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レイニ-サイド ハ-パ-ズパブ

金属弦ケルティックハ-プ奏者「坂上真清」の演奏やCDの情報、またこれまでの音楽の動画などを中心に紹介しています。

Turlough O'Carolan 生誕350年目の命日

2020年03月25日 | お知らせ 紹介など

 

 

                   

 

今日3月25日は今年生誕350年迎える

アイルランドの盲目のハーパーで

吟遊詩人 O'Carolan の命日です。


妻に先立たれ死期を悟った彼は

若い時に父親と一緒に働き、

天然痘で失明後はハープを学ばせてもらい

吟遊詩人として送り出してくれた

McDermott Roe 夫人の家を訪れ

そこで多くの感謝の言葉と共に亡くなりました。

 

有名になった後も生涯彼女に対しての

恩を感じていた彼は

タイトルに McDermott の名が付く曲を

現在確認出来るだけでも10曲残していて

それらはすべてその家族の誰かに

捧げられています。

(同じ姓が付くタイトルとしては最多)

 

死の直前奇跡的に4日間意識が戻り

ハープを手に取って弾いた(歌った?)のが

Carolan's Farewell to Music と言われています。

 

ただこれには諸説あり他には

最後に飲んだお気に入りの

杯(ウィスキー?)にまつわる Carolan's Cup、

それを運んできた執事の William Flynn のための

O'Flinn という話も伝わっています。

 

実はこういう類いのエピソードは

O'Carolan の伝記によく出てくるものですが

譜面になっている訳でもなく

録音も出来なかった時代にそれが

どうやって残され伝わったのかいつも疑問です。

 

その場1回限りの演奏では聴いてる人は

詞と曲をすべてを覚えられないだろうし、

誰か採譜でもしてない限り

無理じゃないかと思います。

 

1か所聴き取れなかったので

もう1回お願いします!

なんてまさか言えないだろうし

謎は多いですね  (-.-?

 

彼の遺体は最高のスタイルで

レイアウトされ  (ちょっと見てみたい!) 

別れの宴は数日間行われたそうです。

 

彼の死のニュースは全国に広まり葬儀には

アイルランド中からハープ奏者を含む

多くの人が彼の死を惜しんで

押し寄せたと言われています。

 

この Carolan's Farewell to Music は

沢山の動画がアップされていますが、

まるで O'Carolan 自身の演奏を

聴いている様な錯覚を覚える

Gráinne Yeats の金属弦ハープのシンプルで

コードを付け過ぎない演奏が好きです。

 

彼女は本来はガット弦ハープ奏者ですが

クラルサッハ(金属弦ハープ)の歴史を研究し

古代から伝わるこの伝統的な

楽器を復活させ記録した

最初のプロのミュージシャンの1人。

 

サリーガーデンの詞を

書いたあの有名な詩人

W・B・イェイツの息子の

奥方でもあった人です。

残念ながら2013年に亡くなりました。R.I.P. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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O'Carolan との2ショット写真

2020年02月02日 | お知らせ 紹介など

 

 

       

 

 

今年はアイルランドの最

高名な盲目のハーパーで

作曲家兼詩人の O'Carolan 生誕350周年。

ちょうど100歳違いのベートーヴェン生誕250周年を

祝うイベントは世界中で沢山あると思うので

多少なりともアイリッシュや

ハープに携わっている人は

是非そういう記念の年だという事も

知っておいてもらえたら嬉しいです。

 

今の演奏家は多分400周年は難しいだろうし

現役のタイミングとこの機会が

重なった事に感謝しつつ

今年はすべてのライブで彼の曲を

1曲以上は演奏出来たらと思います。

 

上の画像はO'Carolan生誕の地

Co, MeathのNobber にある

アイルランドで2つめの像。

もう1つは彼の家があった

Co. Leitrim の Mohill にあって

ここはアイルランドに行った時の

2ショットがあります (^^♪

 

    

 

 

    

 

 

    

 

またNobberには彼の名前からとった

O'Carolan College も創立されていて

残念ながらハープ科は無いみたいですが

なんかすごい、偉いなぁ、、、

 

 

あと時々 O'Carolan はいつ頃の人ですか?

という質問を受ける事があって

そういう時には丁度日本で

赤穂浪士の討ち入りがあった頃です。

と答えるんですが

実はO'Carolanは赤穂浪士の

最も有名で剣客だった堀部安兵衛と同い年。

 

  

 

江戸が討ち入り事件で

大騒ぎしていた時に地球の裏側では

O'Carolanがハープを

持って旅をしていたんですね。

 

ちなみにあの大石倉之助は

O'Carolanより11歳年上ですし

四十七士の中には中には他にも

数名同じ1670年生まれの人がいます。

 

彼らは皆若くして死んでしまいますが

何か不思議な感じです。

 

年末によく放送される

忠臣蔵のドラマを見ながら

この時アイルランドではO'Carolanさんが、、

なんて想像するのも楽しいので是非!

