かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 90

2022-05-21 10:29:20 | 短歌の鑑賞
  22年改訂版 渡辺松男研究2の12(2018年6月実施)
    【ミトコンドリア・イブ】『泡宇宙の蛙』(1999年)P60~
     参加者:泉真帆、K・O(紙上参加)、T・S、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆 司会と記録:鹿取未放


90 おばあちゃんと僕の見るものかさなりてしまいて遠く火星が点る

 (E)「見るものがかさなりてしまいて」の「しまいて」。偶然性と僕の思いがけなく重な
     ってしまった感触(そんなつもりもなかったのに、という感じ。運命的、とまでは
     いかなくても)が、表出しているように思います。その視線が重なってしまった先
     に「遠く火星が点る」、戦争、軍神を暗示する 火星が点っているのです。(K・O)


        (後日意見)
 紅梅、煙草の火、夕日と赤系の色で繋いできて、ここでは火星。「見るもの」とは何だろうか。88番歌に「黒内障よりおそろしきことのひとつにておばあちゃんの夢を知らない」とあるので、「おばあちゃんと僕の見るもの」はおばあちゃんの「夢」ではない。すると僕とおばあちゃんが共通して見るものは、85番歌(おばあちゃんタバコをふかすおばあちゃん紅梅よりずっと遠くを見ている)、87番歌(畦に座り口あけているおばあちゃん 満州は日の沈む方角)などから考えて「紅梅よりずっと遠く」「日の沈む方角」である満州だろうか。満州からは私はどうしても戦争を思うが、その先には遠く「火星が点る」。この火星は具体的な戦争をも超えた生命と生命の闘争や生命そのものに宿る根源的な不安や苦しみを表しているのだうか。
 おばあちゃんの夢に寄り添おうとしたところが、偶然見るものが重なってしまった、そしてその先にはまがまがしく火星が点っている。苦い認識である。(鹿取)
コメント
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