります。
日本で「非凡」でいることにはリスクがあります。
しかし、「非凡」も貫き通すことで、
周囲の見る眼も変わってくるのです。

私は10年位前に、ある方からこの言葉を頂きました。
すばらしい言葉であると思っています。
そして、今でも「非凡」を貫いています。