 

 

 

 

 

 

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新宿かしわホール"トラッドの会" と 吉祥寺Kuu Kuu"ケルトの風"

2018年05月10日 | お知らせ 紹介など

 

 

 

    

 

この写真はレコードを出す前

ヴァーミリオンサンズたった1回だけやった

アンプラグド・ライブの時のもの。

(レコードとは少しメンバーが違うので多分1986位?)

 


これは当時新宿かしわホールで年2回やってた

トラッド好きな人達が集まるイベントでこの時は

歌、12弦ギター、バロックリュート、

フラウトトラヴェルソという編成。

 


ただ断念ながら音源は残っていません、、

 


このコンサートにはこれ以前と

以後計3回出ていて、

最初は蝋山陽子さんの歌と自分のギターとのデュオ、

3回目は上野洋子さんの歌と

自分のハープのデュオという

どれも思い出深いものですが

残念ながら蝋山さんの時のは

写真、音源共残っていません。

 

 

しかし3回目の上野さんの時は

写真、音源どちらも残されていて

もう随分と時間も経っているし

時効という事で初公開 ♪

 


音源の方も

全曲アイリッシュトラッドを演っていて

今聴いてもその歌が初々しくて素晴らしく

いつか何かの形で公開出来ればと思っています。

 

 

 

  

 

 

 

ちなみに先日ライブ音源を

YouTubeにアップしたSi-Folkのリーダー、

そしてケルトシットルケのプロデューサーで

アコーディオン奏者の吉田文夫さんも

関西から演奏に来ていて実は最初の

ヴァーミリオンサンズがた日が初対面でした。

 


以下の2曲はどちらも

1990年吉祥寺Kuu Kuuのライブ音源で

自分もハープとマウンテンダルシマーで

参加しています。

良かったら聴いて下さい♪

 

イングランドのトラッド

 

 

 ブルガリア~スコティッシュ~アイリッシュのセット

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ゆめのたね放送局 Music Cafe

2017年05月19日 | お知らせ 紹介など

 

 

 

      

 

 

先日シンガーソングライターの

ラスカさんのラジオに出演したんですが

その放送が今日5/19(金)22:30〜からあります。


トークの他に一緒に埴生の宿なんかも

演奏したので是非お聞き下さい。


ネットラジオなので全国で聴けます♪ 


ちなみに再放送は無いそうなので、、 


フェイスブックページ  https://www.facebook.com/lasca88/ 


 

 【ラジオの聞き方】 

1、ゆめのたね放送局で検索 http://www.yumenotane.jp
 

2、東日本チャンネルの三角印をクリック

金曜日22:30~

「Music Cafe シンガーソングライターラスカ」の番組

 

 

 

 

 

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ギターを弾いてたスナフキン 西本裕行さん

2015年04月24日 | お知らせ 紹介など

 

 

   

 

 

ある年代以上の人にとっては

馴染み深いギターを弾くスナフキン

その声を担当していた

西本裕行さんが亡くなったそうです。

 

謹んでご冥福をお祈りします。

 

自分はスナフキンが好きで

彼に捧げるワルツを作っているんですが

他にもムーミンキャラの為に曲を作っていて

それらをムーミン3部作と呼んでいます。

 

スリーラビリンス 3つの迷宮  には

スナフキンの ワルツフォースナフ

 

ハンドリオンの 森のサーカス夜奏会  には

ミムラ姉さんの ブルーベリーポルスカ

 

そして CELTSITTOLKEVol.5 という

オムニバスCDには

ホムサトフトの ホムサnoポルカ

すべてアマゾンで発売中なので

良かったらお聴き下さい ♪

 

ワルツフォースナフと

ブルーベリーポルスカは

主要サブスクでも配信しています。

 

以下に紹介するリーラビリンスの

ワルツフォースナフ のライプでは

最初にスナフキンが

いつもギターで弾いていたおさびし山の曲を

ハープで演奏しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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アイリッシュハープフェスティバル開催によせて ~ティアラこうとう追想~

2015年04月02日 | お知らせ 紹介など

 

 

 

 

  

 

 

 

今週末に開催される

東京アイリッシュハープフェスティバルは

非クラシックの純粋な

アイリッシュハープ奏者が集う

この規模としては日本初となるものですが

すでにチケットは完売している

との事なので告知ではなく

会場となるティアラこうとう(小ホール)

との想い出について少し書いてみようと思います。

 

 

自分は今までに

3回ティアラこうとうで演奏していて

その最初が1枚目のソロCD

クラルサッハ の発売記念コンサート。

 

 

 

 

  

この時は最初から最後まで

ジャケやフライヤーに写っている

中世ケルティックハープの

レプリカを1人で演奏したんですが

音量がとても小さなハープにも関わらず

音が響くのもあってマイクを

使わなくても問題は特にありませんでした。

 

