かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 209(中国)

2019-04-07 19:49:00 | 短歌の鑑賞
馬場あき子の旅の歌28(2010年5月実施)
    【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)171頁~
     参加者:曽我亮子、F・H、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子 司会とまとめ:鹿取 未放


209 無限連続飛天は空を泳ぎゐて回遊魚の青き悲彩漂ふ

          (レポート)
 「無限連続」は独立句。この大胆な破調と初句に珍しい表記は、作者がかつて見せた手法だが、多用を避けていて新鮮である。さらに一首全体を統一する力をもっているはずだ。
 天山北路・敦煌の莫高窟内の飛天図を見ているらしい。飛天とは仏教伝達の願いを込めて空想されたものだが、キリスト教の天使と違って翼を持たず、ひれや風に身をゆだねている。生きとし生けるものは等価値の命を生きているという東洋的思想にある作者であろう。「飛天は空を泳ぎゐて」とは、比喩ながら「飛天」と「回遊魚」を近い存在と見ている。そしてそれらに一瞬の生を生きている私達も含めて「無限連続」にあるすべての感覚的色調を「青き悲彩」と言っていないだろうか。かくして存在すれば、生命活動すれば、それが「漂ふ」のである。また、よく据わっている結句は「漂ふ」という言葉のