共生の小路ーこの時代に生きる私たちの社会に、警鐘とひかりを見いだす人々の連帯の輪をここにつくりましょう。

社会福祉の思想は次第に成熟されつつあった。しかし、いつのまにか時は崩壊へと逆行しはじめた。

「お互い様」の精神 市毛良枝さん  医療と介護 ケアノート 2007年12月27日 読売新聞より

2008年01月08日 18時12分06秒 | Weblog
市毛良枝さん
「お互い様」の精神
将来は地域で助け合い

 母(利枝さん)は先日、92歳の誕生日を迎えました。

 脳こうそくがきっかけで始まった母の介護を、私はもう2年以上続けていることになります。この間、母の助けとなる医療や介護の制度に、私はかなり詳しくなりました。

 リハビリの体制が不十分だったり、母を一人にした時に頼れるサービスが少なかったりと、必要なことをしてもらえない現状があることを痛感しました。財政難などを理由にした制度の見直しは、今後も続き、私たちをさらに締め付ける可能性があります。

 母のことだけでなく、私自身の老後のシミュレーションをしてみると、1人でやっていけるのだろうかと絶望的な思いがします。ただ、私は、あらゆることを行政に押し付けようとは思っていません。

 母の介護では、周囲の知人らに随分助けられました。母の入院中に親しくなった患者さんの家族から、介護に役立つ情報を教えてもらったり、自宅を改修する際には、足が不自由な友人のアドバイスで、車いすのまま使える洗面台を備えたりすることができました。こうした身近なサポートが、私にとっては何より力になったのです。

 今は、母の介護で手いっぱいですが、母がしっかりして少し余裕ができた時、今度は私が他人を助ける立場になれないかと思っています。

 「お互い様」の精神に基づいた、昔のご近所づきあいのような考え方です。井戸端会議のような場所で、「○○さんち、人手がなくて困っているみたいだよ。じゃあ行ってあげようか」みたいな。

 そうした関係を地域のコミュニティーの中で築いていくことが大切だと考えます。

 私は割とおせっかい好きなので、「お茶を飲みに来ませんか」と、まずはこちらからきっかけ作りの輪を投げかけるつもりです。それで互いに気心が知れたなら、お年寄りの「見守り」や「助け合い」が地域で可能になるのではないでしょうか。

 もちろん住民の手に負えないことは、行政にやってほしいと強く思います。でも、これからは、自分たちでも何とかしないと、やっていけない時代になると思うのです。

 都市化した現代社会の中では、さまざまな困難や問題もあるだろうけれど、私は勇気を出してその一歩を踏み出したい。そのことが私自身、そして一緒に老後を生きる人たちのためにもなるのですから。(俳優、おわり)


 ケアノートは、新年から「くらし健康面」で、毎月第2日曜日に掲載します。
(2007年12月27日 読売新聞)
※ 記事は読売新聞、読売家庭版に掲載された時のままで、内容の一部が変わっている場合があります。 読売新聞生活情報部   kurashi@yomiuri.com

《 読売オンライン 医療と介護 介護・老後 ケアノート 》より抜粋

【正論】ニヒリズムへ突き進む日本 京都大学教授・佐伯啓思) msn産経ニュースより

2008年01月08日 17時54分28秒 | Weblog
【正論】ニヒリズムへ突き進む日本 京都大学教授・佐伯啓思 (1/3ページ)
2007.12.31 02:13

「善き社会」へのイメージが描けず

 ≪行為の意味に確信がない≫

 いささか乱暴ではあるが、もし仮に現代文明の本質を一言で述べよといわれれば、私は「ニヒリズム」という言葉を使いたい。ニヒリズムとは、ニーチェによると、これまで自明なものとして信じられてきた諸価値の崩壊である。価値の崩壊とは、人々が、物事の軽重やその意味や本質を判断する基準が失われてしまうということである。

 その結果どうなるか。われわれは世界を統一したものとして見ることができなくなり、われわれの行為は、社会や歴史とのつながりを持てず、行為に確かな社会的、あるいは歴史的意味を与えられなくなってしまう。行動の確かな目的もわからなくなってしまう。

 そうなるとどうなるか。人々は、自己の行為の確かな意味や目的を確信できなくなるために、ある者は瞬時の刺激や快楽を求める刹那(せつな)的快楽主義に走り、ある者は、所詮(しょせん)何をしても無意味だとしてこの世界をシニカルに見る冷笑主義へと走るであろう。私には、今日の日本も世界も、その意味で急速にニヒリズムの坂を転げ落ちているように見える。

 戦後日本は、経済的豊かさの追求、自由や平等の実現を目指してきた。これは、貧困からの解放、戦中の不自由や抑圧からの解放、極端な社会的格差や差別からの解放という意味では、確かにわれわれの心理を捉えた、といってよかろう。

 それらから解放されることで、われわれは何か「善き生活」が手に入るという期待をもてたわけである。「善き生活」や「善き社会」という期待やイメージがかろうじてあれば、それを実現する手段としての経済成長や自由・平等にも大きな価値が与えられたのであった。

 ≪目的そのものが内容空疎≫

 しかし、それらがある程度、実現したとき、どうなるか。もはやわれわれは、この先に来る「善き社会」のイメージを描き出すことは出来なくなっている。これ以上、経済成長を続け、自由・平等の実現をはかったとしても、それがもはや「善き社会」をもたらすとは思われないのである。

 にもかかわらず、われわれは、経済的豊かさ、自由・平等の実現という価値を相変わらず高く掲げている。一体、何のために経済的豊かさを求め、自由の拡大によって何をするのか、という問いに対する答えは空しく宙をまう。