何故ティアラこうとうだったのかは

はっきりと覚えていないんですが

多分CDを制作した事務所の人が

何かで見つけてきてくれた様な記憶があり

この記念コンサート以来

ここ ティアラこうとう は

自分にとって生涯特別な場所になりました。

 

 

 

2回目はアイルランドの女性ゲーリク詩人 

ヌーラ・ニー・ゴーノル さんの

詩集「ファラオの娘」翻訳本の発売記念イベント。

 

 

 

 

何故これに自分が参加したかと言うと

本の付録としてヌーラさん自身による

ゲール語の詩の朗読CDが付いていて

そのバックで クラルサッハ 

の音源が使用されたからです。

 

この時は今も使っている

ロレインのハープで3人組ユニットでの演奏、 

そしてヌーラさんの詩の朗読、

最期は朗読とハープのジョイントでその際に

彼女が1曲アイリッシュゲーリックソングを歌い

その伴奏をしたのが今では

この時の最も印象深い想い出かも知れません。

 

確か詩人の佐々木幹郎さんも

ゲストでいらっしゃってました。

 

 

 

そして3回目は語り手の

櫻井美紀さんが企画したコンサートで

スコットランドのハープを弾きながら語る

現代の吟遊詩人ニック・ヘネシーさんと共演。

 

 

 

 

 

この時は昼、夜の2回公演で少し内容は違ってたんですが

(詳しくはフライヤーに)

とにかく初めて目の前で実際の

ストーリーテリングを

見る事が出来て感動したのを覚えています。

 

櫻井美紀さんは残念ながら

数年前にお亡くなりになりましたが

ニックさんは昨年も日本に来て宇都宮の

妖精ミュージアムなどで演奏したそうです。

 

また余談ですが自分の曲に

ラスモアというのがあって

これは当時櫻井美紀さんと一緒に行った

語りとハープのコンサートで

アイルランドの妖精話 

ノックグラフトンの伝説 を取り上げた際

その主人公 ラスモア の曲として作ったものです。

 

 

以上がざっとですが 自分と ティアラこうとう 

との想い出みたいなものです

 

そして今回またこの様な

イベントがこの場所で開催され

自分もそれに参加して

懐かしいステージに上がるというのも

何か不思議な縁を感じざずにはいられません。

 

この日は今後の日本アイリッシュハープ史においても

永遠に記憶される一日になる事でしょう。

 

 


 

 

 

 

 

 

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スコットランドの歌と語り ~現代の吟遊詩人ニックヘネシーと櫻井美紀さん~ 

2013年11月29日 | お知らせ 紹介など

 

 

 

    

 

8月に FEOE (フェオエ) が出演した

「オキャロラン音楽祭」が開催された

宇都宮の妖精ミュージアムで

11月30日 ハープ奏者で語り手でもある

現代の吟遊詩人ニックヘネシー氏を招き

名誉館長で妖精研究の第一人者である井村君江さんが

アーサー王の物語を語るという

イベントが開催されます。

 http://www2.ucatv.ne.jp/~ufairy-m/

 

実はニックヘネシーさんとは

2002年にティアラ江東の

故 櫻井美紀先生のイベントで御一緒しました。

 

プログラムを見ると数曲一緒に演奏していた様です

 (はっきり覚えてない ^^;)

 

 

この時はティアラ江東 昼 夜 2回公演

という結構大きなイベントで

自分と櫻井先生とで一緒に

アーサー王伝説をやったんですが

今回ミュージアムでも同じ内容というのも

不思議な感じがしています。

 

ニックさんは多分その後も

日本に来ているとは思いますが

今回またこうして自分とも縁のある

妖精ミュージアムに来るというのも

何かのめぐり合わせかもしれません。

 

きっと素敵な歌も聴けると思いますよ

 

見た目も雰囲気があり中世から

タイムスリップしてきたかの様でした。

 

櫻井先生は数年前にお亡くなりになりましたが

またニックさんがこうして日本に来てくれた事を

きっと天国で喜んでいらっしゃると思います。

 

あとミュージアムHPのスタッフブログでも

今回のエピソードを書いてもらいました。


Mさん ありがとう。


もし良かったらこちらもご覧下さい。

 

http://ufairy.seesaa.net/

 

当時のフライヤー 拡大版

   

 

 

 

 

 

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チーフタンズとの想い出

2012年12月03日 | お知らせ 紹介など

 

 

  

 

チーフタンズ が来日中という事で

各地で行われている

コンサートも盛況の様です。

 

もう何回目の来日になるのか

正確には分からないけど

かなりの回数になる事は確かで

ここ最近ではいつも もうこれで最後か、、

なんていう話も出たりします。

 

正直に言うと ハープの

デレクベルが亡くなった時点で

自分にとってのチーフタンズ

は終わってしまいました。

 

当時の彼らを

知っている人にとってデレクベルは

チーフタンズのアイコン的存在

だったのではないでしょうか?

