かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 56 中欧 408

2022-07-20 09:48:35 | 短歌の鑑賞


        ヴァーツラフ広場にあるヤン・パラフの記念碑(撮影 石井彩子)

  馬場あき子の外国詠56(2012年9月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
       参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)
     司会と記録:鹿取 未放


408 ヤン・パラフの死に花を捧げに行きし友プラハは静かな秋の雨なり
※ヤン・パラフ=カレル大学生。一九六九年一月ワルシャワ協定による
            軍事介入に抗議して焼身自殺。

       (当日発言)
★※印は「左注」で、もともと歌集についていたものです。(鹿取)
★「行きし友」は同行していた友人ということだろうから、過去の「し」を使うのは間違い
 ではないか。しかし、「行きたる友」より「行きし友」の方が音数も合い、美しいので苦
 渋の選択かもしれない。(慧子)
★まあねえ、歌を作った時点は帰国後だろうから、そこからの回想という気分じゃないの。
 抵抗の仕方が焼身自殺というのはとても悲しいけど、作者は軍事介入に抗議する気持ちに
 対しては強い共感を感じているのでしょう。花を捧げに行ったのは友人だけどその行為に
 自分の気持ちの代弁をさせている。静かな秋の雨を降らせてヤン・パラフを悼んでいま
 す。(鹿取)
★ええ、花を持っていった人と作者とは同じ思いだったのでしょう。(崎尾)
★ここの花を捧げに行った友は吟行の旅に同行したIさんだそうだ。(藤本)



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馬場あき子の外国詠 56 中欧 407

2022-07-19 12:57:09 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠56(2012年9月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
       参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)
     司会と記録:鹿取 未放


407 粗末なる青い家の一間に書いてゐしカフカの『判決』のかなしみ思へ

      (当日発言)
★カフカは若いとき司法の勉強をしたが、「判決」は「審判」とは違い司法の話ではない。
 一晩で書き上げたそうだが、「夢の形式」といわれるカフカの作風が確立された作と言わ
 れている。父親との葛藤が主題で、判決とは父親が息子に下す死の命令のことを指してい
 る。女の色香に迷って家族や友人をないがしろにしていると息子をなじった父親は息子に
 溺死を命じ、息子は家族を愛していると呟きながら橋の上から身を投げるという話であ
 る。(鹿取)
★「判決」の内容が分かればこの歌は難しくはない。カフカの実人生ではお父さんは小説を
 書くことに反対だったり、どの恋人も父に気に入ってもらえなくて生涯独身だったり、葛
 藤があった。この小説にも「変身」などにも父との葛藤が色濃く反映している。小説だけ
 読んでいるとカフカは実人生でもうまく生きていけなかった人のように思えるが、実は有
 能な会社員として出世もしている。それでもカフカは小説を書きたかったし、その時間が
 欲しかった。そのため二交代制の会社に勤め、早番で仕事を切り上げると残りの時間を小
 説書きにあてた。もっとも、この「青い家」では「判決」は書いていないようだ。弁当持
 参で粗末な「青い家」に通って書いていた小説 を「判決」と思いこんでいた馬場は、父
 に溺死という判決を下され、自ら実行する息子の話にカフカを重ねて哀れんでいるのであ
 ろう。(鹿取)

     (追記)(2012年9月)
 勉強会で思い出せなかったカフカが勤めた会社名は、半官半民の労働者障害保険協会。カフカは仕事も出来たがテニス、水泳、ボートなどを好むスポーツマンでもあった。「判決」(「変身」も同年筆)が書かれたのは「青い家」に住む4年前の1912年のことである。その時住んでいたのはカフカ自身が借りたパリ通りのアパートであるが、今は壊され、五つ星のインターコンチネンタルホテルとなっている。彼が次々と仕事部屋を替えたのは騒音が気になったからのようで、「青い家」は静かで気に入っていると恋人への手紙に書いている。ちなみにカフカは結核で1924年41歳の若さで没した。父母も30年代に相次いで亡くなり、カフカと同じユダヤ人墓地に葬られている。その後39年プラハはナチスに占領され、カフカに借家を提供してくれた3人の妹たちは全員ユダヤ人強制収容所で亡くなったという。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 56 中欧 406

2022-07-18 11:33:54 | 短歌の鑑賞
  
      壁が青く塗られた「青い家」、会員の石井彩子さん提供       

  馬場あき子の外国詠56(2012年9月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
      参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)
     司会と記録:鹿取 未放


406 カフカ棲みし青い家ふと覗けども小さな白い花が棲むのみ

     (レポート)
 黄金の小道と呼ばれて金細工師たちが住んでいた処にカフカも半年ほど住んでいたらしい。(N・I)


     (当日発言)
★黄金小路は昔、金細工師達が住まわせられていた狭い通り。(曽我)
★調べたらプラハ城の一角に黄金の小路と呼ばれる道がある。そこにカフカの仕事部屋が
 あったのではないか。鹿取さんから見せてもらった友人の旅行記によると、1945年ま
 でユダヤ人居住地があり、カフカ家もユダヤ人だったのでこの地に家があった。平屋の家
 を覗いたことをその友人は書いているが、仕事部屋として借りていたものではないか。
 (藤本)
★作者の頭には「変身」があって、カフカの住んでいた家を覗く時も何となく主人公が変身
 した虫を想像していたが、実際は虫ではなく花がすんでいたわ、ということで「棲む」と
 いう文字を使ったのではないか。(崎尾) 
★カフカのお父さんは貧しいユダヤの出身だが、商売に成功して裕福だった。お金が出来る
 度にどんどん広い家に引越をしたし、カフカも小説を書くために何度も家を借りた。ここ
 もその一つだろう。観光名所となった「青い家」を覗いたら白い花が棲んでいたわとい
 う。カフカの創造の苦しみはあとかたもなかった、ということを言いたかったのではない
 か。(鹿取)


          (追記)(2012年9月)
 カフカの父はカフカが小説を書くのに反対だったが、3人の妹たちは小説書きを応援して
いた。プラハ城内の黄金小路(=錬金術師通り)にあった「青い家」は末妹が借りていたも
ので、1916年11月から翌年4月までカフカが仕事部屋として使った。また1914年
夏には上の妹の借りていた部屋を、その秋から冬には中の妹の借りた家を仕事場にしていた
そうだ。
 一家は8回転居しており、最後は1913年から住んだ家で、中世の面影を遺す旧市街地
に在る。辺りは古くから商業の中心地で、最後の家の斜め向かいの旧宮殿の一階には父が高
級ブティック「カフカ商会」の店を構えていた。「青い家」へは自宅からカレル橋を渡って
毎日夜食持参で通ったという。「青い家」は現在、本屋となっている。カフカの生家も最後
の家のすぐ近くにあったが、現在は一部を残して別の建物となり「カフカ記念館」が置かれ
ている。外壁にはカフカのレリーフが掲げられているという。 (鹿取)
                  (『となりのカフカ』(池内紀)等を参照)


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馬場あき子の外国詠 56 中欧 405

2022-07-17 10:12:18 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠56(2012年9月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
      参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)
      司会と記録:鹿取 未放


405 人体はなまなまとして苦しげなりカレル橋いつ雪に埋もれむ 

     (レポート)
 カレル橋は城下町と旧市街地を結ぶために造られた石橋。両側の欄干には30もの聖者の像がある。多くの戦いを経験した橋故の聖者とはいえ生々しい人間くささを感じたのではないか。せめて清浄な雪が降って一刻でも苦しさを消したい願望なのではないでしょうか。(N・I)


      (当日発言)
★人間か聖像か迷ったが、下の句の関連からすると聖像。また「苦しげ」という言いまわし
 は観察者のもの。人間の内面をリアルに表した結果、苦悩を背負った多くの像がカレル橋
 には建つことになった。「いつ雪に埋もれむ」は直訳すれば「いつ雪に埋もれるのだろ
 う」だけど、苦しげな像たちを雪で覆ってやりたいっと思ったのではないか。(鹿取)
★当然聖像。たとえばザビエルひとりとっても苦しい生き様だったわけだから。(藤本)
★なまなまを活かすと歴史を負った苦しみというのは違う感じ。(崎尾)
★私も藤本さんも歴史を負った苦しみとは言っていないです。人間の内面をリアルに彫っ
 た結果、聖像といえどもなまなまとした苦しげな様子で建っている、というのです。
(鹿取)
★聖像だったらなまなましいとは書かないのではないか。(曽我)
★生々しいのはやはり歩いている人だと思う。(慧子)
★雪に埋もれさせるのは、聖像でしかありえない。(藤本)
★そうですね、人間は移動しているので雪に埋もれさせることは出来ないでしょう。
(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 56 中欧 404

2022-07-16 14:24:52 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠56(2012年9月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
      参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)
     司会と記録:鹿取 未放


404 聖なるもの観光として見ることに疲れゐつ荘厳(しやうごん)のビート聖堂

      (当日発言)
★自分の思想とはかけ離れているビート聖堂ということだと思う。自分が担当した「マリア
 はこちらを見ない」という意味の歌に通じる。(藤本)
★「観光としてわが見るマリアわれを見ず初秋のやうにさびしきその瞳(め)」ですね。見
 るこちら側の人間の質を問うている。信仰というものを突き詰めて考え(といって信者に
 なるということではないが)もっと裸の人間として向き合いたいが慌ただしく観光で来て
 いる今はそれができない。聖なる対象との間にどうにもならない距離を感じていてじれっ
 たく、そのことが作者を疲れさせているのだろう。自分自身が変革されたかたちでしか荘
 厳なるものとの本質的な対峙はできないというのだろう。(鹿取)
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