共生の小路ーこの時代に生きる私たちの社会に、警鐘とひかりを見いだす人々の連帯の輪をここにつくりましょう。

社会福祉の思想は次第に成熟されつつあった。しかし、いつのまにか時は崩壊へと逆行しはじめた。

毎日新聞 社説

2013年11月08日 01時50分34秒 | Weblog

社説:秘密保護法案を問う…国政調査権

毎日新聞 2013年11月07日 02時31分

 ◇国会が手足を縛られる

 議員自ら、その手足を縛るのだろうか。特定秘密保護法案の持つ危うさを立法府である国会はもっと深刻に受け止めるべきだ。

 憲法62条は「両議院は各々国政に関する調査を行い、これに関して証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる」と国政調査権を定めている。

 国会法や議院証言法は政府が国会への報告、証言や資料提出を拒否した場合、最終的には理由として「国家の重大な利益に悪影響を及ぼす」との声明を内閣が出さない限り国会の要求に応じるよう手続きを定めている。議会が行政を監視する権限を踏まえたものだ。

 ところが特定秘密保護法案は情報提供の有無、提供された場合の取り扱い両面にわたり行政優位の統制に置くため立法府の国政調査権行使に重大な支障を来すおそれがある。

 法案は行政機関の長が国会に特定秘密を提供する場を非公開の秘密会に限定する。しかもそれは「我が国の 安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認めたとき」との条件つきで「支障を及ぼすおそれがある」と判断すれば提供を拒める。安全保障をはじめ広範な 情報から国会が遮断されかねない。

 秘密会で情報が提供されても厳重な統制が加えられる。国会議員が故意に漏えいした場合は5年以下の懲役刑などに処せられ、過失でも罰せられる。その議員に漏えいを働きかけた第三者も処罰対象だ。

 議員が知った情報は同僚議員や政党職員、秘書らと自由に共有できず政党や議員の活動を萎縮させるおそれがある。秘密保護に必要な措置は内閣の政令で定められ、特定秘密指定は有効期間5年を経て行政が更新できるという行政主導である。

 一方で憲法51条は「両議院の議員は議院で行った演説、討論または表決について院外で責任を問われな い」と定めており、国会討論や質疑で秘密を開示しても刑事免責されるとみられる。だが、秘密保護法が制定されるとこの条項を逆手に取り、行政側が情報もれ のおそれがあるとして情報の提供を拒む懸念すらある。

 国会議員の守秘義務のあり方は本来、議院自らルールを決めるべきものだ。自民党の石破茂幹事長はここに きて国会が秘密指定を監視するための機関づくりなどに言及しているが、そんな肝心な議論も尽くさぬまま政府が法案提出になぜ踏み切ったのか、はなはだ疑問 だ。議会政治に禍根を残しかねない重大な局面だと国会議員一人一人が心得てほしい。

 

社説:秘密保護法案を問う 国の情報公開

毎日新聞 2013年11月06日 02時31分

 ◇「不都合」隠される懸念

 特定秘密保護法案は、国民の知る権利を支える情報公開や公文書管理の理念から大きくかけ離れる。情報公 開法は「国民主権の理念にのっとり、情報の一層の公開を図る」ことを目的とし、公文書管理法は「国の諸活動や歴史的事実の記録である公文書は、健全な民主 主義の根幹を支える国民共有の知的資源」とうたう。

 ところが、法案が成立すると、国の安全保障に著しい支障を与える恐れがあるとの理由で、行政機関は大量の情報を恣意的に特定秘密に指定することが可能になる。政府にとって「不都合な真実」も国民の目から隠蔽されかねない。

 政府の「隠蔽体質」を如実に物語るのが、1972年の沖縄返還に伴う密約問題だ。日本が米国に財政負担 することを両政府が合意した密約について日本政府は一貫して否定し続け、2000年以降に米国立公文書館で密約を裏付ける文書が見つかった後も、その姿勢 を変えていない。

 西山太吉・元毎日新聞記者らが密約文書の開示を求めた訴訟で11年の東京高裁判決は、「沖縄を金で買い 戻す」との印象を持たれたくない政府が国民に隠す必要があったと認定し、ばれないように01年の情報公開法施行前に秘密裏に文書を廃棄した可能性を指摘し た。開示請求は退けたが、密約文書を「第一級の歴史的価値を有し、永久保存されるべきだった」と国の姿勢を批判したのだ。

 密約のような行為も行政の思惑次第で指定がまかり通り、外部からのチェックは不可能になる。5年の指定期間は行政の判断だけで更新でき、内閣の承認があれば30年を超える指定も可能だ。国民は半永久的に知ることができなくなってしまう。

 特定秘密に指定される情報も、情報公開法や公文書管理法の対象になる見通しだ。ところが、国の安全が害 される恐れがあるなどと行政側が判断すれば公開を拒否できるので、特定秘密は事実上開示されないことになる。公文書管理法も、各省庁で保存期間が満了した 行政文書は国立公文書館などに移管するか、または首相の同意を得て廃棄することを認めており、廃棄される懸念は消えない。

 民主党は、訴訟の段階で裁判所が対象文書を調べる仕組みを導入する情報公開法改正案を提出し、知る権利 の充実を強調する。しかし、国の防衛や外交上の利益などに重大な支障を及ぼす場合は行政側が法廷への文書提出を拒否できるとの条文があり、実際には機能し ない可能性が強い。この改正案と引き換えに法案の成立を許すわけにはいかない。

 

社説:日本版NSC 議事録作成は不可欠だ

毎日新聞 2013年11月06日 02時30分

 政府の外交・安全保障政策の司令塔となる国家安全保障会議(日本版NSC)を設置するための法案が、衆 院を通過する見通しになった。関係省庁のNSCへの情報提供義務を明記するなど、組織の骨格に関わらない部分で、政府・与党が民主党の修正案を一部受け入 れた。会議の議事録作成の義務づけについては、法案の付帯決議に盛り込むことで折り合った。議事録の作成は不可欠だ。早急に検討し、きちんと法案に明記 し、より多くの国民の支持が得られるようにすべきだ。

 日本版NSCは現在の安全保障会議を改組し、首相官邸主導で外交・安全保障政策を企画、立案することを目指す。中核となるのは、首相、官房長官、外相、防衛相による「4大臣会合」だ。事務局として関係省庁の出身者ら約60人でつくる国家安全保障局を内閣官房に新設する。

 厳しさを増す安全保障環境を踏まえ、省庁の縦割りを排して一元的に外交・安全保障政策を収集し、機動的に対応しようという趣旨は理解できる。しかし今回の法案は、問題点が少なくない。

 まずNSCは米国などから提供された機密情報を扱うため、特定秘密保護法案を一体で成立させる必要性が あると政府は主張する。特定秘密保護法案は、安全保障で特に重要な情報を特定秘密に指定し、情報漏えいに厳罰を科すものだ。この法案が成立すれば、特定秘 密に関わるとの理由でNSCの政策決定まで明らかにされない可能性が出てくる。

 情報漏えいへの対応は現行法の活用で可能だ。NSC法案は、特定秘密保護法案と切り離すべきだ。

 またNSC法案は、政府の政策決定が適切だったか否かを、検証する仕組みが担保されていない。会議の議事録作成が義務化されていないからだ。付帯決議では心もとない。

 安全保障に機密があることは理解できる。支障があるものは、時間をおいて公表すればいい。しかし議事録が作成されなければ公表もできず、検証しようがない。

 日銀の金融政策決定会合は、約1カ月後に議事要旨、10年後に議事録を公開している。参考にすべきだ。

 安倍晋三首相は、閣議の議事録作成を義務づける公文書管理法改正に前向きな考えを示している。一方、菅 義偉官房長官は審議の中で、現在の安全保障会議が「自由闊達な議論」などのために議事録を作成していないとして、NSCでも「議事録は作らない」と話して いた。矛盾していないか。

 NSCはただ組織を作ればいいのではない。国民の理解を得ながら、効果的に運用する制度設計が肝心だ。抜本的な見直しを求めたい。

 

社説:秘密保護法案を問う 国民の知る権利

毎日新聞 2013年11月05日 02時35分

 国民が自由に情報を得る機会を持つことは、民主主義の基本だ。知る権利に奉仕するのは報道だけではない。国民は多様なルートで国政についての情報を集める。

 だが、特定秘密保護法案が成立し、特定秘密にいったん指定されれば、その取得行為が幅広く罰せられる。国民も例外ではない。

 法案は、社会の情報流通を妨げ、国民の日常生活を脅かす危険性に満ちていると、改めて指摘したい。

 憲法や刑事法を専攻する学者300人近くが10月28日、法案に反対する声明を連名で発表した。

 特定秘密は安全保障に関わる国家機密で、防衛、外交、スパイ活動防止、テロ活動防止の4分野が対象だ。別表で規定された項目は広くあいまいで、行政の判断でいかようにも拡大できる。一方、情報を得ようとする側は、何が特定秘密か分からないまま、取得行為が罰せられる。

 法学者は、こうした基本的な枠組みに危惧を表明した。国民の人権を侵し、憲法の国民主権の原理に反するというのだ。もっともな指摘だ。

 声明では、特定秘密の指定が、市民の関心事に及ぶ具体例を二つ挙げた。一つは、原発事故だ。安全性に関わる情報がテロ活動と結びつけられ、特定秘密に指定される可能性が大きいと法学者はみる。

 もう一つが基地問題だ。防衛省は普天間飛行場の移設先に予定している沖縄県名護市辺野古のジュゴンの環境調査結果を公にしていない。こうした調査でさえ、基地移設と関連づけ特定秘密になり得るという。

 原発や基地は全国に点在する。地元住民のみならず国民の共通関心事である。そうした重要テーマについて、個人やグループが情報を集め、議論をし、行政対応を求めるのはごく日常的な光景だ。

 だが、いったん特定秘密に指定されれば、情報に近づくことは、刑事罰に直結する。漏えいや取得についての共謀、そそのかし、扇動行為には、最高で懲役5年が科せられる。未遂の処罰規定もあるから、結果的に情報提供がなくても罰せられてしまう。

 また、万が一、逮捕・起訴されて裁判になっても、特定秘密の内容が法廷で明らかにされないまま有罪になる可能性を法学者は指摘する。刑事裁判の適正手続きという観点からも大いに疑問が残るのだ。

 法案が成立すれば、国民の知る権利は守れなくなる。

       ◇        

 特定秘密保護法案の審議入りが近い。問題点を明らかにしていく。

 

社説:介護給付の抑制 市町村支援きめ細かく

毎日新聞 2013年11月01日 02時35分

 厚生労働省は介護保険の「要支援」サービスを市町村事業に移行させ、将来的には国が介護事業に支出する 給付費に上限を設けることを検討している。現場からは「サービスを減らすとむしろ重度化を招く」との批判も聞かれる。どうやってケアの質や量を保ちながら 財政の膨張に歯止めを掛けられるのか、具体的なモデル像の提示やきめ細かい市町村支援を政府に求めたい。

 現在約9兆円の介護給付費はこのままでは2025年度には21兆円に膨らむ。要支援サービスを市町村に 移しても「財源は介護保険であり、要支援の認定も変わらない」と同省は説明するが、市町村がサービスの内容や単価を独自に決められるようにして給付増の制 御を図るのが改革の目的だ。しかも同省は要支援サービス事業費の伸び率(現在は年5~6%)の上限を75歳以上の人口の増加率(同3~4%)に合わせる案 を検討しており、これを実施すると25年度の給付費は本来より2割減る。不安が広がるのも無理はない。

 一方、現在の要支援サービスは買い物や室内の清掃、洗濯、入浴介助がほとんどで、「家政婦代わりにヘル パーを使っている」などの批判もある。独居で身体機能の衰えたお年寄りには切実なサービスであるに違いないが、高福祉で知られる北欧諸国でも近年は医療や 介護の公的サービスを抑制し、お年寄りが自力で生活し続けられるような指導、家族や近隣の人々による支え合いを重視する政策へと傾斜している。

 財政のためだけではない。医師や介護士などの専門職に依存するよりも、お年寄りが自らの健康や介護につ いて考え、親しい人間関係の中で支え合って生活することを望む人が増えているからでもある。日本でも高齢化率が非常に高い集落で公的介護サービスを利用せ ず住民同士が支え合っている例はたくさんある。

 市町村に事業を移行すると地域格差が広がるとも言われる。先駆的な自治体の実践を集め、モデル事業とし て広めてはどうだろう。新潟県長岡市は独居の高齢者宅の雪かきや買い物の付き添いを若くて体力のある知的障害者らに委託している。福岡県久留米市でも高齢 者宅の庭の草むしりや棚の奥の掃除などを長期入院から退院してきた精神障害者がボランティアで担っている。専門職による介護はなくても、「ありがとう」の 声が行き交う助け合いが地域の人間関係を温かいものにしている。

 新たな生活困窮者の支援事業の中でも要支援サービスを補う活動を盛り込むことができるはずだ。市町村任せではなく、お年寄りが安心できるよう政府が率先して市町村の指導・支援に乗り出すことが必要だ。

 

 


京都新聞 社説

2013年11月08日 01時35分44秒 | Weblog

京都新聞社説

難病対策見直し  生活苦への追い打ちだ

治療法が分かっていない難病を抱える人たちの生きづらさに、さらに追い打ちをかける制度の見直し案だ。
 厚生労働省の委員会が、新しい難病 対策案を示した。医療費助成の対象は現在、潰瘍性大腸炎やパーキンソン病など56疾患で、重度の患者約8万1千人は医療費が全額公費負担されている。新制 度が対象疾患を300以上に広げる方向は望ましいことだが、重度の患者にも自己負担を求める。病名ごとに重症度分類を導入し、軽症者は助成対象から外すと いう。
 難病患者団体から「患者が生きることを諦めたり、受診を控えたりしかねない。生活が破綻する」と、切実な反対の声が出ている。
  全身が徐々に動かなくなっていく神経難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者団体によると、医療費無料の現状でも、患者は通院に使う介護タクシーなどの 交通費、介護保険や障害施策からヘルパー派遣を受ける自己負担分など平均で月約6万円を払っている。そこに約2~4万円ほどの新たな負担がのしかかる。医 療費の自己負担が10倍になるケースもあり、生計に占める負担の大きさをみれば、引き上げ幅は過酷すぎる。
 国は、難病患者の生活実態と家計の実情を把握してから、負担のあり方を考えるべきだ。
 若年で発症する難病では、社会参加のスタートラインにさえ立てていない患者が多い。希少難病ゆえ研究している医師が全国に数人しかおらず、他府県に転居を余儀なくされた患者もいる。
 そもそも難病対策は、患者数が少ないために市場原理では治療や薬の開発が進まない弱者を、社会全体で支えるためのものだ。財政難や高齢者の高額療養費の自己負担割合などを厚労省は理由にするが、同列には論じられない。
 同様に厚労省は、小児がんなど子どもの慢性疾患への医療費助成も、自己負担を最高で月額2万2200円に引き上げるよう児童福祉法を改正する方針だ。
 消費税増税による増収分を、こうした病に苦しむ子どもたちに少しでも笑顔を届けることに回せないのだろうか。
 難病の新制度では、対象疾患の患者数が約12万人以下を条件にする方針だ。パーキンソン病の患者団体は「対象から外れてしまうのでは」と危ぶむ。
 治療法が未解明でも希望を持って患者が暮らせるよう、制度の対象者を広げつつ、充実させたい。痛みや生活苦にあえぐ人同士を比較し、「制度間の均衡」を根拠に支援を削る厚労省の発想は間違っている。患者ら弱い立場の人の間に、分断を招いてはならない。

[京都新聞 2013年11月06日掲載]

 

日本版NSC法  「秘密」の司令塔になる

 国家安全保障会議(日本版NSC)の設置法案が、月内に成立する公算が大きくなってきた。組織の概要が明らかになったばかりであり、拙速だ。 NSCは、問題だらけの特定秘密保護法案と一体的に運用され、「外交・安全保障の司令塔」どころか、政府の秘密機関として肥大化する恐れがある。到底容認 できない。
 日本版NSCは米大統領直属の国家安全保障会議をモデルとする。首相と官房長官、外相、防衛相による「4大臣会合」や、国土交通相らを加えた「9大臣会合」が有事対応や安全保障の方針を決める。突発事案は「緊急事態大臣会合」があたる。
 事務局として、内閣官房に60人規模の「国家安全保障局」を新設する。省庁職員のほか、警察官や自衛官も登用し、各省にはNSCへの情報提供を義務づける。
 これにより、米国のNSCと機密情報を共有できるという。安倍晋三首相は国会で「官邸の指令機能の強化に不可欠」と述べ、NSCが扱う重要課題に、領海侵入を繰り返す中国への対応▽北朝鮮の核・ミサイル問題▽在日米軍の再編-などを上げた。
 最大の問題は、特定秘密保護法案とセットになっていることだ。NSCが扱う情報や会議の多くは、特定秘密に指定されるとみられる。同法案は政治の裁量で半永久的に情報を秘匿できる。NSCが何を根拠に、何を決めたのか、メディアなど第三者が検証できなくなる。
 民主党はNSCの議事録作成を義務づける修正案をまとめたが、議事録も特定秘密になれば用をなさない。衆院の参考人質疑でも、内閣官房幹部だった元防衛官僚が「政策決定過程が一切公表されなくなる恐れがある」と明言した。
 安倍首相は第1次内閣からNSC設置にこだわりをみせるが、法的には既設の「安全保障会議」を機能させれば十分対応できる。首相の狙いは、米国と軍事の足並みをそろえる集団的自衛権の行使に向けた環境整備にほかなるまい。
 法案では盛り込まれていないが、NSCがすんなりと設置されたら、情報収集の強化に向け「日本版CIA」のような諜報(ちょうほう)機関が後付けされるとの見方が強い。問題化している米国の野放図な通信傍受が、日本でも起こりうる。
 法案がこのまま成立すれば、戦後の平和国家の歩みを転換する分岐点になるのではないか。本来、安全保障はエネルギーや食糧、防災なども含む。NSCを設けるなら、非軍事の分野で、世界に存在感を示すための機関であるべきだ。法案の抜本的な練り直しを求めたい。

[京都新聞 2013年11月02日掲載]

 

「防衛秘密」廃棄  危惧は深まるばかりだ

 防衛省が2011年までの5年間に、計約3万4千件に上る秘密指定文書を廃棄していたことが分かった。02年に防衛秘密の指定制度が導入されて以後、指定を解除されたのはわずか1件だ。
 これでは秘密指定が妥当であったのか、検証できない。情報公開や説明責任を疎んじる組織体質の表れと言えないか。防衛秘密は、今国会に提出された特定秘密保護法案の根幹にあたる。法案への危惧は深まるばかりだ。
 自衛隊法改正で防衛相が「特に秘匿する必要があるもの」を指定し、漏えいには最高懲役5年を科す。自衛隊の運用や計画、収集した電波・画像情報、防衛力整備計画などが防衛秘密の対象という。
 07年から11年までの5年間に計5万5千件が指定された。保存期間は1年未満から30年で、延長もできる。
 11年に施行された公文書管理法は、行政文書の整理、移管、廃棄などのルールを統一的に定め、役所での保存期間は最長30年に設定している。そのあとは国立公文書館などに移管し歴史資料として永久保存するか、首相の同意と専門家の助言を経て廃棄する。
 しかし改正自衛隊法の規定は、公文書管理法の適用外だ。
 そもそも公文書管理法ができたのは、01年の情報公開法施行前後に、役所で行政文書が大量処分されるケースが多くみられたからだ。西山太吉元記者が沖縄密約文書の開示を国に求めた訴訟の判決で、情報公開法施行前に国が秘密裏に文書を廃棄した疑いを指摘されている。
 終戦の前後には、軍部の命令で大量の公文書が各地で焼却された。権力の歴史に対する無責任なふるまいは、実に根が深い。
 公文書は民主主義を支える「国民共有の知的資源」と管理法は掲げている。しかし、こうした理念は防衛省だけでなく政府全体に浸透しているのか。はなはだ疑わしいと言わざるを得ない。
 重要な秘密が存在し、一定期間は開示できないこともあるだろう。ただ、重要であればこそ、後世の国民に説明責任を果たすために、検証を可能にしておかなければならないはずだ。
 防衛省の公文書廃棄は、規定に反していなくても、国民の疑念を深める。特定秘密保護法案に潜む危うさを、今回の公文書廃棄に見ることができる。
 法案は秘密対象の中身があいまいで、指定の妥当性をチェックし後に検証できる仕組みもない。
 国会論議を深める上で、公文書廃棄の経緯を明らかにすることが欠かせない。先行きへの不安だけでなく、すでに現実の問題だ。

[京都新聞 2013年10月30日掲載]

 

秘密情報収集  自由の侵害に歯止めを

 米国家安全保障局(NSA)による各国政府や首脳の電話盗聴疑惑に、非難が高まっている。
 ドイツのメルケル首相への携帯電話盗聴疑惑で、同国は米国に抗議した。欧州連合首脳会議で集まった首脳らが米国に反発したのも当然だ。ブラジル大統領の電子メールなど外国の指導者35人が通信傍受されていたとも報じられている。
 NSAは数百万人に上る各国市民の個人通話履歴や電子メールを収集してきたことが発覚、プライバシー侵害だと激しい抗議を受けてきた。国家機密のベールで覆い隠し、同盟国の通信の秘密さえも侵害するのは明らかに行きすぎた行為で、到底容認できない。
 オバマ米大統領は、メルケル首相との電話会談で傍受を否定し、「今後も傍受することはない」と話した。だが、それだけで疑念は晴れず、説得力を欠く。
 自由を掲げてきた米国への信用は失墜している。膨大な通信傍受の目的はテロ対策だとし、外国情報監視裁判所の令状など法的手続きは踏んでいると、米政府は従来釈明してきた。だが、外国首脳への盗聴には通用するはずもない。
 そもそも、監視裁判所の活動自体が秘密で、市民が納得できる仕組みではない。極秘の情報収集に歯止めをかける制度が必要だ。
 透明性を確保する法整備を進めつつ、事実関係を検証し、関係国に説明するのは米国の責務だ。
 一連のNSAの情報収集問題は米中央情報局元職員による機密文書の暴露がきっかけだ。告発は市民の自由や通信の秘密が直面する世界的な危機を突き付けている。
  一つは、膨大なプライバシー情報が行き交うサイバー空間の脆弱(ぜいじゃく)性だ。世界のデータ通信の8割が米国のデータセンターを経由しているとも言わ れ、日本も例外ではない。ビッグデータと言われる通信履歴の解析技術の進歩で、位置情報や購入履歴から個人情報が分析され、漏えいする可能性も膨らんでい る。本人が知らない間に誰かに監視される恐れがある。
 もう一つは、政府が国家機密を拡大する危うさだ。米国はテロ対策を名目に、愛国者法などで秘密保全を強化した。国の秘密裏の情報収集活動に対し、チェック制度が十全に機能しない。
  安倍政権は、米国との機密共有を目的に、特定秘密保護法案と国家安全保障会議(日本版NSC)設置法案の成立を急ぐ。3年前、警視庁の機密文書がネット上 に流出、市民監視の一端が見えたが、こうした活動がさらにベールで覆われる懸念がある。監視と自由をめぐり高まる世界の懸念を踏まえ、両法案は根本から見 直すべきだ。

[京都新聞 2013年10月26日掲載]

 

秘密保護法案  懸念はぬぐえていない

 政府は、機密を漏らした公務員らへの罰則を強化する特定秘密保護法案を今国会に提出する。
 法案は、公明党の修正要求を入れて、国民の「知る権利」や「報道・取材の自由」への配慮を明記し、取材活動は原則として罰則の対象外とした。
 だが、知る権利などへの配慮はあくまで努力規定にとどまる。情報の国家統制が強まる懸念がある以上、法案には賛成できない。
 法案は、漏えいが国の安全保障に著しく支障を与える情報を行政機関の長が特定秘密に指定し、流出させた公務員らに最高10年の懲役刑を科す内容だ。
 特定秘密の対象は防衛、外交、安全脅威活動、テロの4分野としているが、中身があいまいで、恣意(しい)的に決められたり、政府に不都合な情報が秘匿されかねない。
 指定の妥当性をチェックし、一定期間が過ぎれば、指定を自動的に解除して検証できる仕組みもない。秘密の指定や解除は、有識者会議で統一的な運用基準を定めるとするが、個別の情報をチェックするわけではない。
 秘密は5年ごとに更新でき、30年目で内閣の承認があれば、さらに延長できる。外交文書など重要な情報を開示せずに葬り去ることも可能だ。国会議員も処罰の対象で、特定秘密を知れば、問題があっても国会で追及できない。
 取材の自由についても「著しく不当な方法によるものでない限り」との条件が付き、「不当」の範囲は不明確だ。公務員らへの厳罰化で、取材される側が萎縮する可能性も強い。それは国民の知る権利の侵害につながる。
 政府が法案成立を急ぐのは、国家安全保障会議(日本版NSC)の年内発足に向け、米国と情報を共有し、管理を徹底する必要があると考えるからだ。
 国家間で共有する機密性の高い情報があるのは言うまでもない。だが、防衛秘密は日米相互防衛援助協定に伴う秘密保護法や自衛隊法で守られている。国家公務員法や地方公務員法も罰則付きで守秘義務を定めている。機密保全はそれらで十分対応できるはずだ。
 政府は情報統制を強めるのではなく、まず先進諸国に比べて遅れが目立つ情報公開こそ進めるべきだ。
 民主党は、行政機関が開示できないとした情報に関し、公開できるかどうかを裁判所が判断する仕組みを作ることを盛り込んだ情報公開法改正案を国会に提出する。だが、これを条件に特定秘密保護法案を受け入れるなら筋違いだ。
 知る権利は憲法の表現の自由を裏打ちする権利である。民主政治の根幹を揺るがしてはならない。

[京都新聞 2013年10月24日掲載]

 

年金減額  新たな設計図が必要だ

 10月1日から、年金の減額が始まった。国民年金の場合、10月分の支給は12月になるため、まだ受給者に実感はないだろう。
 今回は 1%の減額だが、来年4月にはさらに1%、再来年の2015年4月からは0・5%が減らされる。1年半の間に3段階に分けて合計2・5%も少なくなる。納 付期間や賃金などで異なるが、15年4月に国民年金の支給額は現在の月約6万5500円(1人)から約1600円減り、厚生年金は約23万円(標準世帯の 夫婦)から約6千円削られる見通しだ。
 年金は物価の上下と連動する仕組みを持つ。近年はデフレで年金減額が続く。しかし、物価が下落したのに2000年から02年は削減を特例で据え置いた。この「過払い分」は累計8兆円に上る。今回の大きな減額は、その解消が目的だ。昨年の法改正に基づく。
 日本の年金は現役世代の負担で、高齢者に給付する仕送り方式だ。過払い分は大きな負債といえる。世代間の公平を図る観点から、減額はやむを得ないだろう。
 問題は、将来の年金の姿が見えないことにある。安倍政権は金融緩和でインフレ政策を進めるが、もし物価が上昇すれば、その分、年金も増えるのか。答えは否だ。
 かつての「物価スライド」なら単純に連動していたが、2004年の年金改正で導入された「マクロ経済スライド」(マクスラ)では、物価上昇分より年金の伸びは抑制される。勤労者の減少や平均寿命の延びで、年金を削る仕掛けを組み込んでいるからだ。
 これまでデフレが続いたため、マクスラは一度も発動されていない。霞が関では「竹みつ」とさえ言われていたが、過払い分を解消し、インフレが実現すれば「発動の環境は整う」とみられている。
 実際に、マクスラの刃(やいば)が振り回されれば、高齢者の生活は大きな影響を受ける。物価の動きにもよるが、厚生労働省の試算では毎年マクスラが適用されれば物価との差が開き、30年後に年金の実質価値は今より20%以上減るという。
 民主党政権が年金の抜本改革として掲げた最低保障年金制度は、頓挫した。8月に政府の社会保障改革国民会議が示した報告書はマクスラの発動をはじめ、年金課税の強化や支給開始年齢の検討など、制度の手直しの域にとどまる。
 現政権には将来を見通した制度設計への意欲が見えない。来年4月からの消費税増税も、年金に関しては一時しのぎである。社会保障充実の掛け声とは裏腹に、制度への不安と不信感はますます深まるだろう。新たな年金の設計図を政治が示す時だ。

[京都新聞 2013年10月05日掲載]

 

 

 

 


熊日 社説

2013年11月08日 01時25分56秒 | Weblog

特定秘密保護法案 「知る権利」侵害になお懸念 2013年10月20日

 政府と公明党は、機密を漏らした公務員らへの罰則強化を盛り込んだ特定秘密保護法案の修正で基本合意した。政府は25日に法案を閣議決定して国会に提出する見通しだ。

 修正案では公明党の要求を一部受け入れ、国民の「知る権利」への配慮を条文に明記し、報道機関の取材活動も「著しく不当な方法によるものでない限り正当 な業務行為とする」との趣旨の文言を盛り込んだ。しかし、「知る権利」を担保する具体的な仕組みはいまだ不十分で、なお権利侵害の懸念が強く残る。

 法案が対象とするのは(1)防衛(2)外交(3)特定有害活動(スパイ)防止(4)テロ活動防止、の4分野に関する情報である。漏えいが国の安全保障に 著しく支障を与える恐れがあって、特に秘匿が必要な情報について閣僚ら行政機関の長が「特定秘密」に指定。漏らした公務員らだけでなく、秘密を取得したり 取得しようとしたりした民間人も処罰対象とする。

 この特定秘密指定の範囲はあいまいだ。例えば防衛では「自衛隊の運用」、外交では「安全保障に関する外国政府や国際機関との交渉」など不明確な基準が挙 げられており、行政機関の長の恣意[しい]的な判断によって際限なく範囲が広げられる恐れがある。また、指定の有効期間延長も行政機関の長の判断で行え、 公文書の保存期間である30年を超えた場合も内閣の承認を得ればさらに延長が可能だ。そもそも秘密指定に値する情報かどうかのチェックもないまま、行政側 の判断だけで永久に重要情報が隠されることになりかねない。

 政府は近く設置する予定の有識者会議の論議を踏まえ秘密指定する際の統一基準を策定する方針だが、その基準に合致しているかの判断が行政機関の長だけに委ねられていることに変わりはない。恣意的指定の歯止めとなるかは疑問だ。

 政府は日本版「国家安全保障会議(NSC)」創設関連法案と並行して特定秘密保護法案の早期成立を目指している。同盟国の米国から高度な安全保障の情報 提供を受けるためには徹底した情報管理が必要との理由からだ。しかし、その米国には秘密指定に関し「国立公文書館情報保全監察局」や「省庁間上訴委員会」 といった複数の独立性の高いチェック機関が設けられている。そうした仕組みも検討しないまま、秘密保護だけを先行させる政府方針はあまりに拙速ではない か。

 報道機関の取材活動についても、「不当な方法」と「正当な業務行為」との区別は明確に示されていない。また、最高懲役10年という厳罰化によって公務員 が萎縮し、一般的な情報提供さえ消極的になることも考えられる。実質的な報道統制につながるのではないかという疑念は拭えない。

