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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 (ネパール)

2019-12-16 23:25:08 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠15(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)81頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会とまとめ:鹿取 未放
                    

ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
  近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)

128 ムスタンの満月ただにしろじろとニルギリを照らす一夜ありたり

      (レポート)
 井上靖の「ヒマラヤの満月」という短編小説にヒマラヤの風や霧やその匂いが読んでいるページにただようように書かれていて、出会えた月を「天の一角に白銀の欠片がおかれている」とあるらしい。掲出歌の「満月ただにしろじろと」とあるように、どうやらネパールで見る月は白いのかもしれない。さてその月をたずねた地名と共に「ムスタンの満月」と初句に置き、俳句の土地への挨拶にならったのかと思ったが、それのみではない。ムスタン、ニルギリと固有名詞を二度までうたいながら、一首が騒々しくなるどころか、静けさや荘厳が感じられ、「ニルギリを照らす一夜ありたり」とはそこに作者がいあわせたことをうかがわせて、表現に妙味がある。(慧子)


       (まとめ)
 「ムスタン」という語はジョムソンを含む広域の呼び名で、知名度はジョムソンより格段にムスタンの方が高い。そのムスタンに満月が照り輝き、一夜だったがその光景に遭遇して感銘を受けた。その貴重な一夜に巡り会えた尊さを言っているのだろう。
 私事になるが、私がこの旅行を迷っていると「ニルギルに出る満月を見たくないですか」と旅行者の方に言われた。その殺し文句につられて馬場の旅に同行したが、口惜しいことにその美しい満月を眠っていて見損なったのだった。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 127(ネパール)

2019-12-15 18:39:50 | 短歌の鑑賞


ホテルから屏風のようなダウラギリを望む。ダウラギリは標高8167m、世界第7位。
(左上、白い繭のようなものは写真を写真に撮っているのでライトが映り込んでいます)   




  馬場あき子の外国詠15(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)81頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会とまとめ:鹿取 未放
                    

ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
  近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)

127 高き雲西へ去りゆき低き雲東へわたるニルギリの朝

     (まとめ)
 ジョムソンはとにかく風が強いことで有名だそうで、時には風速50メートルということもあるようだ。そんな強風のイメージではなかろうか。ホテルにいて向かいのニルギリを眺めていると、強風に乗って高い雲は西方へ、低い雲は東方へ流れていったということだろう。東西の方向に自信はないが、ホテルからニルギリに向かって左(たぶん、こちらが西)がアッパームスタン、つまりチベット方向、右(東)がポカラの方向で雄大なダウラギリが常に白い姿を見せていた。ということは低い雲はチベット方向へ、高い雲はダウラギリ方向へ流れていたということか。132番歌に〈いつしかに弓月が岳に雲わたる声調を思へりき雲湧くヒマラヤ〉という人麻呂を下敷きにした歌があって、同様にヒマラヤの朝の雄壮な情景をうたっていることがわかる。(鹿取)
 



           
       (ホテルから見て、ニルギリより左手の山)
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馬場あき子の外国詠 126(ネパール)

2019-12-14 19:58:20 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠15(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)81頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会とまとめ:鹿取 未放
                    

ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
  近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)

126 ニルギリは処女(をとめ)なり蒼き爽昧(ひきあけ)の光に染みてひたをとめなり

           (レポート)
 ことのほか美しいと思われる夜明けの「蒼き爽昧の光」にのぞんでいて、ニルギリが青みを帯びている様子を「蒼き爽昧の光に染みて」と言葉を置いている。「ひたをとめなり」と思いをこめて1首に2度までの措辞である。(慧子)


      (まとめ)
 「ニルギリは処女なり」というのは、人間に汚されていない崇高な処女峰だからだろう。また、2つの峰を持つ稜線は柔らかくて女性的である。その山に向かって化粧をしていた〈われ〉は、朝の光に照らされてあけぼの色に染まっていく山の姿に見とれているのだ。あまりの気高さに言葉を失い「ひたをとめなり」と繰り返す。その畳みかけに作者の感嘆の声がある。「爽昧」を「ひきあけ」という和語に読ませているのも処女のやわらかさを出して効果がある。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 125(ネパール)

2019-12-13 17:46:09 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠15(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)81頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会とまとめ:鹿取 未放
                    

ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
  近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)

125 水のごと静けき天よ未踏峰ニルギリを抱きほのかほほゑむ

      (レポート)
 ニルギリは未踏峰だという。たえず世界を意識し、また新しい分野に踏み入ってうたってこられた御自身の雄たる気概を「未踏峰ニルギリ」にむかって認識されたかもしれない。ここで何の構えもない天を「水のごと静けき」と抑制をきかせてたたえており、さらに「未踏峰ニルギリ」をあたかも「抱きほのかほほゑむ」とは眼前にこのうえもなき二物の在るを詠嘆している。(慧子)


     (まとめ)
 水のように静かな天が、未踏峰であるニルギリを抱いてほのかにほほえんでいる。天がほほえんで見えたのは朝日がのぼって空が明るい色を含んできたからだろうか。124番歌「未踏峰ニルギリに対かひ化粧(けはひ)する水のごと冷たき朝のひかりに」で崇高なニルギリに向かって化粧していた作者に、夜明けと共に明るさを増す空は、ゆったりとほほえんでいるように見えたのだろう。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 124(ネパール)

2019-12-12 21:08:03 | 短歌の鑑賞


馬場一行が旅したジョムソン。ピンクの○印が泊まったマウンテンリゾートホテルの位置。


   
       
   ホテルの正面に見えたニルギリ。インスタントカメラの画像をコピーしているので不鮮明ですみません。


  馬場あき子の外国詠15(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)81頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会とまとめ:鹿取 未放
                    

ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
  近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)


124 未踏峰ニルギリに対かひ化粧(けはひ)する水のごと冷たき朝のひかりに

             (レポート)
 「未踏峰ニルギリ」をのぞむ宿の一室に朝のひかりが差し込んでいる。この聖域をおかすごとく「化粧する」のであろうか。いやいや、その朝も常のごとであろう。「未踏峰ニルギリに対かひ」一人の女性が朝の身支度をしている。(慧子)


         (まとめ)
 ネパールは北海道の2倍弱の狭い国である。人口は日本の2649万。平均寿命は61歳。識字率は66%。世界でもいちばん貧しい国の一つである。首都のカトマンズは奄美大島と同じくらいの緯度で亜熱帯に属するが、馬場が訪れたジョムソンは標高2700メートル、年間降雨量200㎜の乾燥地帯で、川のほかは瓦礫の大地と隆起した岩山があるばかり、年中強風が吹いている。アッパームスタンとは、ムスタンを南北で分けた北半分の名称で、南半分をアンダームスタンと呼ぶ。ジョムソンはアンダームスタンの中心地。馬場はカトマンズから飛行機を乗り継いでジョムソンに入ったが、飛行機だとカトマンズから中継地ポカラまでは35分、ポカラからジョムソンまでは20分で着く。土地の人はポカラからジョムソンまで2日かけて歩くそうだ。
 馬場あき子一行(私もそのひとり)が訪れたのは2003年の11月初旬だが、統計ではジョムソンの11月の平均気温最高は14.3度、最低は1.2度。東京は16.7度と9.5度。ただし日中は日差しが強いせいか体感ではジョムソンの方がずっと暖かく感じた。しかし夜は冷えた。四つ星のホテルだったがシャワーはぬるいお湯が少量出ただけ、ユタンポが配られた。夜中の戸外はどのくらいの気温だったのか、あるだけのセーターを重ね着した上ダウンジャケットをはおってもまだまだ寒かった。
 そんな地で近藤亨氏は、NPO法人ネパール・ムスタン地域開発協会を設立、ジョムソンで果樹園や魚の養殖場を作り、農業指導に当たっていた。「こしひかり」を実らせたアッパームスタンは更に高い所に位置する。標高3600メートルのガミ村にも農場があって、ジョムソンからガミまでは更に馬で2日かかるという。
 この歌は崇高な「未踏峰ニルギリ」と対峙するかのように、あるいはその崇高さの恵みを受けるかのように、旅人の〈われ〉が化粧する姿を描いている。朝のひかりを水に例えているが、おそらく時刻は早朝だったのだろう。冷たく清冽な水のようなひかりの中で化粧する心震える喜びがある。ちなみにニルギリ山は標高7061メートル。ネパール、ジョムソン等のデータはwikipediaから抜粋。また、近藤亨氏は2016年にお亡くなりになった。(鹿取)


            
             
                   近藤亨氏死去の報道



  



             
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