家康の子どもたち
●1600年関ヶ原当時存命 ●1615年存命
長男 松平信康(母 築山殿) 1559-1579
●● 次男 結城秀康(母 小督局) 1574-1607 越前北ノ庄(福井)
●● 三男 徳川秀忠(母 西郷局)   . . . 本文を読む
NHK大河ドラマ 葵 徳川三代 完全版 第壱集 [DVD]
クリエーター情報なし
ジェネオン エンタテインメント
■冒頭解説関ヶ原の合戦は本戦だが、地方でも東西軍が激突していた。奥州では、伊達が家康の西上を聞き、上杉と和睦、上杉軍の直江は最上と交戦取り残された大垣城では、三成の娘婿らを殺害しその首を東軍に差し出し東軍に降伏丹後田辺城では、細川幽斎が . . . 本文を読む
NHK大河ドラマ 葵 徳川三代 完全版 第壱集 [DVD]
ジェネオン エンタテインメント
■冒頭解説鉄砲が使われるようになってからは弓は実践には使われなくなってきた(前回の映像では細川勢が弓を使っていたのだが?)。当時の鉄砲の命中距離50メートル、殺傷距離100メートル。鉄砲隊がまず相手をひるませ、次に槍隊が出て雌雄を決するというの . . . 本文を読む
NHK大河ドラマ 葵 徳川三代 完全版 第壱集 [DVD]
ジェネオン エンタテインメント
立花宗茂は関ヶ原の戦いで敗戦方にあり改易されたものの、その能力を惜しむ諸大名からのお声がかかり、ついに家康に取り立てられ、最後には旧領に復帰した武将(多分、唯一?)。この人の優秀さを思うと、ついどうしても一つ考えたくなってしまう。それは、この人 . . . 本文を読む
NHK大河ドラマ 葵 徳川三代 完全版 第壱集 [DVD]
ジェネオン エンタテインメント
■冒頭解説城攻めを得意としたのは秀吉。家康は野戦が得意だった。
西軍大垣城、東軍赤坂村で対峙することほぼ半月。9月14日には、西軍の島左近が東西の中間にあった杭瀬川の戦いで約30の首をあげる。ついに大津城は開城。家康は、秀忠を . . . 本文を読む
NHK大河ドラマ 葵 徳川三代 完全版 第壱集 [DVD]
ジェネオン エンタテインメント
■参考
葵徳川三代 第11回 天下分け目
家康が、佐和山を襲撃するという噂に釣られ、是が非でも敵よりも西に出なければと思ったのだろうか?しかしだったらもう一歩西に行ってもよかったのではないのか、というのが私の疑問 . . . 本文を読む
週刊 日本の100人 改訂版 2012年 3/13号 [分冊百科]
デアゴスティーニ・ジャパン
前回、今後に期待すると書いたけど、とりあえず10号まで信長、家康、政宗、西郷さん、とみんな卒なくいっていると思う。電車の中とかちょっとお出かけとかいう時に気軽に持ってあるけるので楽しみにしてる。
ただ、いや本筋からは外れるけど、第10号真 . . . 本文を読む
NHK大河ドラマ 葵 徳川三代 完全版 第壱集 [DVD]
ジェネオン エンタテインメント
■冒頭解説慶長5年の大名(知行1万石以上)の数は約240。これが東西に別れ、全国のあちこちで戦端が開かれた…。関ヶ原に至る概況。
岐阜城を落とした東軍は、大垣城を素通りして赤坂に陣を張る。石田三成(江守徹)は、東軍は佐和山に . . . 本文を読む
清洲に先着した東軍が、家康が来ないのを怪しんで大騒ぎすると、家康が村越直吉を出してうまく唆し、豊臣家子飼いの大名たちを進んで岐阜城を攻めさせる、というシーンは家康ものの定番。その中にあっては、福島正則らが反射的に、戦好だが智謀を持たぬものとして描かれる。
しかし、彼等にとって岐阜城攻めはそんなに戦意を高揚させるようなものだったのだろうか。なにしろ、岐阜城の城主は織田秀信、つまり織田信 . . . 本文を読む
図説・戦国合戦地図集 決定版 (歴史群像シリーズ)
学習研究社
「決定版」と銘打っているだけのことはある。これは手元に1冊あるととても便利。数多くの合戦の進軍図だけじゃなくて、動員可能戦闘力の一覧図とか、関ヶ原直前の大名配置図なんかも使い勝手がいいアイテムだと思う。これで2000円というのはかなりのコスパ。
この手の本の対象読者はど . . . 本文を読む
NHK大河ドラマ 葵 徳川三代 完全版 第壱集 [DVD]
■冒頭解説合戦のミニミニ知識みたいな解説。この当時、馬上武者1人には徒歩5人が相場。合戦ともなれば、食事の世話、宿の調達などなど兵站部隊も大人数となる。1万石あたり約250人が相場。兵站を担う様々な人々を必要とする合戦では、いわゆる雑兵は外で野宿となる。そのため . . . 本文を読む
NHK大河ドラマ 葵 徳川三代 完全版 第弐集 [DVD]
■冒頭解説数は力。戦となればそれこそ数が頼り。家康が慶長5年(1600年)7月から9月までに書いた書状は、確認されているだけで180通。多数派工作の跡が残っている。これに対し、三成のそれは5、6通。しかし、これは、その後徳川時代になったのだから、家康からの書状は . . . 本文を読む
地図で訪ねる歴史の舞台 日本
帝国書院
最近たままた中学生の歴史の教科書を見た。大昔に比べるとずっしり思い本で、イラストが多用されていて、なんだかずいぶん楽しそうだった。昔は本当に読むだけ、みたいな本で、副本としてそれなりにイラストやら表組みが多用されたものを預けられたと記憶しているが昨今はどうやら逆らしい。教科書その . . . 本文を読む