 

見かけによらずステージでは

1番笑いをとるパフォーマンスをして

実際に会った時も 何人もの女性に

アイルランドに一緒にいかないか  なんて

勿論冗談めかしてだけど

言ったりしてたチャーミングな人。

 

そして何より自分に

オキャロランの音楽の存在を

教えてくれたのもデレクベルでした。


多分オキャロラン曲集のレコードを

最初に作った人ではないかなぁ。

 

 

チーフタンズが初来日したのは1991年

細野晴臣が企画した

ワールドミュージックシリーズで

たしかアフリカのバンドとの対バンとして

テントみたいな所で演奏していたと思います。

 

勿論聴きに行ったんですが 

それまでプログレ時代を引きずって

ハープに色んなエフェクターをかけて

不思議な音にして演奏していたのを

生で聴いた演奏に衝撃を受けて以後

一切そういう事は止めて

ハープの音のみでの演奏スタイルに

切り替えたという

そういう意味での恩人でもあるんです。

 

 

2回目は今も続いている

アイリッシュキャンプで

有名な高島町が招聘して

それに付随して東京などでも

演奏してました。

 

そして自分が1番チーフタンズの

来日に深く関わったのは

3回目の来日の時で

当時のアイルランド大使シャーキーさん公邸に

よく演奏に行ってた関係もあって 

レセプションパーティーに行ったり

記念イベントで渋谷のお店でライブをしたり

渋谷パルコでの彼らのコンサートでは

アンコールで一緒に演奏したりしました。

 

 


デレクベルもマーティンフェイも

まだ現役で演奏していた黄金期チーフタンズの

最後の時期になる彼らを間近で聴けて

しかも一緒のステージに立てたのは

今思うと本当にラッキーだったなと感じます。

 

 
その数年後にデレクベル 

そしてマーティンフェイの訃報を

受けた時は本当に残念でした。

 

 
ここからは今回紹介する

写真に関しての少し説明を 。

 
まずは大使公邸での

レセプションパーティーの様子。


写真下が日付91年となっていますが

これは何かの間違えで

1994年だったと記憶しています。


でも皆 若い!


写真にもある様に高石友也さんも来ていました。

 

そして途中に暗めの写真が2枚ありますが

これは一緒に演奏した

パルコでのコンサート前の楽屋で

何と置いてあった自分のイブを

デレクベルやマーティンフェイ、ケヴィンコーネフ 

が触り始めて

急いでシャッターを切ったんだけど慌てすぎて

フラッシュが出なかったという・・・  

 

さすがに撮り直したいからもう1回弾いて 

なんて言える訳もなく

こんな写真になりました ハイ。


そして後半は前に こちら で紹介した

この前年にアイルランドに行った時

ウェストポートのマットモロイの

お店で演奏させてもらった時の写真

 

残念ながら本人は居なかったんですが

風邪ぎみだった自分に

奥さんのジェラルディンさんが

ウィスキーにオレンジを入れた飲み物 

(日本の卵酒、笑) を作ってくれました。

 

そしてこのジェラルディンさんとの

2ショット写真をレセプションの時

マットモロイに見せたらとても喜んで

「自分も風邪ひいた時はアレを飲むんだ」 

て言ってましたね。

 

その後ジェラルディンさんも

亡くなってしまいました。

 

写真に写ってる何人もの人がすでに

他界してしまっているという事実に

年月を感じてしまいますが 

そんな事も心にとめてご覧下さい。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

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別冊宝島「レッド・ツェッペリンを聴け!」インタビュー

2012年06月18日 | お知らせ 紹介など

 

 

            

 

 

別冊「宝島」レッドツェッペリン特集に

記載された自分のインタビュー記事を

このブログで紹介します。

 

ロックとトラッドの間に

レッドツェッペリンを置くと

それが1本の線で結ばれますが

そういう彼らが本来持っていた

ケルト~トラッド的な側面を

より浮かび上がらせようとする内容です。

 


英国ロック好きだった自分が

何故ケルト~トラッドの

世界に興味を持ったか?

 

そして結果的に何故ケルティックハープを

演奏するに到ったか?