 「いつの日も 真実に 向き合う記事がある」。今年の秋の新聞週間(15~21日)の標語である。報道機関による行政のチェックは国民の「知る権利」に 奉仕し、憲法で規定する国民主権を基盤から支えるものだ。重要な「真実」が、秘密保護の名の下に国民の目から覆い隠されることにならないか。民主国家の根 幹に関わる問題として、国会では慎重かつ徹底した論議を求めたい。


 

秘密保護法案 今国会成立に固執するな 2013年10月28日

 「何が秘密? それは秘密です」。特定秘密保護法案に反対する学者や市民約400人が先週、首相官邸前で掲げたプラカードの文言だ。ジョークのようだが、決してそうではない。この言葉に同法案の危うさが端的に表れている。

 政府は先週末、同法案を閣議決定し、衆院に提出した。外交・安全保障政策の司令塔となる日本版「国家安全保障会議(NSC)」創設法案とともに、今国会会期内の成立を目指しており、与党は11月中旬までに衆院を通過させたい考えだ。

 しかし、その内容には問題が多すぎる。法案は防衛や外交、テロ活動防止などに関する事項のうち、漏えいすると国の安全保障に著しく支障を与える情報を閣僚らが特定秘密に指定する内容。公務員らが漏らした場合は最高10年の懲役となる。

 では、個別にどんな情報が秘密に該当するのか。法案は具体例を別表で示しているが、「自衛隊の運用」や「その他の安全保障に関する重要なもの」など曖昧な表現が多い。秘密指定の際は第三者のチェックを受けないため、政府の解釈次第で秘密が“乱造”される懸念がある。

 衆参両院は国政調査権で非公開審議を前提に特定秘密の開示を求めることができる。だが政府に開示義務はなく、開示するのは「安全保障に著しい支障を及ぼ す恐れがない」と判断した場合に限られる。これでは何が秘密か、知りようがないのも同然。返ってくるのは「それは秘密です」という答えだけだろう。

 「脱デフレ」を最優先としてきた安倍晋三首相がにわかに秘密保護法制の整備に踏み込んできたのは、米国から安全保障に関する機密情報の管理徹底を迫られ たからだ。世界がグローバル化する中、友好国が連携して情報収集や分析を行う傾向は強まっている。そこに情報管理の徹底が必要とされることには一定の理解 がいく。その環境整備のためだが、法案を見ると、行き過ぎた情報統制につながる懸念を拭えない。機密の漏えい防止は現行法制で対応できるとの専門家の指摘 もある。

 思い出されるのは中曽根政権下の1985年、最高刑を死刑とする国家秘密法案が議員立法で提出され、世論の反発で廃案になったことだ。今も「知る権利」 の侵害に対する国民のアレルギーは根強い。今回の法案には取材・報道の自由を侵害する内容も含まれ、日本ペンクラブは「廃案」を求めている。巨大与党は法 案成立に固執するべきではない。


 

NHK経営委員 中立性疑われる「安倍人事」 2013年11月06日

 政府は、NHK経営委員会委員5人(うち再任1人)の国会同意人事案を衆参両院に提示した。新任の4人はいずれも安倍晋三首相と個人的に近い人物であ る。恣意[しい]的とも思える“安倍カラー”の濃い人事は、公共放送であるNHKの中立性、独立性を損ないかねないものだ。

 新任人事案で挙げられたのは作家の百田尚樹氏、埼玉大名誉教授の長谷川三千子氏、日本たばこ産業(JT)顧問の本田勝彦氏、海陽中等教育学校長の中島尚 正氏。百田氏と長谷川氏はともに、昨年9月の自民党総裁選で安倍氏への支援を表明。本田氏は首相の元家庭教師。中島氏が勤めている学校は、首相のブレーン であるJR東海会長の葛西敬之氏が設立に携わった。

 NHKの経営委員は放送法で「公共の福祉に関し公正な判断をすることができる者」と定められている。菅義偉官房長官は今回の人事案について「首相自らが 信頼し、評価する方にお願いするのは当然だ」と首相の意向であることを認めた上で、公正さには問題ないとの見解を示したが、果たしてそうだろうか。

 安倍首相は以前にも、NHKの放送内容への介入ともとられる言動で論議を呼んだことがある。NHKが2001年に放送した従軍慰安婦に関するテレビ番組 では、当時官房副長官だった安倍氏がNHK幹部に「公正中立な報道を」と要請した直後に番組内容が大幅に改編されたことが05年に発覚。第1次安倍政権時 代の06年には、当時総務相の菅氏がNHKラジオ国際放送に「首相の理解も得た」として「北朝鮮による拉致問題に留意し重点的に放送する」よう異例の命令 を出し、「報道の自由を妨げる」との批判が上がった。

 だからこそ今回は「不偏不党、真実及び自律を保障することによって放送による表現の自由を確保する」とうたう放送法を尊重し、「不偏不党」を疑われない 慎重な人事案が求められていたのではないか。特に来年1月には松本正之NHK会長の任期満了を控えているだけに、会長任命権を持つ経営委員人事が政治介入 の臆測を呼んでも仕方あるまい。

 NHKに限らず、安倍政権では国会同意人事や政府と関連する要職をめぐり、安倍首相の意向が強く反映された人事が続いている。

 最近では8月に内部からの昇格が慣例だった内閣法制局長官に、異例の外務省出身者を起用。集団的自衛権行使容認への憲法解釈見直しの布石とされた。ま た、3月の日銀総裁人事、6月の日本郵政社長交代も安倍首相の意向が働いたものだった。このほか、各種政策審議会でも首相と理念や政策を同じくするメン バーの起用が目立つ。

 これらの組織は、本来なら政治からは一定の距離を置き中立性、独立性が保障されるべきものだ。その中立性、独立性があってこそ、信頼性が担保されるのである。

 報道機関であるNHKの場合はなおさらだ。NHKは視聴者からの受信料収入で運営する公共放送で国営放送ではない。視聴者代表であり国民の広範な意見を反映すべき経営委員に、安倍首相の“お友達”を多く配した人事は露骨に過ぎないだろうか。首相には自制を求めたい。



沖縄タイムス 社説

2013年11月08日 01時13分29秒 | Weblog

社説[秘密保護と報道]「知る権利」守る覚悟を

2013年10月15日 09時32分
 

 15日から新聞週間が始まった。1万点を超える応募作の中から、今年の代表標語に選ばれたのは、茨城県の高校3年生・大山萌さんの次の1点である。

 「いつの日も 真実に 向き合う記事がある」

 重い言葉である。自身の経験を通して、普段、思ったり感じたりしてきたことを胸の内から絞り出したメッセージ力の高い標語だ。

 大山さんの標語に触発されて頭に浮かんだのは「戦争の最初の犠牲者は真実である」という有名な言葉である。

 アジア・太平洋戦争末期、政党政治は息の根を止められ、大本営は戦況の悪化を隠すため虚偽の発表を繰り返した。日中戦争が始まって軍機保護法が大幅に改正され、取り締まりが強化された。

 戦後のさまざまな法制度は、敗戦がもたらした途方もない犠牲の上に、二度と悲劇を繰り返さないことを誓って築かれたものである。

 沖縄タイムスを創刊した先輩たちは、戦中も「鉄の暴風」の中で新聞を発行し続けた根っからの新聞人だった。

 沖縄戦が終わってタイムスを発行するまでに約3年のブランクがあるのは、資材・人材の欠如という理由だけではなかった。戦争中、戦意高揚の記事を書き続けたしょく罪意識、責任意識が、新聞発行をためらわせたのである。

 戦後68年の歴史の流れの中に現在を位置づけるとき、私たちは、この日本が危うい方向に突き進みつつあるのではないか、という懸念を抱かざるを得ない。

    ■    ■

 安倍政権は、15日に召集される臨時国会に特定秘密保護法案を提出する。公務員などが「特定秘密」に指定された機密情報を外部に漏らした場合、最高で懲役10年の刑罰を科すという内容である。

 罰則を強化し、幅広い分野の情報を秘密指定すれば、公務員は間違いなく萎縮するだろう。その効果を狙った法案だという側面は否定できない。公務員が萎縮すれば内部情報の提供にブレーキがかかるだけでなく、「報道の自由」も制約を受けざるを得ない。

 自民党は、国民の「知る権利」や「報道の自由」の尊重を法案の中に明文化し、公明党の理解を得たい考えだ。だが、努力規定を盛り込むだけではなんの保証にもならず、懸念はぬぐえない。

 日弁連や新聞協会、民放連、ペンクラブなど国内の報道・言論機関がこぞって法案に反対の姿勢を明らかにしているのはなぜか。こうした法律の積み重ねによって、戦前のように再び真綿で首を絞められる恐れがあるからだ。

    ■    ■

 沖縄返還協定をめぐる密約や核持ち込みをめぐる密約などについて、歴代の自民党政権は「密約はない」と主張し続けてきた。

 米側資料が公表され、当時の担当者が密約の存在を認めてもなお、政府は「密約はない」と言い続けてきた。

 そんな政府が特定秘密保護法案を成立させようとしているのである。現行法に基づく情報管理の徹底や公文書管理の見直し、情報公開制度の強化を優先すべきである。

 

 

社説[「強い国」とは]急な政策転換は危うい

           
 

 

013年10月20日 09時22分

 

 「『強い日本』。それをつくるのは、ほかの誰でもありません。私たち自身です。皆さん、共に、進んでいこうではありませんか」

 臨時国会の所信表明演説で安倍晋三首相は、自信に満ちた口調で、そう呼び掛けた。

演説で重点的に取り上げたのは、経済成長と外交・安全保障である。

 安倍首相の言う「強い日本」「強い国」とは、「強い経済」と「強い安保」をあわせもった「強い国家」のことなのだろう。

 安倍政権の外交・安全保障政策を特徴づけるキーワードは「積極的平和主義」と「価値観外交」の2点である。

 代表質問で海江田万里・民主党代表から「積極的平和主義」とは何かと問われ、「世界の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献する」ことだと答えた。この答弁は同義反復で説明になっていない。

 憲法9条や日米安保条約によってはめられている「たが」を取り除き、憲法や安保条約が想定する範囲を超えて、日米が海外で一体となって軍事行動を展開する。それが「積極的平和主義」の中身なのではないか。

 集団的自衛権行使のための憲法解釈の変更や日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の見直しは、「積極的平和主義」を具体化するための取り組み、だと見たほうがよさそうだ。特定秘密保護法案もこうした動きの一環として理解すべきだろう。

 その先に憲法改正による国防軍創設が位置づけられている。これは戦後体制を転換するための政策パッケージだ。

    ■    ■

 安倍首相は価値観外交について、中国を意識し「日米同盟を軸とし、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった価値観を共有する国々と連携を強めていく」ことをあらためて強調した。

 中国や韓国との関係改善が極めて重要な課題であるにもかかわらず、所信表明演説はその点には触れなかった。対中外交に対する方針を欠いた所信表明演説は異常である。

 安倍首相は「中国との対話のドアはいつもオープン」だと口癖のように言う。

 その一方で、9月の訪米時には「私を右翼の軍国主義者とお呼びになりたいならどうぞ」と、中国側の批判に対して感情をむき出しに応酬した。

 高い支持率に支えられた自信とおごりは紙一重である。売り言葉に買い言葉の空中戦を自制し、対話の可能な環境を意識してつくり出していくことが日中双方に求められている。

    ■    ■

 日米安全保障協議委員会(2プラス2)に出席するため来日した米国のケリー国務長官とへーゲル国防長官は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪問し、献花した。

 靖国神社の秋季例大祭を控えた時期に、靖国ではなく千鳥ヶ淵を選んで献花したのである。安倍首相に対する政治的メッセージだ。

 東アジアの国際環境は、この一事が示すように、複雑で多面的である。空気に流されず、言葉に幻惑されず、どこに向かおうとしているのかをしかと見極めたい。

 

社説[秘密保護法修正案]「危うさ」は解消されぬ

2013年10月21日 09時12分
 

 機密を漏らした公務員らへの罰則強化を盛り込んだ特定秘密保護法案について、政府と与党が修正で合意した。政府は最終案を25日に閣議決定し、国会へ提出する予定だ。

 公明党との修正協議を踏まえ、国民の「知る権利」や「報道・取材の自由」への配慮を明記。取材活動は原則として罰則の対象外とすることが規定された。

 しかし、知る権利などへの配慮は努力規定にとどまり、公務員らに最長10年の懲役を科す厳罰化や、政府が不都合な情報を恣意(しい)的に秘密指定する恐れがあるなど、法案の持つ危うさは解消されていない。

 修正案では、知る権利について「報道または取材の自由に十分配慮しなければならない」と規定する。だが、そもそも取材・報道活動は自由に行われるべきもので、国が配慮するものではないはずだ。

 取材活動では「法令違反または著しく不当な方法によるものと認められない限りは、正当な業務による行為とする」とした。しかし、「著しく不当な方法」とは、どういうケースで、どの範囲かあいまいだ。国の恣意的判断が介入しないか懸念が残る。

 罰則強化で予想される公務員らの萎縮によって、本来開示されるべき情報が出されなくなる可能性がある。

 国民の「知る権利」を保障することは民主主義の根幹である。情報公開法の整備を棚上げしたまま秘密保護法案だけを進めるのは「知る権利」をないがしろにするものだ。政府は、国会提出を再考すべきだ。

    ■    ■

 修正案でも国による情報統制が強化される仕組みは変わらない。閣僚らが防衛、外交、特定有害活動(スパイ活動)の防止、テロ防止-の4分野で「特定秘密」に指定する情報の基準はあいまいだ。

 秘密になりうる事項を列挙した別表には各分野に「その他の重要な情報」との表現もあり、秘密が際限なく拡大する恐れがある。

 政府は、秘密指定の運用に統一した基準をつくる考えだが、実際の運用が適正に行われているか、第三者がチェックすることはできない。指定の妥当性を検証する仕組みも整備されない。

 秘密指定の有効期限は5年だが何度でも更新でき、内閣の承認が得られれば30年を超えて延長が可能だ。これでは、国民の目に触れることなく、永久に検証することができなくなる。

 政府の保有する情報が本来国民のものという原則からはるかにかけ離れている。

    ■    ■

 国会は、21日から衆院で予算委員会が始まる。「知る権利」をめぐり問題の多い特定秘密保護法案だ。

 法案に対する国民の警戒心は強い。政府が原案に対して国民から意見を募った「パブリックコメント」では、約8割が反対だった。

 安倍晋三首相は所信表明で「決める政治」に自信をみせた。しかし、自民党「1強体制」下の国会で、拙速な手法は慎まなければならない。公明党とともに数の力で「決める政治」を強行することは許されない。

 
 

 

社説[特定秘密保護法案]市民の権利への脅威だ

2013年10月28日 09時13分
 

 衆参の「ねじれ」が解消し、当分、国政選挙もない。やれることは、今のうちに、どんどんやってしまおう。おそらく、そんなところだろう。

 政府は特定秘密保護法案を閣議決定し、衆院に提出した。公明党に配慮し、国民の「知る権利」や「報道・取材の自由」への配慮を条文に付け加えたが、どうやってそれを保証するのか、肝心な点は法案に明記されていない。

 防衛省はイラク戦争の際、航空自衛隊をイラクに派遣し、空輸活動に当たらせた。市民グループが空輸内容を明らかにするよう情報公開を請求したところ、政府は非開示を決め、黒塗りの書面を提示した。

 再三にわたる請求の末に、ようやく開示が認められた。政権交代が実現したからだ。

 復帰にからむ沖縄密約についても、米国が公文書を開示し、当時の日本側担当者が密約の存在を証言したにもかかわらず、自民党政権は「密約はない」と言い張ってきた。

 そんな性分を持つ政府・官僚機構が、国会などのチェックも受けずに、何が機密情報にあたるかを自分たちだけで決め、情報漏えいに対する罰則を大幅に強化し、情報を得ようとした市民に対しても罰則を適用する、というのである。

 戦前の軍機保護法がそうであったように、この法案がひとたび成立すれば、状況に応じて対象範囲が拡大され、モンスター(怪物)化する恐れがある。民主主義という壊れやすい器は、小さな部分から決壊し始めることを心に留めておきたい。

    ■    ■

 特定秘密保護法案を担当する森雅子少子化相は、処罰対象になる事例として、沖縄密約問題で逮捕された 西山太吉氏(当時、毎日新聞記者)の事件を挙げた。西山氏は、外務省の女性職員に漏えいを働きかけ極秘電文を入手したとして国家公務員法違反容疑で逮捕さ れ、有罪判決を受けたことで知られている。

 この大臣発言には多くの問題点がある。第1に、具体例を挙げることによって法案成立後の取材活動を萎縮させること。第2に、密約を交わしながら、それを否定し続けてきたことの隠蔽(いんぺい)責任を一切不問にしていることである。

 重要な情報は今でも官僚機構に集中している。官僚は情報の出し方を操作することによって自己の利益を達成しようとする。特定秘密保護法案が成立すれば、官僚は集中する情報のコントロール権を一層強め、政治家も国民も重要情報から遮断されることになりかねない。

    ■    ■

 政府は、特定秘密保護法案と日本版「国家安全保障会議(NSC)」創設関連法案をセットと位置づけ、今国会での成立を目指している。憲法解釈を変更し集団的自衛権の行使容認に踏み切ることも、その延長で考えられている。

 特定秘密保護法案は、日米の軍事一体化をさらに強め、共同で対処していくための体制整備という性格をあわせ持っている。

 これほど問題の多い法案を国民的な議論もないまま、数の力で押し切ることは許されない。廃案にすべきだ。

 


東京新聞【社説】

2013年11月08日 00時16分04秒 | Weblog

坂口安吾と憲法9条 戦争放棄という明察

2013年10月21日

 戦後の混乱期、「堕落論」で一躍人気作家となった坂口安吾は、戦争放棄の憲法九条を高く評価していました。それは今の時代状況にも通じる明察です。

 坂口安吾は、一九〇六(明治三十九)年のきのう十月二十日、新潟市に生まれました。今年は生誕百七年に当たります。

 東洋大学印度哲学科卒業後、作家の道を歩み始めます。文壇では高い評価を得ていましたが、世評的には不遇の時代が続きます。

 一変するのは戦後です。四六(昭和二十一)年、「新潮」に掲載された「堕落論」でした。

◆本質見抜く洞察力

 <戦争は終わった。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変わりはしない。 ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、 人間は堕(お)ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない>

 国家のために死ぬことは当然、日本人なら清く正しく生きなければならない、と教え込まれていた当時の人々にとって、堕落こそ人間救済の道という逆説的な省察は衝撃的でもありました。本質を見抜く洞察力に貫かれたこの随筆を機に一躍、人気作家となります。

 太平洋戦争の開戦時、安吾は三十五歳。年齢故に召集もされず、四四(同十九)年には、日本映画社の嘱託となります。安吾の戦場は遠い戦地ではなく、幾度も空襲に見舞われ、降り注ぐ爆弾や焼夷(しょうい)弾から逃げ惑った東京でした。

 安吾自身、反戦主義者ではなかったようですが、戦争を冷徹な目で見ていました。四三(同十八)年、海軍の山本五十六元帥の訃報に接し、こう書き記しています。

◆根源から問い直す

 <実際の戦果ほど偉大なる宣伝力はなく、又(また)、これのみが決戦の鍵だ。飛行機があれば戦争に勝つ。それならば、ただガムシャラに飛行機をつ くれ。全てを犠牲に飛行機をつくれ。さうして実際の戦果をあげる。ただ、戦果、それのみが勝つ道、全部である>(現代文学「巻頭随筆」)

 戦争に勝つには、精神力ではなく軍事力、国民を奮い立たせるのは、うその大本営発表ではなく真の戦果、というわけです。

 虚構ではなく実質。今となっては当然ですが、戦後六十八年がたっても色あせない洞察力こそが、今なお安吾作品が読み継がれている理由でしょう。

 「根源から問い直す精神」。評論家の奥野健男さんは、安吾の魅力をこう書き残しています。

 堕落論の約半年後、日本国憲法が公布されます。主権在民、戦争放棄、基本的人権の尊重を三大原則とする新しい憲法です。

 安吾の精神は、憲法論に遺憾なく発揮されます。特に、評価を与えたのが、国際紛争を解決する手段としての戦争と、陸海空その他の戦力を放棄した九条でした。

 <私は敗戦後の日本に、二つの優秀なことがあったと思う。一つは農地の解放で、一つは戦争抛棄(ほうき)という新憲法の一項目だ><小(ち)ッポ ケな自衛権など、全然無用の長物だ。与えられた戦争抛棄を意識的に活用するのが、他のいかなる方法よりも利口だ>(文芸春秋「安吾巷談(こうだん)」)

 <軍備をととのえ、敵なる者と一戦を辞せずの考えに憑(つ)かれている国という国がみんな滑稽なのさ。彼らはみんなキツネ憑きなのさ><ともかく 憲法によって軍備も戦争も捨てたというのは日本だけだということ、そしてその憲法が人から与えられ強いられたものであるという面子(メンツ)に拘泥さえし なければどの国よりも先にキツネを落(おと)す機会にめぐまれているのも日本だけだということは確かであろう>(文学界「もう軍備はいらない」)

 東西冷戦に突入し、核戦争の恐怖が覆っていた時代です。軍備増強より、九条の精神を生かす方が現実的との指摘は、古びるどころか、今なお新鮮さをもって私たちに進むべき道を教えています。

◆改憲潮流の時代に

 安吾は五五(同三十)年に亡くなります。四十八歳でした。この年の十一月に結党された自民党は今、安倍晋三首相の下、党是である憲法改正を目指しています。

 自衛隊を「国防軍」に改組し、集団的自衛権を行使できるようにする内容です。首相は世界の平和と安定に積極的に貢献する「積極的平和主義」も掲げ始めました。

 しかし、ここで言う「平和」に実質はあるのか。軍拡競争をあおったり、米国の誤った戦争に加担することが、本当にないのか。

 本質を見抜き、根源から問い直す。安吾の精神が今ほど必要とされる時代はありません。



「戦前を取り戻す」のか 特定秘密保護法案

2013年10月23日
 

 特定秘密保護法案が近く提出される。「知る権利」が条文化されても、政府は恣意(しい)的に重要情報を遮蔽(しゃへい)する。市民活動さえ脅かす情報支配の道具と化す。

 「安全保障」の言葉さえ、意図的に付けたら、どんな情報も秘密として封印されかねない。

 最高十年の懲役という厳罰規定が公務員を威嚇し、一般情報も公にされにくくなろう。何が秘密かも秘密だからだ。情報の密封度は格段に高まる。あらゆる情報が閉ざされる方向に力学が働く。情報統制が復活するようなものだ。一般の国民にも無縁ではない。

◆米国は機密自動解除も

 秘密保護法案の問題点は、特段の秘匿を要する「特定秘密」の指定段階にもある。行政機関の「長」が担うが、その妥当性は誰もチェックできない。

 有識者会議を設け、秘密指定の際に統一基準を示すという。でも、基準を示すだけで、個別案件の審査はしない。監視役が不在なのは何ら変わりがない。

 永久に秘密にしうるのも問題だ。三十年を超えるときは、理由を示して、内閣の承認を得る。だが、承認さえあれば、秘密はずっと秘密であり続ける。

 米国ではさまざまな機会で、機密解除の定めがある。一九六六年には情報公開を促す「情報自由法」ができた。機密解除は十年未満に設定され、上限の二十五年に達すると、自動的にオープンになる。五十年、七十五年のケースもあるが、基本的にずっと秘密にしておく方が困難だ。

 大統領でも「大統領記録法」で、個人的なメールや資料、メモ類が記録され、その後は公文書管理下に置かれる。

 機密指定の段階で、行政機関の「長」は常に「説明しなさい」と命令される状態に置かれる。機密指定が疑わしいと、行政内部で異議申し立てが奨励される。外部機関に通報する権利もある。

◆名ばかりの「知る権利」

 注目すべきは、機密は「保護」から「緩和」へと向かっている点だ。機密指定が壁になり、警察の現場レベルに情報が届かず、テロを招くことがある-。つまり情報は「隠す」のではなくて、「使う」ことも大事なのだ。

 日本は「鍵」をかけることばかりに熱心だ。防衛秘密は公文書管理法の適用外なので、国民に知らされることもなく、大量に廃棄されている。特定秘密も同じ扱いになる可能性がある。

 特定秘密の指定事項は(1)防衛(2)外交(3)特定有害活動の防止(4)テロリズムの防止-の四つだ。自衛隊の情報保全隊や公安警察などがかかわるだろう。

 四事項のうち、特定有害活動とは何か。条文にはスパイ活動ばかりか、「その他の活動」の言葉もある。どんな活動が含まれるのか不明で、特定有害活動の意味が不明瞭になっている。いかなる解釈もできてしまう。

 テロ分野も同様である。殺傷や破壊活動のほかに、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若(も)しくは他人にこれを強要」する活動も含まれると解される。

 これが「テロ」なら幅広すぎる。さまざまな市民活動も考えているのか。原発がテロ対象なら、反原発運動は含まれよう。まさか軍事国家化を防ぐ平和運動さえも含むのだろうか。

 公安警察などが社会の幅広い分野にも触手を伸ばせるよう、法案がつくられていると疑われる。

 「知る権利」が書かれても、国民に教えない特定秘密だから名ばかり規定だ。「取材の自由」も「不当な方法でない限り」と制約される。政府がひた隠 す情報を探るのは容易でない。そそのかしだけで罰する法律は、従来の取材手法さえ、「不当」の烙印(らくいん)を押しかねない。

 公務員への適性評価と呼ぶ身辺調査は、飲酒の節度や借金など細かな事項に及ぶ。親族ばかりか、省庁と契約した民間業者側も含まれる。膨大な人数にのぼる。

 主義主張に絡む活動まで対象範囲だから、思想調査そのものになってしまう。警察がこれだけ情報収集し、集積するのは、極めて危険だ。国民監視同然で、プライバシー権の侵害にもあたりうる。

 何しろ国会議員も最高五年の処罰対象なのだ。特定秘密を知った議員は、それが大問題であっても、国会追及できない。国権の最高機関を無視するに等しい。

◆目を光らせる公安警察

 根本的な問題は、官僚の情報支配が進むだけで、国民の自由や人権を損なう危うさにある。民主主義にとって大事なのは、自由な情報だ。それが遠のく。

 公安警察や情報保全隊などが、国民の思想や行動に広く目を光らせる。国民主権原理も、民主主義原理も働かない。まるで「戦前を取り戻す」ような発想がのぞいている。

 
 

日本版NSC 秘密保護法を切り離せ

2013年10月31日

 日本版NSC(国家安全保障会議)を設ける法案の審議が衆院で始まった。外交・安全保障に関する首相官邸の司令塔機能を強化するというが、特定秘密保護法案と一体である限り、認められない。

 内閣には現在、国防上の重要事項などを審議するため、首相を議長、外相、防衛相、官房長官らを議員とする「安全保障会議」が置かれている。しかし、審議はするものの、決定はあくまで閣議に委ねられており、形骸化も指摘されてきた。

 省庁の縦割りで情報が円滑に伝わらないなどの弊害もあった。

 NSCはこうした問題を解消するため、安保会議を改組し、機能を強化しようというものだ。

 外交・安全保障について協議するため、首相、外相、防衛相、官房長官の四者会議を常設。事務局として内閣官房に「国家安全保障局」を新設し、外務、防衛、警察などの省庁から要員を集めるという。モデルは米英両国の組織だ。

 中国の軍事的台頭や北朝鮮の核・ミサイル開発など、アジア・太平洋地域の緊張は増している。

 それが軍事的な衝突に発展しないよう、情報を集約、分析し、外交・安保政策の決定に生かすのは政府の役割である。

 万が一、偶発的な衝突があった場合でも、持てる情報を最大限生かし、外交力を駆使して危機を拡大させない冷静さが必要になる。

 NSCにより、省庁が縄張り意識を捨てて情報を寄せ合い、総合的な分析が可能になることで、首相の賢明な決断に資するなら、設置も一手かもしれない。

 しかし、NSCを置くために、国民の「知る権利」や基本的人権を侵す危険性がぬぐえない秘密保護法を成立させようというのは、本末転倒ではないのか。

 NSC法と秘密保護法が成立すれば、官邸機能が強化される一方で、外交・安保にかかわる事項が機密のベールに隠されてしまう。

 われわれは、誤った情報で攻撃に踏み切った米国を支持し、自衛隊を「戦地」派遣したイラク戦争の過ちを繰り返してはならない。

 イラク戦争をめぐる日本政府の政策判断が正しかったのか、政府や国会は秘密保護法がなくても十分な検証をしようとしないのに秘密保護法で、ますます闇の中だ。

 この際、秘密保護法案はNSC法案と切り離し、成立を断念したらどうか。秘密保護法と一体ならNSCも見送った方が賢明だ。禍根を残してはならない。

 

難病助成見直し 病名での線引きは酷だ

2013年11月5日

 国の難病対策の見直し案がまとまった。医療費助成の対象疾患を大幅に増やし、患者の自己負担額などを変える。だが病名で区切る発想を続けたままでは実態に合った支援から遠のくのではないか。

 厚生労働省が省内の専門家委員会に対し、今回示した見直し案の要点はこうだ。

 医療費助成の対象となる病気を今の五十六から約三百へと大幅に増やすが、重症患者らに絞る。

 患者の自己負担割合を今の三割から二割に減らす。一方で年収に応じ、六段階に分けて月額三千~四万四千四百円を上限に負担を求める、などである。

 来年の通常国会で新法をつくり二〇一五年の施行を目指す。

 新制度になれば、助成の対象者は現在の約七十八万人から百万人超に増える見通しだ。

 突然強い疲労感に襲われ、ふつうの生活ができなくなる筋痛性脳脊髄炎・慢性疲労症候群(ME・CFS)の会は、開会中の臨時国会に請願を出す。一 度も行われていない重症患者の実態調査や診断基準の確立などを求めるためだ。 この病気は助成指定外で、福祉サービスを受けられる障害者総合支援法も適用 されていない。岐阜県可児市の塚本明里(あかり)さん(23)が発症したのは高校二年の春。痛みを抑えるため、全身約四十カ所の注射を打ちに週の大半を病 院通いに費やしている。そんな中でも前向きに請願の署名集めに努めた。

 助成の拡大が、支援からこぼれ落ちていた“谷間”の患者らに光を当て、勇気づけるのは確かだ。

 だが今回の見直しでは「明」より「暗」の側面が浮かび上がったように思われてならない。

 無料だった重症患者(約八万一千人)が相応の負担を強いられることになる。軽症者は助成を打ち切られる。助成の目安は「患者数が人口の0・1%程 度以下」と絞り込まれ、パーキンソン病(患者約十一万六千五百人)や潰瘍性大腸炎(約十三万三千五百人)などの患者は対象から外される不安を募らせている と聞く。

 五千~七千種といわれる難病。病名で線引きして支援する方法は曲がり角に来ているのだ。

 厚労省は財源難を盾に、患者の自助や制度の公平性を強調する。だが患者らは、もう十分に自助を尽くしている。その上に自己負担を求めるのは酷ではないか。

 誰でも発症しうるのが難病だ。「社会全体で患者を支える」という委員会の崇高な提言。その基本に戻った発想を生かしてほしい。