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ドイツ、ソ連軍捕虜の記録をロシアに渡す&産業的大規模殺人

2020-05-09 00:34:10 | WW1&2

今日5月8日は欧州+米におけるV-Eデー。1945年にナチスを倒した日。

ロシアは明日5月9日がビクトリーデー。

それを前にして、ドイツ政府が、ドイツ軍が取ったソ連の捕虜に関する記録をロシア側に引き渡した。

Germany hands over to Russia archive data on Soviet POWs at TASS office 

https://tass.com/society/1153529

 

ソ連の捕虜は500万人ぐらで、そのうち300万ぐらいが死んだと前から指摘されていた。

大ざっぱな数は今回のデータによって変わるものではないらしいけど、何十万か分の個々人の記録をドイツ側が持っているのでそれをロシアに渡し、研究に反映されるだけでなく、個々の人たちの親族なりにそれを知らせることになるらしい。75年かかったんですね。

During World War II more than five million Soviet officers and soldiers were taken prisoner. More than three million died due to appalling conditions or were executed. The Nazis’ treatment of Soviet prisoners of war was universally recognized as one of the gravest war crimes committed during World War II.

 

で、この話が日本語のwikiにあったのはちょっとした良い意味での驚きだけど、

ソビエト連邦戦争捕虜に対するナチスの犯罪行為

このソ連軍兵士の捕虜の話は、兵士の捕虜の待遇というより、ほとんど虐殺というべき事態だったケースが多数を占めていると考えらえている。

戦争初期から捕虜虐殺は横行しており、露天での完全な放置と飢餓、即時処刑を通じて、1941年6月から1942年1月の間だけでも280万名のソ連軍捕虜が殺害された[11]。また、1941年9月まで、1日毎に総勢のソビエト捕虜のうち1%が死亡した[9] 。

 

つまり総合して考えると、1941年6月22日にバルバロッサ作戦を開始して、ソ連領内に入っていって半年ぐらいの間に、ドイツ軍300万人を前線にして補給しながら、ソ連側の兵士500万、一般人500万の合計1000万ぐらいを殺しているんだと思われる。

他人の家に入り込んで手当たり次第殺しまくってたという話。ドイツSSの名高いアインザッツグルッペンだけでもない。

そもそもナチスはロシア欧州部を自分のものにしてそこにドイツ人を入植させる気でいたんですから現地人はみんな邪魔、そうなるわな、と言ってしまえばそれまでですが、それを科学技術を使って本当に実行したというのが凄い。

 

ドイツが1941年に開始した戦争というのは、戦争というより、「大量虐殺」みたいな話だと思う。単に、ドイツにとって邪魔な人を次から次から殺していったことを戦争と呼ぶのは誤解の元。

総力戦というのもプロパガンダくさい。兵士が兵士と戦ってるのではなくて、ソ連軍が反攻体制を整え有効に反撃可能になるまでの何百キロかは、行くてを阻むものを皆殺しにしていたにすぎない。

スターリングラードあたりで軍と軍の戦いになったことで戦争らしい側面が見えたため、多くの人はそこにだけ着目しがちだけれど、これはそんな話ではない。

 

「ホロコースト」犠牲者の4割はソ連市民

「ホロコースト神話」(西側謹製)が崩れてる

 

■ 強制収容所

で、強制収容所といえばアウシュビッツを思い浮かべる人が多いと思うんだけど、そこからユダヤ人差別に繋げて、ナチスの人種差別という括りにしてしまうと、1940年代のこのあたりで起こったこと見誤るとも思う。

事態はもっと、壮絶に産業化された人殺し。拷問、いじめもするけど、邪魔な奴で働けるものは骨皮になるまで働かせるよう設計されていて、そういう収容所がポーランドからオーストリアあたりまでの各地にあった。

ヒトラーが自殺した後、5月になって解放されたオーストリアのマウトハウゼン強制収容所の様子などはまさに、好例ではなかろうか。

 マウトハウゼン強制収容所

1941年1月2日にラインハルト・ハイドリヒの定めた政令によれば、マウトハウゼンは最も重い「第三カテゴリー」という、再教育の見込みのない「犯罪者」・「反社会分子」とみなされた囚人を収容する強制収容所に指定された。

そのためここの囚人はナチ強制収容所の中でも特に過酷な扱いを受けた。 例えば1943年の1年間、収容者数は約1万5000人であったが、うち7058人も死亡している。

 

