かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首387387

2021-12-29 16:43:35 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究46(2017年2月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【冬桜】P154
     参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:①曽我 亮子(②渡部 慧子)
     司会と記録:鹿取 未放


387 木の向こう側へ側へと影を曳き去りゆくものを若さと呼ばん

       (レポート②)  
 384番歌「冬の樹の梢にありき雲水にあこがれし日の少年われは」で少年の日をたとえているように作者の生活、人生を思うとき、樹をなくしては語られないように思う。過ぎていく自分の若さを言うとき、まずは常々とても好きである木の向こう側へと語り始め、影を曳きながら去りゆくものを捉えている。惜しみながらすぎていくものをみている感じがよくあらわれている。(慧子)


      (当日発言)
★慧子さんのレポートの「常々とても好きである木の向こう側へと語り始め」のところも、もう少
 し説明してください。(真帆)
★自分の大事な青春をいうのに、やはり自分の好きな木から語り始めると思ったのです。(慧子)
★向こう側が若さということですか?(真帆)
★作者がそう言っているのでそうです。目の前を去っていくなら捕まえられそうだけど、木の向こ
 う側へ行くのが捕らえられない儚いものだということかな。(慧子)
★向こう側というのが作者のキーワードの一つで、哲学的な深い意味合いを持っているようです。
 向こう側へ去っていくのは光りだったり影だったりするんですが、ここは若さですから少し屈折
 がない感じがします。余談ですけど、小池光の「ポプラ焚く榾火(ほだび)に屈むわがまへをす
ばやく過ぎて青春といふ」(『バルサの翼』S・53年)を思い出しました。小池さんの青春は
前を過ぎていくけどやっぱり捕まえられない んですね。(鹿取)
コメント
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