とよく質問される部分にも答えています。

 

尚文中に出てくるルネッサンス 

というバンドは元は同ヤードバーズ

というグループから発生した

ツェッペリンとは従妹関係にあたる

自分のフェイバリットグループです。

 

以下本文をそのまま

スキャンして載せています。

タイトルの ””幻惑されて”” 

はライターの人が付けたんですが

分かる人には分かる いいタイトル ♪

 

 

 

    

 

 

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

                                                                

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~          

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

             ~~~ 終 ~~~

 

 

 

 

 

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シャーキー駐日アイルランド大使の想い出

2012年03月20日 | お知らせ 紹介など

 

 

         

 

 

先週の土曜日はセントパトリックスデーという事で

あいにくの天気にも関わらず各地で色々なイベントが

催されたのではないでしょうか。

 


自分もアイルランド音楽を専門に演奏していた時には

様々な所で演奏をしていましたが

中でも毎年この時期になると思い出すのは

当時の駐日アイルランド大使

ジェームズ・シャーキーさんの事です。

 

多分 今の大使の前々任者位だと思いますが

音楽をはじめとする芸術方面に関心の高い方で

日本とアイルランドの友好を深めようと

様々な事を自ら率先して

動いていたと記憶しています。

 

 

今ではすっかり定着したセンパトのパレードも

シャーキー大使の在任中に

大使公邸のある六本木で初めて開催されました。

 

おそらくそれに関しては

大使の意向が大きく影響していたはずです。

 


そしてご自身ドニコール生まれという事もあって

伝統音楽にも関心が高く

中でもハープがとても好きな方でした

 

何がきっかけだったか記憶が

定かでは無いんですが

ある時期から何かと声をかけていただいて

六本木の公邸に行く機会が増えました。

 

多い時は1年に5~6回位は行ってかもしれません。

 

皇族方を招いての催しや

チーフタンズやジェームス・ゴールウェイなど

来日したアイルランド関係者の

レセプションパーティー

中には小泉八雲の子孫の人を呼んでの

イベントなんていうのもありました。

 

そして毎年セントパトリックスデー当日には

六本木の公邸を解放してパーティーがあり

昼と夜 各2~3時間ずつ

沢山の関係者や著名人を招待していました。

 

お客さんは基本的にその間の出入りは自由で

各自都合のいい時間に来て

好きな時間に帰るというスタイルです。

 

また立食形式なので皆さん自分でお皿を持って

食べ物や飲み物を調達していたと思うんですが

自分にはその公邸の部屋の一画で

ハープを演奏して欲しいという要望で

2~3年の間 毎年3月17日には

ハープを持って伺ってました。

 

テレビで知ってる人から

演奏中突然声をかけられ楽器の事を聞かれて・・  

なんていう事もあったり楽しい経験でした。

 

そして現在も続いているエメラルドボールにも

同じくハープを演奏しに行ってました。

 

思い出深いのは ご招待客として

秋篠宮ご夫妻がいらしてて

多分丁度ご結婚するかしないか

という時だったと思うんですが

世の中 紀子様ブームみたいな感じになっていて

マスコミが大勢押し寄せて

ホテルの外に待機していた事です。

 

自分はそれをしり目に

緑のドレスに金のハープのブローチをつけた

まだ若かった紀子さんを間近で見られました

 

ご夫妻には2度お会いしたんですが

2回目の時には ハープやその時に一緒だった

アイルランドの女性歌手メアリー・ダンが持ってた

バウロンについてもご質問されたりしてましたね。

 

あとセンパト関連以外で何と言っても印象深いのは

皇后陛下を公邸にお招きして

"俳句を詠む" みたいな催しに

ハープを演奏しに行った時の事。

 

まず全員揃って部屋で待機してて

そこにお付きの人が

まず先にエレベーターで上がってきて

「ではこれからいらっしゃいますので」

と言いに来た後 大使を含む全員で

エレベーターの所に並び

扉が開いて皇后様が出てくるのを待つという・・・

 

何だ知らないけど

えらく緊張したのだけははっきり覚えてます ^_^;)


まず最初に大使が挨拶した後

大使自身がそこに並んでた1人1人を

美智子さまに紹介してくれました。

 

他に多分有名な

俳人だと思われる人や学者などが数人いて

皆で俳句を詠み合うんですが

確かほとんど日本語が喋れなかったはずの大使は

じっとそれを聞いてました (笑)

 

そして途中の休息時間に 自分と先にも紹介した

メアリー・ダンとで演奏を歌を披露するという趣向。

 

すぐ前のソファーに座ってる皇后様はじっと聴いていて

終わってからは拍手をいただき

「自分もアイリッシュハープを持っていますがあまり弾いてません」

みたいな事をおっしゃってて

ご自宅では主にピアノを弾く みたいな事も言ってました。


その後の立食の時間には

直接話をする機会もありとてもいい思い出です。

 


この企画は大使側から宮内庁に申し出たらしく

形としては公務では無くプライベートの活動になるので

宮内庁からはあまり他言はしないで欲しい

みたいな要請があり

公に話すのは実はこれが初めてです。

 

でもその割には乗ってきた車の前後には

厳重にパトカーが着いてて

かなり目立ってたんですけど、、笑

 

まぁ しかしもうあれから

随分と長い年月もたっているし

当時はブログだとかツィッター

なんていう概念も無かったので

もう解禁してもいいのではと思っています。

 

