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エプスタイン事件 (4) マックスウェル家

2020-07-04 19:20:50 | WW1&2

今週エプスタインの元ガールフレンド、ギレーヌ・マックスウェルがアメリカで逮捕された。

前に書いた通り、エプスタイン事件なるものは、むしろこっちのギレーヌの方がかなり重要なのではないかと思ってる。といってギレーヌのことではなくてこの人の両親が相当に重要だろうということ。

エプスタイン事件 (2) ギレーヌは重要だ

 

だから、児童買春事件というのは、実際それはそれで当然処罰されるべき事件ではあるけど、体の良いカバーではないのか、など思ってみたりもする。

 

で、今回一番驚きなのは、少なからぬ人が指摘している通り、ギレーヌ・マックスウェルがフランスを出てアメリカで捕まったことでしょう。アメリカはお縄をかけようという意思があることはわかり切ったことなのに、アメリカに行ったというのが謎。

ギレーヌはフランス生まれでフランスの市民権を持っているので、フランスにいる限り引き渡しはされなかった確率はかなり高い。フランスはフランス生まれの市民をどんな罪だろうが外国に引き渡さない、そしてそれを本人たちが誇りにしているというのも含めて有名。

だからそれにもかかわらずギレーヌがアメリカに行ったというのは、既にそこで何か取引があるのだろう、など私は思う。

もちろん、メディアは売春話で大賑わいだろうが、この人脈が示唆するものはそんなことではないでしょう、だって、など思うのだった。

 

■ ロバート・マックスウェル

ギレーヌ・マックスウェルの父親のロバート・マックスウェルはイギリスでメディア王の1人で、1991年11月に死ぬまで悪目立ちしていた。そしてその死を巡って他殺か自殺かという話でさらに話題が沸騰し、死んだ後にはメディア帝国が従業員の年金基金を流用していたことが発覚し、大衆的には遠慮なく憎悪していいい存在になっているように見える。

Daily Mailがこんな写真で一族のその後を解説してしまうほど。一番奥のおじさんがマックスウェル。手前で美人の奥さんに抱かれているのが末娘のギレーヌ。

Robert Maxwell (back row, centre) pictured with his wife Betty (sat with youngest daughter Ghislaine on her knee) and seven of their eight children at home in Headington Hill Hall, Oxford. When this photo was taken Ian (5) was 11 years old and attending preparatory school, while Isabel, then 17 (4) was at grammar school with their sister Christine (3), and youngest son Kevin, 8, (6) was at preparatory school. Second oldest son Philip, (1), had entered his second undergraduate yer at Balliol College, Oxford, while Anne (2) was also studying at the university, but at St Hugh's College.

https://www.dailymail.co.uk/news/article-7361931/Misery-Maxwells-Bankruptcy-sudden-death-huge-fortunes-lost.html

 

では彼はイギリス人なのかというと、市民権を持っているという意味ではそうだけど、そもそもは「チェコスロバキア」の人。

前にはこんなことを書いた。

ロバート・マックスウェルは、1948年のイスラエル vs アラブの戦争で、チェコスロバキアが非常に重要な働きをしたことと深く関係があるだろうと考えられている。

この動きはOperation Blackと呼ばれ、欧州内の兵器、特に航空機をパレスチナ地域(まだイスラエルではない)に密輸していた。最大手はチェコスロバキアから出てるが、全部がチェコ製ということじゃなくて当時まだ大量に残存していたドイツ軍の航空機などが運ばれたらしい。

チェコスロバキアからイスラエルへの軍備密輸 1947~1949年

エプスタイン事件 (2) ギレーヌは重要だ

 

前回書いた時には、まずそこに目が言っていたんだけど、今回あらためていろいろ読んでみると、それ以上に興味深いことがたくさんある。

wikiには彼の出自をこんな感じで書いてある。これはほぼ英語版の翻訳。

ロバート・マクスウェルは当時のチェコスロバキア最東端の地方だったカルパチア・ルテニア(現在のウクライナ・ザカルパッチャ州)のスラティンスケー・ドリ(Slatinské Doly、現在のソロトヴィノ Солотвино)の町で、イディッシュ語を話す貧しいユダヤ系の家庭に生まれた。

当時はヤーン・ルドヴィーク・ホッホ(ホッホ・ヤーノシュ・ラヨシュ、Ján Ludvík Hoch)という名であった。1939年、カルパチア・ルテニア地方はハンガリーに組み込まれ、さらにハンガリーは1944年にドイツ軍に占領され、ユダヤ人であるヤーンの家族のほとんどは殺された。 

 

微妙にあってるような、あってないような・・・というところなので解いてみる。

まず、ロバート・マクスウェルの出身地は、現在のウクライナの最西部ザカルパチア州。

ザカルパッチャ州の位置

ここは、彼が生まれた1923年には確かにチェコスロバキアのものだったろうが、歴史的にず~っと揉めてるような場所で所有者は何度も変わってる。直前までの長い期間はハンガリー王国の支配下にあったところ。

第一次世界大戦でオーストラリア・ハンガリー帝国が敗戦し、それによってベルサイユ会議がここらへんを解体し、その過程でこの場所はチェコスロバキアの領土となった。

しかし、ハンガリーはそこを歴史的ハンガリー領土と思っているので諦めず、ヒトラーと同様ファシスト政権となってからはむしろ積極的に失われた領土の奪還を言い、例の1938年から1939年のチェコスロバキア分割事件では、ハンガリーがこのあたりを取った。

4のところ。直前まで黄色と一緒だったからそこはスロバキアだった。

 

話が複雑なのは、現実にはそのあたり(カルパチア・ルテニア)の多数派の住民は、今でいうウクライナ人、歴史的にいえばキエフ・ルーシ集団の人とでも言うべき人々だったと言っていいんだろうと思う(ハンガリー人が苦情を言うかもしれないけど)。カトリックの信者集団ではなくて、正教徒集団が多数だと書いた方が適切かもしれないが、なにせ、これらルーシ集団はハンガリーの支配に納得したことはない。(その後、第二次世界大戦でソ連が勝ったためここらへんはソ連のウクライナのものとなり、現在に至ってる)

さらに、この地域一帯にはユダヤ人集団、概ねハシディズムの集団がいる。

ロバート・マックスウェルは、おそらくこのユダヤ人集団の人だと思う。であるのなら、彼は、チェコスロバキアの人というよりも、むしろ、ザカルパチアのユダヤ人、あるいは、ガリチアのユダヤ人と呼ばれる方がよほどわかりやすい。

 

で、そのガリチアのユダア人が1940年前後に故郷を逃げ出して、波乱万丈フランスにたどり着き、そこで亡命チェコスロバキア人の軍に参加し、次にはイギリスに移って軍に入ってノルマンディーで軍功をあげて、終戦後はイギリス人になって、1948年にはチェコスロバキアからイスラエル向けに武器を送る作戦に参加し、イギリスで国会議員になって、メディア王になるという、おとぎ話みたいな人生を送っているのがこのロバート・マックスウェルことヤーン・ホッホさん。

そして亡くなったら、イスラエルが国葬並の丁重さでこの人の死を悼み、イツハク・シャミル首相は、マックスウェルは今言えるよりももっと多くのことをイスラエルのためにした、と言ったと言われている。wikiにもあるね。

 

■ エリザベス・マックスウェル

さらに、この人の奥さんもイスラエルのためになることをしている。上の写真で見るように、妙に上品なこの人はフランス貴族の末裔でインテリさんと言っていいバックグラウンドを持っているように見える。

子供の頃イギリスに住んで、フランスに帰り、ちょうど1944年フランスに連合軍が入ってくる時に(当時はヴィシー政権下)通訳を務めていた時に、当時すでにチェコスロバキア生まれのイギリス軍大佐となっていたマックスウェルと結婚した。

思うに、両方ともイギリスのために働いている人同士だったのではなかろうか・・・という感じがする。

で、このエリザベスさんは、後に、夫であるマックスウェルがナチによって親族を多数殺されたことを調べはじめ、1988年に、イギリスで「将来のために記憶する」といった取り組みを始め、知られていなかった反ユダヤ主義について本を書き、精力的に広めていく。

In 1988, Maxwell organized a conference in both Oxford and London titled "Remembering for the Future".[6] That same year, she received the Sir Sigmund Sternberg award for furthering Christian/Jewish relations.[1] Maxwell authored a book on antisemitism titled Silence or Speaking Out, published in 1990 by the University of Southampton.[17]

といったことで、イギリスとイスラエルから賞をもらったりなんだりして、2013年に亡くなる。

亡くなった時の記事で、ワシントンポストは、「ホロコースト」についての大衆の教育における第一人者と書いていた。(有料の壁で読めないけど)

Elisabeth Maxwell, widow of British media tycoon, dies at 92 ...
www.washingtonpost.com › business

2013/08/10 - Elisabeth Maxwell, a leading figure in educating the public about the Holocaust but whose life was largely spent ... with encouraging her husband's support for Jewish causes and his efforts to help Soviet Jews settle in Israel.

 

■ 場所のない「ホロコースト」

私としては、この人について検索して読んで思ったのは、なぜ現在私たちが主要メディアで知る「ホロコースト」なるものには、場所の特定も事実関係のタイムラインもなく、また、解放してくれた赤軍に一切の関心が払われないのかといえば、このように特殊な背景を持った人たちがテーマに沿った「作品」のように作り上げていったからなのか、ということですね。

私にとっての長年の疑問にちょっと光が差した思いがした。

確かに、90年代に私が視聴したBBCとかカナダ版、オーストラリア版BBCのテレビが取り上げる「ホロコースト」ものは、みんな「記憶しましょう」といった建付けで、私がホロコーストのサバイバーですという人が出てきて話をするというものばかりだった。

私が疑問に思い始めたのは、まずそこだった。どこの話なのか一向によくわからない。そして、その頃あなたは幼児ではないのか、といった人たちが事実関係があやふやなまま話をし、誰もそれに訂正も入れず終わってしまうこういう手法は歴史ものとは言わないだろうと思った。そして、出演者は一様に、私は生き残りましたが、彼らがどうなったのかわかりません(きっとアウシュビッツへ送られて死んだ、と示唆されてる)と言って涙するわけだが、なぜこの話は戦争は終わったことにたどり着かないのだろうとも思った。

つまり、これらの番組や講演などの取り組みは、

1945年1月27日:ソ連赤軍アウシュビッツ解放

で書いたように、事実としての収容所ネットワークとその解放に到達していないどころか、イメージとしての、ある意味終わりも始まりもない「ホロコースト」を積極的に広めていた。

そもそも、第60軍のライフル師団がヴィスワ=オーデル攻勢の途中で、つまりソ連軍がドイツ軍と戦いながら西へ西へ押していった中でポーランド南部において強制収容所が解放されたんだから、バリバリに元気な、活動量の多い兵隊がゲートを開けたことが印象としてあるべきだった。

ゲートを開けてる元気な兵隊。

 

事実としての収容所に思い至れば、結局のところ、それを解放しまくったのはソ連赤軍だという事実に至らなければならない。

ドイツ、ソ連軍捕虜の記録をロシアに渡す&産業的大規模殺人

それがイヤだからこそ、イメージを売りまくったということだったのだろうと、今は思う。卑しい話だ。

 

■ どこまで行くのか不明

で、どこまで行くのか不明だけど、全体としてエプスタイン-マックスウェル事件は、折からプーチンが熱心に取り組んでいる、本当の「ホロコースト」の暴露みたいな話と非常に密接であるとしかいいようがないと思う。だって、偶然なの、これ?

「ホロコースト」犠牲者の4割はソ連市民

「ホロコースト神話」(西側謹製)が崩れてる

そして、1939年のポーランドを非常に厳しく指弾し続けていることも関係があるんでしょう。

現在のドイツ(あえていうならプロイセンドイツ)の方は、明らかにすることに前向きっぽい。

ドイツ、ソ連軍捕虜の記録をロシアに渡す&産業的大規模殺人

6月24日モスクワでパレード&「歴史のない政治はない」by 独外相

 

もちろん、ウクライナの混乱とも関係は大あり。

また、再々書いているカナダの元外相フリーランドのおじいさんは、ポーランドのクラクフでナチの協力者として宣伝活動に従事していた人で、そのままいけば「ホロコースト」がらみの犯罪者として処罰されていてもまったく不思議でない人だったそうだが、この人もドイツ南部の米軍のキャンプに行って、そこからカナダに移住する道が開ける。

「西側ではナチズムが生きている」カナダ編

もちろん、その過程で見え隠れする人たち、あなたたちは何をしていたんですか、というのも大ありでしょう。第一次世界大戦後の秩序を無暗に作ったことも指弾していたし、総じていえば、現状、ロシアは国をあげて「広域ナチ・ハンター」になっているようなものと言えるかもしれない。

ということでまったくまとまりませんが、今後が楽しみ!

