8/22(土)
旧島松駅逓所
駅逓所(えきていしょ)とは、交通不便の地に駅舎と人馬を備え、宿泊や人馬の継立、運送などの便をはかるために設置されたものです。かつては北海道内に延べ六百十数か所の駅逓所がありました。
明治17年(1884)からは、現在の北広島市島松で稲作の栽培に成功し、「寒地稲作の祖」と称される中山久蔵が4代目の駅逓取扱人となり、明治30年(1897)の島松駅逓所廃止までその経営にあたりました。
御前水
明治天皇が北海道巡行の際使用しました
寒地稲作と暖水路跡
中山久蔵は、風呂の湯をくんで稲代を作ったり、川から引いた水を温めてから水田に流すなどの工夫を重ねて、寒地に適した米作りを研究したということです。
稲穂も実り陽光に輝いていました(*^^*)
ハス池(復元栽培)
中山久蔵は、米作りのほか、果樹園芸や、牧場の経営や養鯉なども試みました。
ハスの栽培も明治11年に成功しました。ハスの栽培は食料としてのものです。
明治10年(1877)4月16日、任期を終えたクラーク博士は職員や学生たちと札幌を後にし、約20キロメートル離れた島松(現在の北広島市島松)に到着します。
見送りに来た一行とこの地で別れることとなったクラークは、教え子らに「Boys, be ambitious(青年よ、大志を懐け)」という言葉を残し、米国への帰途についたといわれています。
この有名な言葉は誰もが知るところですが、その舞台となったのがここ北広島市だったのです。
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