かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 6

2022-02-03 11:31:49 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の1(2017年6月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【無限振動体】P9~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放


6  月光のこぼれてはくるかそけさよ茸は陰を選択しけり

     (レポート)
 茸は大型の菌類の総称で、木の蔭や朽木などに生える。さんさんと降る太陽光を好まないことを「月光のこぼれてはくるかそけさよ」と詩的に表現する。また、分類上の隠花植物をふまえての下の句「茸は陰を選択しけり」の意味と「けり」の意味、効果をこめて結ばれる。(慧子)


     (当日意見)
★「けり」の意味、効果とは?(鹿取)
★ 詠嘆ですか。(慧子)
★そうですねえ、「選択したんだなあ」って。茸という種の意志としてそうしたという事ですね。
 人類が二足歩行を選択した、というような意味合いで。そうして茸は陰に生えてるんだけどそこ
 に月光がこぼれてくる、それもかそかだと捉えているところがほそみというか美しいですね。
 ただ「分類上の隠花植物をふまえての下の句」は違うと思います。そういう理屈で下の句を導い
 ているのではなく、日々茸となじんでいる作者の実感でしょう。だからこそ「けり」でのしみじ
みとした詠嘆が活きるのだと思います。  (鹿取)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺『』『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 5

2022-02-02 15:38:10 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の1(2017年6月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【無限振動体】P9~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放


5 するすると世界を抜けてゆくきのこ今宵は白く川の辺に佇つ

      (レポート)
 たとえばものを理解したとき、又別の境地に至った時、もとの場にいながら、そこを抜け出るような感覚がある。「概念を重たく被り耐えている」という4番歌と対称的に「するすると世界を抜けてゆく」とは、実際の伸びとそれ以上の意味を込めていよう。「川の辺」という場、「白く」「佇つ」という様を想像すると、きのこの傘が旅にあるものの笠のように思えて漂泊者めいた感じがする。(慧子)


       (当日意見)
★面白い歌ですね。(真帆)
★松男さんが歌いたいものは「いつもこちら側にいる自己同一的実体的作歌主体にとどまっている
 かぎり不可能」なんですから、そこから出ている歌を理屈で考えても分からないですよね。映像
 としてこの世界を抜けていく茸を思い浮かべると私は楽しいです。三途の川だかわからないけど
 川のほとりに今宵は佇んでいて、明日は彼岸に行くのかもしれない。傘を旅人の笠に見立てるの
 は面白いし漂泊者というのは一つの興味深い捉え方だと思いますが、作者の意図はもうすこし違
 う気がします。私はこの茸は一本か集団か迷いましたが、無数の集団でするするとこの世界を抜
 け出ていく動画が見えるような気がしました。どこにも集団とは書いてないですけど。(鹿取)
★茸は繁殖力が強くていろんな所に出ちゃう。芝生の中とかに出ちゃう。本当だったら森の中に生
 えているはずの茸が、意外にも川のほとりに立っている。(T・S)
★そういう茸、よく見ますね。納得です。(慧子)
★確かに思いもよらないところに茸はポッと生え出てくるんだけど、「在ることの不思議、無いこ
 との不思議」を詠いたい人にとって、彼が詠いたい事はそれではない。文字通り、茸はこの世界
 を抜け出すのでしょう。でも私は作者ではないので、意図が全然見当も付かなかったりします。
 松男さんの歌の本質的なところは掴めないんだけど、でも面白いから読みたい。作者には迷惑 
 でしょうが、ごめんなさいと思いつつ読んでいます。(鹿取)


        (後日意見)2019年5月追加
 かくしてきのこは汚れた世界から脱出してとうとうと白く流れる川のほとりに屹立する。きのこがすべての生物の存在を代表するのである。(鶴岡善久)
            「森、または透視と脱臼」(「かりん」2000年2月号) 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 4

2022-02-01 12:44:22 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の1(2017年6月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【無限振動体】P9~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放


4  概念を重たく被り耐えているコンイロイッポンシメジがんばれ

        (レポート)
 コンイロイッポンシメジの傘はどのようなものか。私達は言葉、知識を得て概念をかたちづくるのだが、結局それにとらわれ概念から抜けられない。そのようなとらわれをまるで「耐えている」と作者はみて、コンイロイッポンシメジに重ねているのだろう。下の句「がんばれ」とは当然ながら「コンイロイッポンシメジ」にのみ掛かっているのではない。 (慧子)


      (当日意見)
★すると「コンイロイッポンシメジ」の他には何に掛かっているのですか?(鹿取)
★私達にです。(慧子)
★これ、作者のことではないですか。「概念を重たく被り耐えている」のは作者。(真帆)
★作者も入っていると思う。(慧子)
★人類よ、ということですか?(真帆)
★でしょう。単純に自分のことを詠っているようにも読めます。「コンイロイッポンシメジ」は自
 分だよと。(A・Y)
★私は「概念を重たく被り耐えている」のは「コンイロイッポンシメジ」だけと思います。画像を
 見ると紺色で小さい茸です。千本茸のように群れていないんですね。それで人間に勝手に「コン
 イロイッポンシメジ」などという名前を付けられ、そういう概念を被せられている。そんな茸に
 向かって頑張れと声援している。コンイロイッポンシメジを〈われ〉や人類だと解釈するとつま
 らないなあと思います。(鹿取)


      (後日意見)
 1番歌(森のかぜ茶いろのながれ光るなか無限振動体なるきのこ)のところでも書いたように「地に立てる吹き出物なりにんげんはヒメベニテングタケのむくむく」について、渡辺松男は「人間のたとえに使ってしまい、ヒメベニテングタケには申しわけないことをしたと思っています」と発言しているくらいだから、人間は自然界の他のものに対して、むしろ加害者だという意識が強いのでしょう。これから出てくる次の歌なども同じ感受の仕方だと思う。(鹿取)
 ごうまんなにんげんどもは小さくなれ谷川岳をゆくごはんつぶ『泡宇宙の蛙』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする