オショロコマの森ブログ5

渓流の宝石オショロコマを軸に北海道の渓流魚たちと自然を美麗画像で紹介します、

利尻島のアメマス多産渓流は......

2014-10-03 01:30:05 | 渓流魚、蝶、自然
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利尻島のアメマス多産渓流消失

2009-9-26 (土) 晴れ

利尻島で、現在唯一孵化場のあるA川に入ってみた。




孵化場のコンクリートプールには水がなくゲートに鍵がかかっていた。それでもサケは多数遡上しており、狭くて浅い渓流では足下に群れるサケがじゃまで釣りにはならない。

水量が少なくサケの腐乱死体が多くて鼻が曲がるような悪臭だ。産卵行動後、斃死したサケの死体が一杯。







それでもダム下などでアメマス稚魚、幼魚を各一匹釣り撮影した。以前と比べると河川環境は比較にならないほど悪化して川の周辺の自然がきわめて貧弱になっている。






この渓流は従来オショロコマは見たことが無く、今回もオショロコマは発見できなかった。





かってアメマスが多産したアフトロマナイ川はおびただしい数の砂防ダムで無惨な死の川となりこの季節は完全に涸れ川になっていた。


30数年前、この渓流で美しいギンピカの良型アメマスを入れ食い状態で釣っていた私はあまりの変わり様にぶったまげてしまい、声もなかった。




ことの始まりは、H1-2年に、たまたま~317mm/dayのすざまじい集中豪雨があって土石流が発生し約1億円程度の漁業被害があったとして、このきちがいじみた巨大工事が始まったらしい。

工費は当初の被害額1億円などという規模を遙かに通り越して、いまや想像を絶する超巨額になっているだろう。

例によって地域住民の生命財産をまもるためというのが理由だが、当時この渓流の流域には老人の住む家が唯一軒しかなかったはずだ。

このおじいさんは、いつも岸辺の生け簀に、30cm前後のアメマスを数匹入れていて、時々焼いて食べると話していたのを思い出す。

その後、H8 , H11, H18, H19 と大雨が降るたびに大規模土石流が発生するようになり、せっせと造った砂防ダム群はその都度全部埋め尽くされる形で土石流が道道や河口に流出し工事の効果はまったくなかった。

もともとこの川の源流域には大規模な崩壊地域があり我々日本人が渡り住む以前、遙かな昔から絶えず大量の土砂が自然産生されて川に流れ出してきていたと思われる。

当然、川床には毎年流れ込んでくる不安定な土砂が際限なく堆積している。

雨が降れば、その都度おおいに暴れる川であったことは想像にかたくない。

たまたまH1-2年に目についた土石流を錦の御旗に、工事がはじまった。

その結果、こんな巨大砂防ダム群を造ったばかりにダムでせきとめられ極限までたまりきった大量の不安定土砂が大雨のたびに一気に流出して、さらにはではでしい形の土石流を繰り返すに至ったものである。



つまりH2年度以降頻発する土石流は完全に人災と言っても過言ではなかろう。

多くの反対運動にもかかわらず強引に建造された二風谷ダム完成後、かえって洪水が増えたのとよく似ている。

一見壮大にみえるこれらアフトロマナイ川の治山構造物は、大雨時にはまったく無力で屁のつっぱりにもならず、今後とも、より大規模な土石流は必発と言えよう。

この上、今現在もH24年までの完成をめざし、さらに枯れ川に対して公共事業の名の下に大規模な砂防ダム工事が続くらしい。

一般的に一旦走り出した公共事業は、その後意義が怪しくなっても、もはや止めることは至難である。 

かっては暴れ川といえども多数の良型アメマスが棲む美しい川だった。何百年もの昔から、時には激しく暴れながらも微妙なホメオスターシスが保たれていた海と川との関係を、傲慢で気まぐれな人間が介入して、この20年ほどで完全に破壊し殺してしまった。

今後の治水治山は自然を力まかせにねじふせようとする単純・愚かな発想はこれまでにして、山や川との共存をはかる方向にもっと叡智をしぼらなければならないのではなかろうか。


   この項、つづく。

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