かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 172 中国①

2023-02-04 10:11:03 | 短歌の鑑賞
  2023年度版 馬場あき子の外国詠22(2009年10月実施)
   【紺】『葡萄唐草』(1985年刊)
    参加者:Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:渡部 慧子 司会とまとめ:鹿取 未放


172 上海の苦悩重厚なりし日の魯迅の椅子も古りて沈黙す

       (レポート)
 上海の近隣、浙江省紹興市生まれの魯迅は、明治維新を遂げ、アジアにおける先進国であった日本に留学する。魯迅は租界によって列強に蝕まれていた自国を認識するに至り、医学から文学に転向する。民衆の啓蒙のため魂に訴える文学の道を選ぶのである。帰国後は文学革命運動に加わり、論争の修羅に身を挺しながら、「狂人日記」「阿Q正伝」を発表する。
 「上海の苦悩重厚なりし日の魯迅」とは、先述の状況下の上海人民の貧困や精神の退廃など、さらにそれを切実に感じていたこと、また彼個人の作家としての内的苦悩をもさしていよう。誰も座っていない「椅子」をつつめる虚の空間とは実に不思議なもので、さらにそれが「古りて」いたとは、過ぎた時代や、不在の人を、様々に想像させていい素材である。中国と日本には、日清・日中の両戦争があったが、国交正常化を経て、今、一旅行者として、そこに立つ作者の胸中に万感迫るものがあったことであろう。(慧子)
     

        (当日意見)
★現代の中国を見ていると、魯迅の思想が現実に生きていないが、馬場訪問時も既にそうで
 あった。中国の現状を重く受け止めた結句で、「古りて沈黙す」が効いている。(藤本)


        (まとめ)
 1983年、初めての海外旅行で中国を訪れた際の訪問先に魯迅記念館がある。その記念館の魯迅が座っていた椅子を眺めながらの感慨。魯迅は1936年に没しているので、馬場たち一行が訪れたのは没後50年ちかく経ってからである。藤本さんの意見に賛成である。魯迅が格闘していた長い苦しい時代から50年、その頃の社会的政治的状況が解消したとは言い難く、更に重苦しい問題が加わっている現代、魯迅の苦闘の結果はあまり効果を発揮してはいないようだ。新しい時代の課題を解決するには新しい思想が必要なのだが魯迅を引き継いで発展させてくれる人間はいるのだろうか。そんな重い問いが「魯迅の椅子も古りて沈黙す」には籠もっているのだろう。(鹿取)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする