経済評 論家内橋克人さん 軍需経済化9条が歯止め 2007年6月22日
「米国の真意を知らず、追随ばかり唱える改憲論者が勢いを増している」と話す内橋さん
私は二度にわたる神戸大空襲で、降り注ぐ火塊の下を逃げ惑い、身近な人を多く失いました。戦争を知る者が少数派になった今、「戦争を知らない軍国少年」らが政治を牛耳り、改憲を唱えています。
改憲論者は世界市場化を進める米国の真意を見抜けず、そもそも経済に明るくない。絶えず軍拡に頼ろうとしてきた日本経済の過去の構造も知らないようです。日本経済は戦前から供給過剰・需要不足の構造をひきずり、国民の購買力が追いつかない。国内の消費力は弱いまま。絶えざる需給ギャップ経済です。
昭和恐慌は軍事費を大幅に増やし、見せかけの好況と失業者の徴兵によって切り抜けた。しかし、肥大化した軍部や量産した兵器はどうなったか。待っていたのが十五年戦争でした。戦後は需給ギャップを外需と公共事業で埋めてきたが、政財界は深刻な不況のたびに軍需産業に頼り、「第三の市場」によって需給の安定化を図ろうとする誘惑にかられてきました。
米軍の発注で潤った朝鮮戦争での特需が終わったころ、次に第二次石油危機と円高ショックが同時に来た一九七〇年代後半、そしてバブル崩壊後の九〇年代不況下-の三回です。しかし、憲法九条が歯止めとなって、彼らは日本経済の軍需経済化をおおっぴらには進めることができなかった。
中国やアジア諸国も九条を信頼しているからこそ、日本企業の工場進出を受け入れた。改憲論者は九条の果たした役割の大きさを全く理解していない。
「(憲法改正への)国民投票をやってみればいい」という一部の護憲派の意見も、「文民統制だから大丈夫」という改憲派の考えも甘すぎる。安倍晋三政権は米国主導の現実が変わればまた変わる、まさに稚拙な「刹那(せつな)主義」です。
「憲法押しつけ論」を説く改憲論者は、今の改憲論こそ米国の「押しつけ」であることを、どうして見抜けないのか。米国にはびこる民間の「戦争代行屋」の一つとして、同様の役割を日本に要求している。米国の軍事戦略の一環に組み込まれて何が「自立国家」ですか。
日本人の中に一人として、他の「身代わり」なくして今を生きている人などいません。戦争の悲惨な記憶を、単なる記録におとしめてしまうことのないよう、腹をくくるべきときです。
うちはし・かつと 1932年兵庫生まれ。新聞記者を経て経済評論家に。著書に「匠(たくみ)の時代」「浪費なき成長」「経済学は誰のためにあるのか」「共生の大地」など多数。74歳
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/consti/news/200706/CK2007062202026160.html
作家の加賀乙彦さん 核兵器の永久放棄宣言 2006年12月4日
「新憲法を読んだ時の驚きと喜びは大きかった」と語る加賀乙彦さん
敗戦時、名古屋の陸軍幼年学校三年生でした。本土決戦を想定し、たこつぼから飛び出して戦車を攻撃する訓練をしていた。「十六歳で死ぬんだ」と決心していたけれど、内心は怖くてたまらなかった。
新憲法を読んだ時の驚きと喜びは、とても大きかったですね。子供のころから戦争に次ぐ戦争だったから。戦争のない世の中をうたった憲法は理想的なものに見えた。
ただ、いま憲法を読むと、いくつか付け加えたいことがある。大量破壊兵器の生産・保有は永久にしない、と明記すべきだと思う。日本の悲願は核の廃絶です。核の拡散防止では不十分。核大国は永久に保持していいことになる。「核兵器は永久に保持しない」。憲法にそう明記して全世界に向かって主張すれば、二十一世紀の人類の指針になる。
私は、陸海空軍その他の戦力は保持しない、交戦権も認めないという九条二項は必要ないと思っているんです。自衛に限ると制約した上で、軍隊の保持と交戦権は認められるべきでしょう。ただし、その前提になるのは在日米軍基地の撤去。敗戦から六十年もたつのに、米軍基地がある国が独立国だ、なんて言えない。実に奇妙なことだ。
沖縄をはじめ、米軍基地のある地域は六十年間苦しんできた。しかも、沖縄はイラクやアフガニスタンへの出撃拠点にもなった。日米同盟が必要なら、独立国として対等になったうえで条約を結べばいい。憲法には「外国の軍隊の基地を置かない」と明記すべきなんです。
日本の民主主義は、連合国軍総司令部のマッカーサー元帥が厚木(神奈川県)に降りた時から始まった。数日前まで「鬼畜米英」と叫んでいた新聞は、この日を境に民主主義の礼賛の嵐になった。これには驚いた。大人に不信感を持ちましたよ。日本人ほど流行に弱い民族はないですね。
かが・おとひこ 1929年東京まれ。東大医学部卒。小説家、精神科医。主著に死刑囚の心理を克明に描いた「宣告」(日本文学大賞)や、戦前を舞台にした自伝的大河小説「永遠の都」(芸術選奨文部大臣賞)など。77歳。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/consti/news/200612/CK2007051002115023.html