2024年度版 渡辺松男研究38(2016年5月実施)
【虚空のズボン】『寒気氾濫』(1997年)128頁~
参加者:S・I、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、
Y・N、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:S・I 司会と記録:鹿取 未放
311 光化学スモッグのなかに静寂のひとときありて君がほほえむ
(当日意見)
★作者がいる場所を屋外と考えた方がよい、そういう条件の中でも静寂のひとときとい
うものはあると思う。(鈴木)
★あの、鈴木さん……(鹿取)
★でも、光化学スモッグ警報が出る時には一般的には人は屋外には出ないものですか
ら。(S・I)
★私も鹿取さんの発言の前に一言言わせてください。君は人間ではなくて静寂であると
思います。静寂のなかのある感じ、何かがひらめいたような、笑ったように作者が感
じたのではないでしょうか。でないと君が唐突すぎますね。(慧子)
★私自身が光化学スモッグで室内に引きこもっている時に、静寂の異次元のような感覚
をもったことがあるので室内であると。整合性を付けるためにいろいろと物語を考え
ました。(S・I)
★私は根拠はないのですが室内と思いました。君がほほえむだから人間の君で、君がほ
ほえむことによってひとときの静寂が生まれる感じ。(真帆)
★やはり君は唐突で分かりにくいと思います。ふつう君というのは妻とか恋人とか友人
とか関係性が必要ですから。レポートの最後の3行が私には分かりづらいので、それ
を最初に鈴木さんに聞こうとしたのですが……その部分どう解釈されますか?
(鹿取)
★私にも難しすぎてよく分からないです。(鈴木)
★作者が理想としている女性像を概念的に捉えたもの。今の短歌は女性を母性だとか優
しさで抒情的に詠ったものが多いのです。この歌ではほほえむということを作者が
女性にやってほしい所作として、いちばんに価値をおいていらっしゃる。(S・I)
(レポート)
作者と君は室内にいるのだろうか。光化学スモッグに覆われた風のない夏の炎天下には、人の行き交いが絶え、家々も冷房をつけ室内を閉ざしてしまっている。日常の物音や気配がなくなった今、君はほほ笑む。君は日々の生活に生き難さを覚えているのだろう。すべての生活音が掻き消され静寂に包まれているひとときは、煩雑な日常とは隔離されて安心感をもたらすのであろう。普段、微笑むことの少ない君はやっと本来の君にかえって、作者にほほえみをみせる。それは作者にとって安寧をもたらすものである。
「ほほえむ」は暗喩であり、作者の女性に対するあらまほしき所作の具象でもある。これは場を無化することによって成り立たつ理念的価値として表象され、「母性」、「優しさ」といった価値を、場面の中で抒情的に歌う詠法とは異なっている。(S・I)
光化学スモッグ:光化学オキシダントを主成分とするスモッグ。健康に影響を及ぼす ことがある大気汚染の一種。発生件数は1970年代をピークに減少傾向にある。夏の熱い日の昼間に多く、風の弱い日に発生しやすい。 『Wikipedia』
(後日意見)(2016年)
当日、私の体調がひどく悪く、司会もうまくできず、発言も思うようにできなかった。当日言うべきだったことを後から言うことになるがお許しください。レポートの最後の3行について、本来なら当人に説明を乞うべきであったと反省している。その答えがS・Iさんの最後の発言になっている。改めて読み返すとこの3行が特別難しい訳ではないが、内容については異論がある。最後の発言における説明の「今の短歌は女性を母性だとか優しさで抒情的に詠ったものが多いのです」は2016年現在このような認識をしている歌人はほとんどいないのではなかろうか。更にそれとは違う女性の価値として作者は「ほほえむ」をおいているとの説明だが、私には「母性」や「優しさ」と「ほほえむ」はほぼ同列の価値のように思われる。レポートの「君は日々の生活に生き難さを覚えている」や「微笑むことの少ない君」という解釈は歌の中ではどこにも書かれていない内容なので無理があるだろう。素直に読めば、項が楽スモッグの屋外で、ふっと静寂が訪れて君が微笑んだということだろう。ただ「君」が唐突に出てきて、〈われ〉との関係性が見えないことがこの歌を分かりにくくしているのだろう。(鹿取)