どんな人が反社会分子かというと、最初はドイツ、オーストリア、チェコあたりの社会主義者、共産主義者、ホモセクシャル、アナーキストとされた人たちが最大手だったが、その後ポーランドを占領するとポーランドから、ユーゴスラビアを攻撃したらそこからも同様の人々を捕えて移送した。

ナチの戦争遂行に邪魔な奴はみんな収容所送りというシステムで、人種じゃなくて、思想、モノの考え方で振り分けてるのがよく見えるのが、このあたりの収容所。

そしてある種のネットワーク化がされている。黒い●が収容所

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/74/Concentration_camps_in_occupied_Europe_%282007_borders%29.png/577px-Concentration_camps_in_occupied_Europe_%282007_borders%29.png

 

そして、その収容所を作るにあたっては銀行が融資して、普通に事業みたいに設計され、実際収容所の作業にノルマがあったりする。

収容所の奴隷労働を使った企業群も判明してる。(wiki英語版 Business enterpriseの項)

 

つまり、一部現存する企業も含まれる名だたる企業群が奴隷労働の使い手だった。で、健康を害したら死なせてお終い。理由はといえば、奴は共産主義者だ、アナーキストだetc.でお終い。ある意味究極のブラック企業群。

 

ということで、上のソ連軍の捕虜に対する扱いと収容所の扱いは、実にまったく同じだというべできしょう。不要なものは不要という思想

ナチというのは別にヒットラーおじさんが強いドイツのために頑張りましたみたいな子供向けの話ではないということですね。

また、前にも書いたけど、ヒトラーが圧倒的な人気があって出てきたというのも間違い。今日の研究ではヒンデンブルグ等のドイツ帝国の残影が忘れられない人たちやら財界やらがヒトラーを押し上げていった。

 

■ 産業的大規模殺人

そんな壮絶な出来事から75年目の5月8日、RTに映画監督のヴェルナー・ヘルツォークの記事が出ていた。

第二次世界大戦からの教訓として言えることは、

「産業的大規模殺人」は、人々がナラティブに疑問を呈さない限りにおいて可能だ

The lesson of WWII? ‘Industrialized mass murder’ only possible when people stop questioning narratives, Werner Herzog tells RT 

https://www.rt.com/news/488108-werner-herzog-ww2-holocaust-fascism/

だそうです。

 

この、産業的大規模殺人という言い方が、まさに私もそう思う。

そして、ドイツ人だけあってアメリカ人とかイギリス人の頭の中の、想像の、あるいは映画的、漫画的なナチじゃないものを見てる。

どうしてこんなことをしていいんだと人々が考えないでついて行くからこそ可能だった、実にシステマチックな、工業的、産業的な大規模殺人こそナチスドイツの行動だったことを。

しかもそこに、銀行や企業、役所がしっかり組み込まれていることを見てもわかる通り、裏でこそこそやってるんじゃなくて、表で、多くの人々は何も疑問を呈さずに、いうことを聞かない奴は死んだっていいだろうという態度を営々と取り続けた。

これは戦争から逸脱した何かでしょう。

 

で、ヘルツォークはそこに行くまでに注意が必要だという。

ナチのやった虐殺行為は、決まりきった「悪魔化」の結果、つまり、ユダヤ人が、フランス人が、ロシア人がといった特定の人や国に責任をなすりつけるようなことをずっとやってきたことの先にある、と言ってる。

ここらへんは、ドイツ人がわりと共通して持ってる過去からの反省って感じがする。ウクライナ危機の時にも、ロシアがロシアがロシアがと騒ぐメディアに恐怖していた人たちが散見できた。

イギリス人なんかは気楽にやってますが、ドイツ人の中には少数であるにせよ心底大変だと思ってる人がいるのは本当だと思う。

そしてプロパガンダが残った

 

で、また別途あらためるけど、ユダヤ人が~、とかイルミナティ―が~、あるいは中国が~とかいう、懲りないほどの「悪魔化」に熱中しがちな日本人はどうしたらいいんだろうと思わないわけにはいかない。そこに熱中するから自国の立ち位置および将来を考えられなくなるんですけどね。

 

■ なんとかしようという試みはあるにはある

で、ちょっと明るい(であろう)話を書くと、冒頭の捕虜データの引き渡しは、2016年にロシア外相ラブロフと当時ドイツ外相だったシュタインマイヤーが話し合って、両国間のプロジェクトを立ち上げて両国の研究者が見て整理してここまでこぎつけたものらしい。