また個人的な事ですが 

母方の祖父は実は自分が

生まれる前に亡くなったんですが

何と宮内庁に勤めていたことがつい最近判明して

じゃあ ますます いっか みたいな 、、、笑

 

でもこうして色々思い出してみても

シャーキー大使にはご自身が持ってた

アイリッシュのレコードをお借りしたり

本当にお世話になったなぁ という実感です

 

大使が就任していたこの時期に東京で最初の

アイリッシュパブが出来

初の本格的なアイルランド演奏家の

コンサートが開かれたりと

日愛の関係にとっても

エポックメーキングな時期でした。

 

そしてまさにそういう時に

シャーキーさんが駐日大使を務めていたというのは

まったくの偶然とは思えません。

 

もし別の 音楽にも興味が無く

あまり積極的に動かない人だったら

随分と違った状況に

なっていたのではないでしょうか。

 

現に数年後 別の大使に変わってから

一時期停滞ムード 

みたいな感じになったりもしました。

 

シャーキー大使の遺産と言ってもいい

センパトのパレードも今では日本中に広まり

当時では考えられないほどあちこちで

アイリッシュ音楽が演奏され続けています。

 

シャーキーさんが

今どうされているのかは分かりませんが

いつかまた日本に来てもらって今の盛り上がりを

是非観てもらえたらなぁ なんてつくづく思います。

 

きっとご自身 誇りに感じてもらえるはずですからね。

 

 

髭をたくわえた貫禄のある方がシャーキー大使で
横にいるアジア系の女性は大使夫人

 

 

 

 

 

 

 

 

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オランダの雑誌「FOLK HARP FOLKS!」インタビュー内容

2009年04月14日 | お知らせ 紹介など





    



オランダの「FOLK HARP FOLKS!」

というハープ雑誌にインダビューが載りました。

 

 

先日 こちら で紹介した オキャロランの世界 

のCDレビューを載せてもらった。

NEW FOLK SOUNDS とは名前が違っているので

別の本だと思いますが

とても自分のCDを気に入ってくれている

ライターがいてその人から

今回インタビューを受けた形です。

 

先方が言うにはオランダの

トラッド好きなハープ奏者は

ほとんどが読んでいる雑誌という事で

これに載ればあなたはオランダで

有名になれる!と言ってました ^^

 

でも演奏している人達が読むという事で

結構細かい内容の質問もあったので

このブログを読んでいる人にも

きっと興味ある事かもしれないと思い

紹介しようと思います。

 

しかし送られてきたのを見てみたら

当然の事とはいえすべてオランダ語なので

メールでやりとりした英語での

Q&Aの方を紹介していきますね。

 

部分は送られてきた英語で、

答えは日本語の表記になっています。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

   ●  Can you tell me a short brief biography?

Q   Are you a trained musician?

A    何か特別にというものはありません。

     

Q   Which instrument(s) did you learn to play

A    5歳の時にオルガン教室に通い14歳からはギターの演奏を始めました。

 

Q   Where did you learn them to play ?
 
A   ギターもハープも独学で様々な演奏家のレコードや海外から
      取り寄せた楽譜などで覚えました。
      日本にはハープ奏者は沢山いますがほとんどはクラシック音楽の人で、
      自分が始めた当時伝統的なスタイルで演奏するアイリッシュハープ 
      の先生はいませんでした。
 
  

Q   You played Symphonic Rock in Vermillion sands. Was this your first band?
 
A   10代の頃にはビートルズをはじめいろいろな音楽のコピーバンドをやっていましたが
     オリジナル曲を演奏してレコードにしたのは「ヴァーミリオンサンズ」が最初です。 
 
 
 
Q    Which instruments and which albums (Vermillion sands)
 
A   エレクトリックギター、12弦アコースティックギターがメインで
      後半はハープも演奏しました。バンドで参加したレコードは

・ WATER BLUE  LP 1987 MADE IN JAPAN RECORDS
・ WATER BLUE  CD 1989 MADE IN JAPAN RECORDS 
・ WATER BLUE  CD 1999 MUSEA FGBG4293 
・    7 DAYS OF A LIFE CD 1993 MUSEA

 

Q   What did you do after that.

A   自分は1991年頃にアイリッシュハープの演奏に専念するためバンドを辞めました。
     その後何人かのメンバーは断続的にバンドを続けていましたが
      4年前にボーカルの女性が亡くなってしまい活動停止になりました。
      Vermillion Sands HP

 

 

   ●   About the folk music
     
Q   Why did you change to the Irish harp and when
 
A   元々イングランドの伝統音楽が好きでバンドでもそれらの曲を演奏していたのですが
     実際に伝統的な楽器も使ってみたら面白いという事になって
     ギターと同じ弦楽器という事でハープを使い始めました。
     たぶん1986年だったと思います。

 


 
Q   It’s not common that someone from Japan is interested in Irish/Celtic Music.
    What is so attractive in Irish/Celtic Music
 
A   1990年位から日本ではエンヤのヒットもあって
   アイリッシュ音楽を好きな人達が増えてきてました。
      アイルランドに本部を置くCCEの日本支部もありますし
      セントパトリックスディには各地でパレードも行われています。
      日本人はメロディーにとても敏感なので
      美しい旋律が受けるのではないでしょうか。

 


Q    It seems to be that Celtic music is quite popular in Japan.  
      Why. What is the common sence?

