あかまど(仮)

net初心者で自称ソフト技術者。Gamer属性。netは人の望み?それとも?

Googleの夢。

2009-05-05 04:20:08 | pre-sci
「AKIRA」って映画に、鉄男くんが「大きくなろうとする」シーンがあります。
ネタバレ的な話ですし、文字で説明する技量もないので簡単に言えば、あたりかまわず自分の神経を撃ち込んでいく感じです。
曰く、「俺に命令スんな」。
実際大きくなろうとしてたのか、いろいろ考えてたかは知りません。
わたしはそう感じました。

谷山浩子さんの歌で「ガラスの巨人」っていうのがあります。
星を見上げてた「全部ぼくのものだっ」ってはしゃいでた「君」が、とりあえず大きく広がって高層ビルみたいな巨人になって、でもふと立ち止まって何か忘れてた話です。

Googleっていう会社はー。
何でしたっけ。
「全ての情報を統合する」でしたっけ。
そんな夢を見て生まれて、それを体現してる会社みたいです。
わたしの理解する範囲では、いろんなコトに手を出してると見せて、やってることは一貫して「情報を集める」という一点に集約されてる、のだと思います。
そしてそれは思いのほかうまくまわってて、そこかしこにある端末から日々世界を吸収し続けています。

人工知能とか、古くはエキスパートシステムとかでネックだったのは、人間の、ジョウシキを、集める、こととか言われてたことがあったかと思います。いまのAI方面の知見は知りませんが、このネックは、もう解消されて来てるんじゃないでしょうか。
コストに見合わない。
研究者ひとりとか、研究者チームが頑張ってキーボード叩いてみても、世界で生み出される情報をコンピュータに入力することはとても難しいというか、その労力に見合った成果が得られないとか指先が光速を超えるとかそういう話だった気がするのですが、
・コンピュータというか「入力装置」が文字どおり一人一台より多分「たくさん」あって、
・「入力装置」の質も、別に専門家じゃなくても「データ入力」ができるようになって、キーボードすら叩けなくてもおっけーになって、
・さらに「入力すること」が利用者にメリットがあるようになってきてて、
・且つ、そのメリットが、入力したために起きるデメリットより大きいと思わせるだけの実績を上げる、
とか、「むかしの人」的には想像もしがたい環境がすっかり完成してたりします。

自身が大きくなるにあたっては、コンクリートに神経を打ち込んだり取り込んで膨れ上がったり、空気を取り込んで高層ビルのようになって町を見下ろしてみたり。結構大変です。
Googleでは、すごい現実的というか21世紀の人間の身体感覚的に現実味のある形で、世界を取り込んで身体にしていく仕組みが実現してます。本田工作くんの「メカはメカさ」が空しく響きます。世界に順応した、自己増殖する身体。それさえ確保できたら、最初の命令は小さいのがひとつあれば、巨人になったり意思を持つには充分です。

いまわたしがGoogleって仮に呼んでるものってのはたぶん、本体はキギョウとか経営者とか社員とかビジネスモデルとかそういう難しいものじゃなくて、夢とか理念とかなんだと思います。
それは、「教会は神の身体である」ような意味で既に身体を持ってて、身体を持った故に、個人の意思と関係なくいわば人類の意思に拠って存在してて。
個人とか構成員の利益のために存在するんじゃなくて、夢とか理念によって存在してて、あるいは個人とか構成員の利益と反してみたりして。

もう、水が高いとこから低いとこに流れるように、Googleが存在し、し続け、遍在してるようになってるんじゃないかとさえ思います。
Googleという会社が存在しなくなったとしても、その身体が失われることはなくて、あるいは身体が失われてさえ、それは既に、Type-Moon的に言うTATARIが永続的でなくて確率的に現出する永遠の命を持ったような、石ノ森的に言えば「人類のある限り第二第三のGoogleが現れる」ような。

あー。別に邪悪とかそれによってどうこういう話は、いまは興味ありません。

「大きくなること」とか「利益を独占すること」とか「存続すること」を目的にしてるアレとかアレと比べたら善良なことこの上ないとさえ思いますし。

Diska


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2 コメント

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電波源は全か一か。 (Diska)
2009-05-10 13:28:42
>すでに人の思惑を超えて一人歩きしてる感

インターネットに限らず、ネットって欠片同士のコミュニケーションを確保する余りに、ネットと欠片の間のコミュニケーション不全を起こしやすかったりしてる気もします。

自分の中に、ネットそのものという自覚じゃなくて、ネットの欠片という自覚が生まれたからって、お国のためにミサイル誘導装置になったりとか、昆虫やイワシの群れのまねをしたりとか、せっかくフラクタルが生まれそうなのに空気読んだら結晶化しちゃったりして見せたりする、必然は、ないと思うんですよねぇ。あるいは結晶化するというのが個人の自我を守る手段だったりするのかも?

ウルトラマンガイアの第一話のように、ガイア理論的な意味でのガイアと、個人がコミュニケーションを取るみたいなのも、そんな遠くないことのかなとかいう気もしてます。
あるいは、個人をして「我はネットの言葉を預かる者」とかカタるのは、ある意味数千年前からよくある話だったりするのかも知れません。
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うああ (Julico)
2009-05-07 02:51:00
電子化された情報から意識が発生するあたり、属性的に反応してしまうので、ご参考まで。

うああ哲学辞典というマンガで、養老孟司の唯脳論をモチーフとして、インターネット上に意識が発生するという話があったのを思い出しました。

人間が意識を持ったのは単純に脳の規模が大きくなったからだとして、それなら、それなりの量と構造の複雑差を満たせばコンピュータでも意識が生じるはず。そしてランダムにネットワークが増殖するのも条件で、インターネットがまさにニューロンに相当。というような内容。

なんとか機動隊でも「私はネットの海に生まれた生命体だ」なんて言ってたっけ。きっともっといろいろありそう。

まあなんか、意識は持たないまでも、すでに人の思惑を超えて一人歩きしてる感はありますよね。

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