 こうして、経済成長、自由・平等の拡大という本質的に「手段」であるものが「自己目的」となってしまい、しかもその「目的」は具体的イメージを伴わないために内容空疎な名目となってしまった。かくて、われわれは何のために働き、何のために勉強をし、何のために自由を求めるのか、その素朴な問いの前に茫然(ぼうぜん)と自失しているように見える。

 行動には確かな意味を付与できず、不安と苛立(いらだ)ちだけが募ってくるように見える。ニヒリズムというほかなかろう。

 行動に確かな意味を見失ってしまった結果が、瞬間的快楽ゲームの様相を呈する過度なマネーゲームとマモニズム(金銭主義)であり、これも、瞬間的憎悪の発露としてのあまりに安易な衝動殺人であり、また、あまりに瞬間的な情緒やイメージによって浮動する世論の政治である。

 ≪殺伐なこの1年の底流に≫

 ニヒリズムの中では、人々は、自己の行動の与える社会的な意味や連関を十分に想像することができなくなってしまう。そのために、もはや他人のことや、社会のことを考慮に入れているだけの余裕もなくなる。

 今ここでの自己の情念や欲望だけがすべてになってしまうのである。

 この1年を振り返れば、あまりに殺伐とした社会であったといわざるをえないが、その基底にあるものは、現在文明を深く覆っているニヒリズムにほかならないのではないだろうか。ほとんど「目的」なき経済競争の中で、いかにニートやワーキングプアが出ようが、人々はもはや「私」の生活と利害にしか関心をもてなくなっている

 他人や社会に対する余裕のなさは、ともかくも非がある者を見つけ出しては声高に責任を追及するという相互不信を生み出している。ニヒリズムの中では、人は、自己保身のために、むきだしの「力」を求めようとする。ニーチェのいう「力への意思」である。

 このニヒリズムに抗することは難しい。しかしもし方策があるとすれば、第1に、現代文明のニヒリズム的性格を理解することであり、第2に、われわれが共通に持てる「善き社会」のイメージを描き出すことでしかあるまい。(さえき けいし)

福岡市で06年8月に起きた3児死亡事故 裁判 朝日新聞より

2008年01月08日 17時32分08秒 | Weblog
「過失」の判断、やりきれなさ残す 福岡3児死亡判決

2008年01月08日12時30分

 幼い3人の命を奪った飲酒事故は「危険運転」ではなく「過失」と判断された。福岡市で06年8月に起きた3児死亡事故で、8日の福岡地裁判決は危険運転致死傷罪の成立を否定して業務上過失致死傷罪を適用。そのうえで量刑は道路交通法違反罪との併合で上限となる懲役7年6カ月とした。遺族はやりきれなさを抱えつつ、減刑しなかった判決に一定の理解を示した。主張が認められた形の今林大(ふとし)被告(23)はうつむいたままほとんど身動きしなかった。

 遺族の大上哲央(あきお)さん(34)、かおりさん(31)夫妻は午前9時40分ごろ、福岡地裁に姿を見せた。哲央さんは3人の子どもたちの遺影を手に、かおりさんは事故後の昨年9月に生まれた次女愛子ちゃんを胸に抱いていた。

 2人は傍聴席の前から4列目の中央付近に座った。危険運転致死傷罪が適用されれば最高刑は懲役25年だが、昨年12月の地裁による訴因変更命令で、その可能性は薄らいでいた。

 「懲役7年6カ月」。主文が言い渡されると、哲央さんは大きく息をついた。かおりさんは厳しい表情のまま、ひざの上に乗せた左手でハンカチを握りしめた。判決理由の中で裁判長が「3児はいずれも宝物」と述べると、こらえきれずに涙を流した。

 閉廷後、夫妻は代理人の弁護士とともに記者会見した。哲央さんは判決について、「当初から裁判所の判断に委ねると言ってきたので、それはそれとして受け止めたい」とひと言ずつしぼり出すように語った。

 かおりさんは涙を浮かべながら、「危険運転致死傷罪の適用には高いハードルがあることを実感した」。一方、業務上過失致死傷罪適用での最高刑が下されたことには「裁判官の思いが伝わってきた」と評価した。3人の子どもの遺影を持ってきた理由について尋ねられると、「3人の大きな命を奪い取ったという事実を、被告にわかってほしいと思ったから」と話した。

 今林被告への憤りは消えない。哲央さんは「彼の顔をきちんと見て、私たちや子どもたちの未来を壊したんだと改めて感じた」。かおりさんは「被告の表情がないことに違和感を覚えた。3人の命を奪ったことをどう感じているのか。彼が事故後に自己保身に動いている中で子どもたちが亡くなったことを考えると、たまらなくなった」と話した。

 今後の見通しについて、代理人の弁護士は「大上さん夫妻から控訴の要請などに動くことはないが、厳罰に処してほしいと思っているので、検察が判断すると思う」と述べた。

 表面的には落ち着きを取り戻しつつある様子も見せていた夫妻だが、幸せな家庭を破壊された心の傷はいまも癒えない。

 事故直後は2人とも「なぜ子どもたちを助けることができなかったのか」と自分たちを責めた。昨年9月に法廷で証言した哲央さんは「私たちの宝である貴い命を奪った被告を厳重に処罰してほしい」と厳しい遺族感情を吐露。同じ日、「懲役25年の刑が下ると確信している」というかおりさんの供述調書も読み上げられた。

 ただ、飲酒運転の厳罰化だけを望んできたわけではない。事故の後で逃げずに救助活動をした人には寛大な処置も必要だと考えている。根底にあるのは「今林被告が救助に当たってくれていたら、子どもたちは助かったかもしれない」との思いだ。