A   音楽について言えば実は音階的に日本の伝統的な音階とアイルランド
     の音階には類似点が多く、日本の年寄りの人が始めて聴く
     アイルランドの音楽に懐かしさを覚えるというのはよくある事です。
   逆に自分がアイルランドに行った時に日本の音楽を演奏したら
     年配のアイルランド人に喜ばれた経験もあります。
     日本では ダニーボーイ や ラストローズオブサマーなどが
     人気があり、それらを日本の曲だと思っている人も多いです。

 


   ●   About Your Play

Q  Where did you learn to play the harp. In Japan? 
     Abroad. Did you have lessons?
  Lessons or Courses from Irish/Celtic musicians?  
 
A   自分は先生に習った事はなくいろんな演奏家のレコードから学びました。
     ビデオなどはあまり見ません。
 

 


Q  Which Method (or books, video’s, DVDs) did you use.
 
A   楽譜はハープ用のよりは一般的なセッションチューンの楽譜をよく使います。
     あとはコンプリートで出ているオキャロランの曲集などです。
     装飾音や伴奏などを自分で考えられるのでより演奏しやすいためです。

 


 
Q  What harp do you play
     (maker, type, number of strings, kind of strings, tension etc)
 
A   今メインで使用しているのは Stoney End の 29弦のハープで
      2枚目のCD「Last Irish bard」はすべてこれで演奏しています。
      低音はブロンズ、高音はスティール弦を張っています。
      テンションは普通の金属弦のハープよりやや緩くしています。 

     他には Dusty Strings の26弦のハープも持っています。
     またスコットランドの Tim Hobrough に製作してもらった
      Brian Boru ハープのレプリカも持っていて 
     1枚目のCD「Clarsach」はすべてこれで演奏しました。
     29本のブラス弦を張ったものです。

 

 

Q   What kind of technique do youn use (playing with fingertops, nails,)
 
A   通常は爪を使って弾いていて右手はTriplet  左手はDamping をよく使います。
 

 


Q   Where did you learn the Irish Tunes/ melodies?
   From written music, listening to cds. …???
 
A   楽譜とCDがほとんどです。

 

 

Q   How do you select your repertoire
 
A   その時に弾きたいと思った曲を覚えます。
     コンサートなどがある時はそれ用に新たな曲の練習はします。

 

 

Q  Why the special interest in O’Carolan?
 
A   初めて聴いたアイリッシュハープのレコードがオキャロラン集だった為
     ハープを弾きたいと思った動機がオキャロランの曲を
     弾けるようになりたいという事でした。
     彼の音楽には伝統的なアイリッシュ的な部分とそれ以外の要素
     (バロック音楽的な部分)などが混ざり合いとても興味深いものです。
     伝えられている彼のパーソナリティーも好きです。

 

 

Q Who are your examples (names of musicians, bands, ..)

A   ハープ奏者に限ると初めて買ったケルティックハープのCDの
      Patrick Ball やAlan Stivell.  Sileas .Paul Dooley  . Katrien Delavier ,
      Siobhan Armstrong ,  Ann Heymann , Alison Kinnaird などが好きな演奏家です。
      他にはフィドル、コンサーティーナなどが好きですが 
      きりが無いのでやめておきます。

 

 

Q   Did you have a certain ‘sound’ in mind when making the album?
 
A   全体を1つのサウンドで統一したいとは思っていました。
      Last Irish Bard ではそれを実現するために録音に1年近くかかりました。

 

 

Q   Where and how did you record the album?
 
A   最初はスタジオを使って録音したのですがエンジニアの人に
     自分の理想のサウンドを理解してもらうのに苦労したので
     結局自分で録音機材を揃えてすべて録音し直しました。
     ミックスやマスタリングも自分でやったので時間がとても
     かかってしまいました。
 

 


Q   You did compose some tunes your own on the album.
    If you hadn’t mention that, no one would have discovered that
      they weren’t Carolan tunes.
      How do you manage to get the music of you sounds as being a Carolan.
      composition     
      (Or what’s the strength of your arrangemenets)

A   長年アイルランドなどのケルト音楽の演奏を続けているとそれらの要素が
     自己の中で消化されて自分の音楽として感じられてきます。
     そういうふうになるまでには長くその音楽に接していなければなりませんが。
     そしてその段階になったら今度は自分の中から自然に湧き出てくる音に
     素直に従って曲を作っていきます。