シュタインマイヤー(現大統領)は70周年の年にボルゴグラード(スターリングラード)に行ってドイツを代表して謝罪を届けに来たと言った人なので、この流れは理解できる。

ドイツ、ロシア外相スターリングラード訪問

2015-05-08 16:52:41

 

つまり、英米メディアに引っ張られると、ロシアとドイツは関係がないかのような扱いになっちゃうわけでしょ。まして現在の主流メディアはソ連の存在は「悪魔」ですから、両国間でちゃんとした交流をしていることすら認められない。

だから、こういうことを地味にやってるんだろうと思う。75年かかろうが、やらないよりずっといい。

 


 


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4 コメント

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ナチズムと新自由主義 (luna)
2020-05-09 13:02:48
新自由主義とナチスってほんとに親和性が高いですね。
一心同体名前が違うだけじゃないですか?
現在アメリカでは刑務所産業が盛んです、労働力が世界一安く止められない。
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Unknown (海坊主)
2020-05-09 13:44:56
ヒトラーが政権奪取した1933年から1939年のポーランド侵攻までの6年間の間に、ナチスと相容れない思想や活動を担う人々が次々と排除、抹殺されていきましたし、ヒトラーに対抗し得た集団を長いナイフの夜で消去してきました。ドイツ国民はユダヤ人迫害の現場も含め、自らの目でどんな社会に生きているのかを思い知ったことでしょう。かの国民たちはその顛末をしっかりと見ていたのです。
そういった、異とする言論や思想が許されない環境下に置かれた普通の者達は、ただ生き残るのが目的になってしまいました。その際に罪悪感は邪魔です。高度に収斂した上意下達的社会のなせる業ではないかと思います。

この悪魔的に効率化した大ジェノサイド産業が、一つの壮大な社会実験だったと見ると、今のコロナ騒ぎもまたその一つと言えそうです。ロックダウンに反抗する人達はアメリカ国内を除けばその例は少ないです。受け入れられ易いマイルドな管理化、統制化体制にじんわりと移行している、そんな風にも見えます。罪悪感を感じさせない国家社会主義への移行の仕方の一つかも知れません。

アイヒマンにその悪の陳腐さをみたアーレントは正しかったな、と思います。あの体制で生き残るためには、普通の人間ならああならなくてはならなかったのでしょう。住む社会が変われば我々とアイヒマンにさほどの違いはなかったでしょう。
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抵抗する人はいた (ブログ主)
2020-05-09 14:02:23
海坊主さん、

おっしゃることの枠組みには同意しますが、そうはいってもその社会実験は負けたわけですから、何もがっかりする必要はないと思います。

また、私はそちらに寄与した各国の多数の人たちを称賛したいと思います。彼らこそ希望をつないだわけですから。

コロナは社会実験には違いないでしょうがそんなに大げさな話ではないでしょう。むしろ失敗した。
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Unknown (海坊主)
2020-05-09 17:23:12
TAKUMI様、ありがとうございます。

コロナの件が失敗したと言う結論はまだ時期尚早かな、と私は思っているのです。まだ第一楽章のように思えます。
ナチスドイツ時代において、残虐性が公衆の面前でなんの躊躇なく為されたことが、人々に強い抑制効果を生んだと考えました。
それに対して、コロナの件は人々が白紙委任を与えてしまうほど大義があって、巧妙で狡猾なやり方に見えました。隣人のために、社会のために、良心から協力する事が可能な枠組みに見えたのです。罪悪感を感じる必要もなく、静かに進行する統制化社会、管理化社会への移行の形。異論は無視され、集会や結社は否定され、バラバラに個別隔離されてゆく社会。簡単にそちらに転がってしまう怖さを懸念しているのです。

それが伝わらなかったとしたら、言葉足らずで不完全な私の文章と伝達能力の未熟さからくるものです。

TAKUMI様が仰るように、白バラやクライザウ・サークルのような反ナチ市民が居たこと、ユダヤ人救出地下組織が存在していたことは知っています。極悪非道で強大な敵だからこそ、彼らのような活動は秘密裏でなければなりませんでした。語られていない英雄的活動がもっと沢山埋れている筈だと私は思います。そんな英雄的な彼らが、目立たず静かに戦後を生きていかなければならなかった、と「ヒトラーに抵抗した人々」にあります。まるで二級市民かのように。

だからといって私は悲嘆にくれているのではありません。批判的に見つめつつ、未来の振れ幅を想像しているのです。
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