【虚空のズボン】『寒気氾濫』(1997年)128頁~
参加者:S・I、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、
Y・N、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:S・I 司会と記録:鹿取 未放
311 光化学スモッグのなかに静寂のひとときありて君がほほえむ
(当日意見)
★作者がいる場所を屋外と考えた方がよい、そういう条件の中でも静寂のひとときとい
うものはあると思う。(鈴木)
★あの、鈴木さん……(鹿取)
★でも、光化学スモッグ警報が出る時には一般的には人は屋外には出ないものですか
ら。(S・I)
★私も鹿取さんの発言の前に一言言わせてください。君は人間ではなくて静寂であると
思います。静寂のなかのある感じ、何かがひらめいたような、笑ったように作者が感
じたのではないでしょうか。でないと君が唐突すぎますね。(慧子)
★私自身が光化学スモッグで室内に引きこもっている時に、静寂の異次元のような感覚
をもったことがあるので室内であると。整合性を付けるためにいろいろと物語を考え
ました。(S・I)
★私は根拠はないのですが室内と思いました。君がほほえむだから人間の君で、君がほ
ほえむことによってひとときの静寂が生まれる感じ。(真帆)
★やはり君は唐突で分かりにくいと思います。ふつう君というのは妻とか恋人とか友人
とか関係性が必要ですから。レポートの最後の3行が私には分かりづらいので、それ
を最初に鈴木さんに聞こうとしたのですが……その部分どう解釈されますか?
(鹿取)
★私にも難しすぎてよく分からないです。(鈴木)
★作者が理想としている女性像を概念的に捉えたもの。今の短歌は女性を母性だとか優
しさで抒情的に詠ったものが多いのです。この歌ではほほえむということを作者が
女性にやってほしい所作として、いちばんに価値をおいていらっしゃる。(S・I)
(レポート)
作者と君は室内にいるのだろうか。光化学スモッグに覆われた風のない夏の炎天下には、人の行き交いが絶え、家々も冷房をつけ室内を閉ざしてしまっている。日常の物音や気配がなくなった今、君はほほ笑む。君は日々の生活に生き難さを覚えているのだろう。すべての生活音が掻き消され静寂に包まれているひとときは、煩雑な日常とは隔離されて安心感をもたらすのであろう。普段、微笑むことの少ない君はやっと本来の君にかえって、作者にほほえみをみせる。それは作者にとって安寧をもたらすものである。
「ほほえむ」は暗喩であり、作者の女性に対するあらまほしき所作の具象でもある。これは場を無化することによって成り立たつ理念的価値として表象され、「母性」、「優しさ」といった価値を、場面の中で抒情的に歌う詠法とは異なっている。(S・I)
光化学スモッグ:光化学オキシダントを主成分とするスモッグ。健康に影響を及ぼす ことがある大気汚染の一種。発生件数は1970年代をピークに減少傾向にある。夏の熱い日の昼間に多く、風の弱い日に発生しやすい。 『Wikipedia』
(後日意見)(2016年)
当日、私の体調がひどく悪く、司会もうまくできず、発言も思うようにできなかった。当日言うべきだったことを後から言うことになるがお許しください。レポートの最後の3行について、本来なら当人に説明を乞うべきであったと反省している。その答えがS・Iさんの最後の発言になっている。改めて読み返すとこの3行が特別難しい訳ではないが、内容については異論がある。最後の発言における説明の「今の短歌は女性を母性だとか優しさで抒情的に詠ったものが多いのです」は2016年現在このような認識をしている歌人はほとんどいないのではなかろうか。更にそれとは違う女性の価値として作者は「ほほえむ」をおいているとの説明だが、私には「母性」や「優しさ」と「ほほえむ」はほぼ同列の価値のように思われる。レポートの「君は日々の生活に生き難さを覚えている」や「微笑むことの少ない君」という解釈は歌の中ではどこにも書かれていない内容なので無理があるだろう。素直に読めば、項が楽スモッグの屋外で、ふっと静寂が訪れて君が微笑んだということだろう。ただ「君」が唐突に出てきて、〈われ〉との関係性が見えないことがこの歌を分かりにくくしているのだろう。(鹿取)
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