     それがケルト的なものなのか日本的なものなのかは
     リスナーの判断に任せていますが、
     もしそれらがおっしゃる通りオキャロランの曲の様に
     聞こえるようなら自分としては とても嬉しく感じます。

     ハープソロのアレンジに関しては曲が出来る段階でその曲のアレンジも
     ほぼ同時に出来上がるという感じなので
     あまり深くは考えた事はありません。

 

 

Q   You did record a solo album. Are you performing solo? 
      Do you perform or are there plans to perform with a band as well
 
A   最近はソロよりも3人位のユニットで演奏する事が多いです。
     (フィドルやホイッスル、アコーディオンなど)
     ただ人数が増えるとレコーディングも大変なのでまだ
     そのユニットでのCDの予定はありませんが是非実現したいと考えています。
 
 


 
Q  Is the harp your main instrument now and can you be a professional
       musician playing harp in Japan.

A   今演奏しているのはハープだけです。
     自分の仕事の中心はハープの演奏とレッスンです。
     日本でもクラシックのハープ奏者ではないケルティック音楽を演奏する
     ハープ奏者は増えてきましたが、
     自分の演奏スタイルは独特な為同じタイプの演奏家は他にはいない様です。

 

 

Q   What are your future plans (cds, recordings, touring aso)

A   今やっているユニット(オリジナル曲中心)のCDは是非作りたいと思います。
     ソロとしてはまたオキャロラン集Vol.2 みたいな感じで作りたいのですが
     もし作る場合は何かテーマを決めてやれればと考えています。
     演奏は日本でやる事が多いのですが何か機会があれば
     外国にも行けたら嬉しいです。

 

                                    ~終わり~



































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グレンミュージック通信 インタビュー

2008年11月12日 | お知らせ 紹介など

 

 

 

 

 

 

関西方面で長年

アイリッシュ音楽に携わっている

吉田文夫さんが主催する

グレンミュージックが

不定期に発行している

「グレンミュージック通信」の最新号に

自分のインダビューが載っています。

 

全部でも4ページほどの小冊子ですが

ハープを始めたきっかけや

思い出などについて答えました。

 


他にも吉田さんと関西周辺の

アイリッシュミュージックの歴史みたいなコラムや

日本人アイリッシュプレーヤーの

お勧めCDなども紹介されていて興味深い内容です。

 


ご自身がアコーディオン奏者という事もあり

主にアコーディオンを中心とした楽器や

アイリッシュのCD、楽譜などを取り扱っていて

また希望者には「グレンミュージック通信」

や商品リストも送ってもらえる様です。


興味のある方はグレンミュージックの方に

問い合わせしてみてはいかがでしょうか?

 

グレンミュージック  glen@ce.mbn.or.jp

* ホームページはまだ無いとの事です

 

 

 

 

 

 

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マットモロイのお店にて ジェラルディンさん

2008年10月04日 | お知らせ 紹介など

 

 

    

 

 

元ボシーバンドで現チータンズの

アイリッシュフルート奏者

マット・モロィ夫人のジェラルディンさん

が亡くなられたそうです。

 

今から15年前アイルランドに行った時に

メイヨー州のウェストポートにある

マットモロイのパブ

マット・モロイズに立ち寄りました。

 

あいにくモロイ氏は不在でしたが

奥さんと息子さんがお店を切り盛りしていて

聞いたら 「主人は今夜は戻るから」

と言われたんですが

残念ながら時間が無くて

会う事は出来ませんでした。

 

実はこの時しつこい

アイリッシュ風邪にやられていて

ジェラルディンさんが

「そういう時はこれがいいのよ」 と

あったかいウィスキーに

レモンか何かを入れた。

飲み物を作ってくれたんです

 

元々アルコールは強くないのですが

せっかく作ってもらったので

勿論すべて飲みました。

 

多分日本で言う

たまご酒みたいなもんなんでしょう。

 

後に日本にチーフタンズが来た時

のレセプションパーティー

M・モロイに会う事が出来この事を話したら

「あ~ アレはよく自分も飲むんだ」

みたいな事を言ってました。

 

モロイファミリーの

風邪特効薬という所でしょうか。

 

またその時 奥さんとの

2ショット写真も見せたら

随分と喜んでくれて翌日渋谷で行われた

チーフタンズのライブのアンコールで

一緒に演奏しようと誘ってもらい

ステージにも上がる事が出来たんです。

 

ジェラルディンさんはまだ若かったはずです。

 

多分世界中からマットモロイズを

目指して集まってくるファンにも

ご本人がいろいろと対応してくれて

いたのではないでしょうか

 

またM・モロイ本人も随分と力を

落としているのかもしれません

 

ジェラルディンさん

あの時はありがとうございました

 

謹んでご冥福をお祈りいたします
 

 

 

マットモロイズの前で

 

 

見慣れたジャケットが飾られている中 演奏もさせてもらいました

 

 

 

 

 

 

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