 

■ 関連記事

エプスタイン事件 (1)

エプスタイン事件 (2) ギレーヌは重要だ

エプスタイン事件 (3) エプスタイン「自殺」と赤狩り物語

 


 


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6 コメント

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父は戦闘機、娘は女衒 (ローレライ)
2020-07-05 11:15:56
父は戦闘機の輸出、娘は子供娼婦の女衒で有名になる!
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ホロコーストへの疑問 (セコイアの娘)
2020-07-07 06:54:50
ギレーヌマクスウェル、どうしてエプスタインと一緒に逮捕しなかったのかなと思っていました。なるほど、そういうことでしたか。
フランスにいる限り逮捕されないにも関わらず、あえて渡米した、即ち、逮捕されるために渡米したということですね?
エプスタインケースを「穏便」にクローズするためのプロシージャでしょうか。エプスタインは都合よく「自殺」してくれたし、あとはギレーヌを逮捕、起訴して、「穏便」に結審すれば、本質をさらけ出すことなく、忘却の彼方へと押しやることができます。あまりにアンタッチャブルな顧客連中にとって、ギレーヌの口は永遠にふさいでおきたいでしょうから、おそらく何らかの取引はすでにあるのでしょうね。きっと、この事件の本質は、永遠に暴かれることはないでしょう。
ロバートの妻、大変興味深い人物ですね。
調べてみたくなりました。
イスラエルの絶対的正当化の方便としてのホロコースト、どこか昨今のBLMに通じるような気がしています。
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使えるともいう (ブログ主)
2020-07-07 12:51:39
セコイアの娘さん、

いろいろと悪い意味で有名な人に連なってるわけで、消したくなる人もいる一方、この人を使って中身を握って(パブリックに知らせるかはともかく)脅しに使いたい人たちもいると思います。

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カショギ (セコイアの娘)
2020-07-07 13:37:43
ギレーヌのWikiを読んでいるのだけど、サウジの富豪カショギと知己であったとあって、おやと思ったら、例の大使館内で殺害されたカショギの叔父であった。で、この叔父曰く、祖父がユダヤ人であった。で、この人の姉妹がダイアナと一緒に事故死したドディの母。
なんだ、このコネクションは。
エプスタインとギレーヌは、付き合っていたとかそんなロマンチックな関係じゃなく、その筋の仕事仲間だったんじゃないの?
闇が深すぎて、ハマる。
チョロまかした年金はどこ行った?リヒテンシュタインの財団か?トラストか?
思えば、ピザゲートも児童買春であった。
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マグニツキー法 (ブログ主)
2020-07-07 14:37:32
セコイアの娘さん

その上、最近また話題になってる対ロシアで人権を理由に制裁しましょうキャンペーン(マグニツキー法)をやっているBill Browderは、Robert Maxwellの弟子筋だった。

ってことはこれは金融界、特に90年代に跋扈したヘッジファンド業者&一部名門金融機関のやましいところに繋がってる話って気がする。ロバートもその流れで死んだんだろうと昔から噂があった。(名門金融のスキャンダルの影の犠牲みたいな恰好)

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イバンカ母 (セコイアの娘)
2020-07-08 07:02:13
それとですね、イバンカの母がキーマンだと思います。
ギレーヌは、早い時期からチェコ出身のイバンカの母と知り合います。このイバンカ母が、大変興味深い。
イバンカの兄の別れた妻は、結婚前、サウジのプリンスと同棲、911でプリンスの父親が嫌疑をかけられ出国、現在、在イギリス大使となっている。
父親が不審死をとげた直後、ギレーヌだけが家族の中でアメリカに渡ります。逃亡?

この闇、深すぎて調べるのに時間がいくらあっても足りない。

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