9月13日、北朝鮮の金正恩氏がロシアに行ってプーチンと会い、その後ロシア極東部の様々な重要施設を見学し、その際、同時進行でロシアの好例行事となっている東方経済フォーラムではロシアが自国の東部の開発について熱心に討議していたというのが、大変に大きな出来事だった。要するに、北はロシアの極東開発の進行と共に開発、協力が進むといった感じ。
今月はそのことを書こうと思っていたのだが、その前に、いやもう、そう来るかとびっくりの出来事があったので今日はそっちを書きたい。
このブログでは、ナチの残党の話しは何度も書いてきた。1945年に大きな戦争があった時、惨かったナチ関係者をしっかり処分して終わりにすればよかったものを、英米はそうせず、彼らを逃した。
今般のウクライナでの一件はこの問題と密接に関係している。だからこそいろいろと複雑なのだという話し。
このへんで書いたこと。
ウクライナの俳優兼大統領のゼレンスキーが国連総会に行った流れで、カナダに向かい、そこで議会で歓迎された。ここまでなら去年さんざん西側各国でやったので、呆れはするものの慣れた。
しかし今回はその歓迎の行事に、ナチが作った武装親衛隊(Waffen-SS)の1つSSガリチアのメンバーだった、Yaroslav Hunkaという98歳の老人が招かれ、下院議長がHunka爺さんをロシアと戦った兵士、ウクライナの英雄、カナダの英雄などといって紹介し、カナダの全国会議員がスタンディングオベーションをして熱烈な拍手でもりあがった。
Hunka爺さんは、感極まりながらも、この後確かにやったーというポーズをしている。
別の角度から見るとこんな感じだった模様。これは下でリンクしたBBCにあったもの。
議長の紹介。
「He is a Ukranian hero, a Canadian hero, and we thank him for all his service.
(彼はウクライナの英雄であり、カナダの英雄であり、私たちは彼のあらゆる貢献に感謝します。)
■ 主要紙の苦心
出足は鈍いものの、一応これは主要紙でも報道した。もちろんsnsは大騒ぎ。そして、そうこうするうちに、カナダの下院議長がさっさとこれは私が決めたことで、私はこの人の略歴を読み上げながら、これはすべきじゃなかったと思った、ユダヤ人にはすまなかった、みたいな手短な謝罪が出て、サイモン・ヴィーセンタール・センターとポーランドからの苦情が出て、翌日は英米の主要紙がそこにハイライトを置いた記事を書き、似たような記事がだーっと出た。
Canada's House Speaker apologises for praising Ukrainian who fought for Nazis
(これはBBC。(上の写真を見ればわかる通り、中身は見出しほど軽くはない記事)
要するに、示し合わせて、カナダのちょっとした誤りで終わりにしようとしているのだと見えるし、下院議長の「これは私の一存」発言は打ち合わてるだろう、とも思う。
なぜなら、カナダの副首相は、ナチ・コラボレーターの祖父を持ち、ウクライナでの戦争に誰よりも前向きな、反ロシアの急先鋒の一人、クリスチア・フリーランドだということは、今やもう隠された秘密でもなく、冗談や手違いでSSガリチアのメンバーが出てきたわけではないだろうと思える背景は確実に存在するから。
で、まぁこれで話しがすむとは到底思われない。
■ そりゃ反応はある
SSガリチアの主たるお仕事の結果として普通のポーランド人が殺されまくったポーランドからは当然非難の声があがる。
在カナダのポーランド大使は、こんなの認めない、「我々はこんな悪者の取り繕い(whitewash)に賛成しない」と言ってる。後述するように、これは結構事態を理解しているからこその発言だと思う。
また、西側の議論では、ポーランドとユダヤ人のことか触れていないが、SSが飛び回った空間で犠牲になった人々はもっといるわけで、ベラルーシ外務省も非難を寄せた。
"Belarus, where one in three people was killed in WWII, is outraged and deeply insulted by the photos of members of the Canadian House of Commons honoring a Nazi veteran," the Belarusian ministry said.
ロシアは、なぜこうなったのかという、つまり1945年に終わった戦後処理でナチ残党が大量に逃され、カナダやらアメリカやらに行った経緯を説明した記事をあちこちで出し、説明を提供。
ロシアの外交筋などの取り組みは、さらにもっと、どうしてこうなったのかをよく知ってるためだろうと思うけど、非難するというより、お前ら自分で片付けろよと促しているといった感じがする。
こんな感じ。
「カナダは、自分たちのリーダーたちが誰を英雄視しているのか疑問を持つべき」
Canadians Must Question Who Their Leaders Glorify, Especially in Ukraine - Russian Embassy
■ デシェーヌ委員会
で、大枠では、1945年にドイツが敗戦していく中で、ソ連軍の攻撃から逃げつつ最終的にドイツ南部やイタリアで投降し、そこから、英米とその支配下の国に移民していった何千人かのナチ協力者の人たちが、冷戦中も冷戦後も一貫して反ロシアを貫き、そのヘイトが増殖し、それを使う人にとってはそれは便利なので使われ戦争騒ぎにまでなりました、というお話し。
しかしそこに至るまでに、1つ大きな事件、あるいは「トリック」があった。これは私も前回フリーランド副首相を追っている頃には知らなかったが、その後知った。
当事者とカナダ人以外知らないんじゃないかと思うが、それは、1985年にカナダで行われた「Deschênes Commission(デシェーヌ 委員会)」なる委員会とその判定。
この委員会は、どうもカナダはナチの戦争犯罪人の避難場所になっておるなという疑惑にお答えして、時の首相のブライアン・マルルーニーが設置したもの。
委員会が2年間多数のヒアリングを行って1986年報告書を提出。その中で、確かに戦犯となった人たちが多数カナダに移住しており、生存者もいることを認め、それを巡って自国法で今後どうするのかなどが議論された。ここまではいいとしよう。
が、問題は、特定の何十人かのケースについて、その個人が有罪か否かを審議したらしい部分。これを、ソビエト圏、あるいは東側圏にある証拠を採用しないで行った(報告書もそれを認めてるんだそうだ)。
これって、到底意味があるとは思われない。武装親衛隊は正規軍のように軍人vs軍人で仕事をするというよりも、現地で一般人を支配するというか、いじめるというか、懲罰するというか、鎮圧するというかといった任務に就いたので、現地の人の苦情を聞かないことには話しにならないでしょう。
が、当時カナダに住んでいたウクライナ人、リトアニア人などのディアスポラ集団が、ソ連の証拠など信用できないと騒いでそうなったようで(ロシア語のwikiにあった)、被害を訴える側に立ったユダヤ人たちと深刻な対立がここで発生したらしい。そりゃそうでしょう。
で、私の調べ方も足りてないのを承知で、現在私が知る限りのことだが、
結果的に、この委員会は、「SSガリチア」全体を1つのものとして見るのではなくて、悪い人もいたがそうでない人もいました、なぜなら、証拠がないのですから裁けません(ソ連圏内の証拠を採用せずに)、という形にして、カナダに在住している何人かのケースを無罪とまで言わぬにせよ、罪を問えないケースに認定する、という機能を担ったのではないかと思われる。
(今般の爺さんも、この人は有罪ではないのよ、あなたレポートを見たの、とか書いているカナダの人がいた)
また、このころから既にソ連を崩す試みは考えられていたと思われるので、そこから出てくる人たちの中に、従来通りの扱いでは犯罪者となるべき人々がいたことを想定していたのかしら、などとも思う。
SSガリチアは、ナチが各国の現地で作った武装親衛隊組織の1つで、これらの幾多の武装
親衛隊は残虐行為に積極的に関わったとして
ニュルンベルク裁判でまとめて犯罪組織として認定された。そもそも親衛隊はドイツ国防軍とは別組織のナチ党内の組織として別の司令体系にあり、別の教育体系にあった。
つまり、戦争中も別だったが戦後も別となり、軍人そのものとは別の存在とされ、それによって軍人恩給がもらえないという事態にもなっていたそうだ。それは東欧からドイツまで同じようにあちこちでその場その場でいろいろ対応したんだろうと思う。
(ナチスの兵士が、といった書き方をしている記事が散見できるけど、そういうことじゃなくてやっぱりこれは武装親衛隊(またはSS)と付けるべき問題だと思う。)
■ ニュルンベルク裁判
ということで、25日になって在カナダのロシア大使館が出した覚書が大変簡潔にこの事態に対処しているように思う。
「当大使館はカナダの外務省と首相官邸に説明を求める覚書を送付している。問題の親衛隊は、国際法の不可欠な部分であるニュルンベルク法廷の判決によって犯罪組織として認められている。カナダの閣僚、国会議員は、この犯罪組織のメンバーに栄誉を与えることによって、道徳的規範だけでなく法的規範にも違反した」
Russian Embassy to send note to Canadian Foreign Ministry on Nazi appearance in parliament
■ 情熱というか妄執というか
通して考えてみるに、カナダに行ったSSのおじちゃんたちは、
- ロシアと戦ったんだから俺たちは英雄だという信念を冷戦期に増幅させられ、
- 冷戦最終版で奇妙な委員会によって、カナダの中では疑似的に無罪となり、晴れてロシアと戦った兵士(=一般の兵士)を主張し、
- 最終的に、今般、カナダをはじめとする西側各国と共にウクライナの場で(自分ではないが)ウクライナ人がロシアと戦うことによって、(自分が)名誉ある兵士になった、
と思ってるんだろうと思う。爺さんのあのガッツポーズは念願叶ったガッツポーズなんでしょう。
だけど、カナダは、こうした出来事の累積として、国として、ニュルンベルク裁判の趣旨を勝手に変えて、被害の当事者である、ポーランド、ベラルーシ、リトアニアあたりの人々の苦境を一顧だにせずにSSの格上げを行い、それを通してナチの名誉を回復するという、あられもないことをしているわけだ。
もちろん、これらすべては、こういう流れでこいつらを使えばいいんだなと思ってた人たちがいることによって実現され、お目こぼしされていることは言うまでもない。しかし、金使って何かをしようにも、本気になって動く情熱の人がいないことには何事も成就しないものではある。成就していいかどうかは別問題として。
■ 続くでしょう
で、西側世界はこれをどう扱うんでしょうか。これは、このまま知らん顔では終わらないでしょう。多分、同じような時期に起きた、私が言う「西側謹製ホロコースト」問題も絡んでくると思う。
こちらもまた、本当に惨たらしい事件の続いたまさにその場であるソ連領内を無視して話しが作られ、最終的に、助けに来てくれた人たち(赤軍)を無視して悲劇を語るという、冷静に考えれば考えるほどプロットに無理のある設計。
だからこそ、2020年にプーチンが
「ホロコースト」犠牲者の4割はソ連市民
であることを語っても、メインストリームは無視をした。ソ連領内で死んだ人はカウントできない、哀悼できない、人間じゃないという仕様ですね。まさに、ナチ仕様というべきでしょう。
この辺の話しは2020年にだいたいまとめたけど、大枠で軌道を間違えてはいなかったなとちょっとうれしい。
2020年:the Westのナラティブ管理崩壊年
1年後:2020年 the Westのナラティブ管理崩壊年
■ オマケ
書き入れられなかったけど、今般の事態で明るいニュースはあったと思う。それは、ヨーロッパ、アメリカ、カナダの人たちの中には、単にナチが怖いというだけでなく、SSは国防軍とは別のもので(国防軍が良いといっているのではない)、総じてこれは恐ろしい、という感触をそれなりの具体例や知識を持って知ってる人がいることがわかったこと。
もちろんそれはそれだけ、恐ろしい目にあった人たちが多く、その子孫はそれを忘れていないということですが。
ナチの犠牲になったユダヤ人 600 万人
独ソ戦のソ連の死者数 2700 万人
うち戦闘員 1000 万人
ですから、ユダヤ人以上に東スラブ人を殺しているわけです。それを覆い隠すためにユダヤ人ばかりに注意が行くように仕向けているように感じます。
もしかするとナチ復権への布石、そのための世論の状況を探る観測気球だったのではないかという感じがしています。
ユダヤ人の団体はおっしゃる通り、スラブ側の被害を見せないための仕掛けとして、ナチ被害の代表者として存在してきたと思います。
そのことに一番不満を持ってるのは、それら組織で便益を受けているわけではない、被害にあい、かつ、度重なるおかしい対応によって構図を知ったそれこそ無名のユダヤ系の人たちでしょうね。(カナダの80年代の記録から見える通り、ユダヤ人はウクライナのナチに負けている)
ナチ復権、ソ連/ロシアの崩壊は、これら特殊ナチグループの行動の原動力でしょうね。
(日本のおじさんたちの中に、日本は大東亜戦争に負けていない、という人たちがいることを思い出します)
カナダ(あるいは西側諸国全般)は今になって突然ウクライナがナチであることを「発見」したので、知らなかった今までの支援は正当化される一方、今後はウクライナ支援から手を引くことができるのです。
そういう感じだといいなぁと思います。でも、ロシアの解体、滅亡、世界はわが手にみたいな妄想は長いこと仕掛けてきたわけですから、まだ全然終わるフェーズじゃないと思います。
もっとずっと悪質で愚かな人たちが私たちの命運を握っていると思います。
南アフリカに行くというと、知人などは気を付けるのはエイズだけじゃないよ、治安も悪いからねと。そいう不安を抱きつつも出かけました。荒野の中に延びる幹線道路の脇に、風が吹けば吹っ飛びそうなトタン葺きの小さな露店、コーラの看板があって、一休み。そこをコーラ運搬用のトレーラが通過。これを見て、南アフリカは自由で安全な国なんだと勝手に理解し、不安感は消え去りました。しかし、その先入観で以後、南アフリカを何度となく旅しました。幹線道路はよく整備されていて、谷あり山あり、時にはるか地平線まで一直線、実に快適なドライブ。交通量は少なく、新車開発のテストコースとしてドイツ車が利用もしていました。信号機はまず見かけませんでしたが、この高速道路というか幹線道路を現地の人々は徒歩利用しているので、注意が必要でした。
アパルトヘイト、その面影は歴然としていました。白人は広大な土地に優雅な生活(といっても、護身用に拳銃を隠し持ち、おびえた生活を余儀なくされている方々もいる現実)、現地人は隔離されたタウンシップのスラム、それは天国と地獄そのものでした。人種隔離の社会で、インド人や中国人は隔離され奴隷扱い、ただし日本人は名誉白人扱い、何故だったんですかね? 黄色い白人、それが現代社会でも生き続けている日本、そんな気がします。
ネルソン・マンデラさんが30年近く投獄されていたロべン島、そこに有刺鉄線で強烈に囲まれた球技場がありました。マンデラさんもここでサッカーされたのだろうと思いつつ、そしてマンデラさんが南アフリカに希望の明かりを灯した、それはサッカーワールドカップ南アフリカ大会、人類にとっても重要な歴史の一ページだったと思っています。
「不正に立ち向かわず、抑圧に抗議せず、それで自分たちにとっての、良い社会、良い暮らしをもとめることは、不可能です」(ネルソン・マンデラ)
ブリックスの南アフリカ、マンデラさんの思想が広くアフリカや世界に広がることを、そして世界の人々が立ち上がることを願っています。不正に立ち向かわなければ、人類は英米の餌食になってしまう。ウクライナで起こっている戦争、西側が焚きつけ、煽っている。これ戦争でなく、もう犯罪と感じます。
処分せず再利用を当時すでに企てていたと、感じます。虚しいです。
「このブログでは、ナチの残党の話しは何度も書いてきた。1945年に大きな戦争があった時、惨かったナチ関係者をしっかり処分して終わりにすればよかったものを、英米はそうせず、彼らを逃した」(DEEPLY JAPAN さん)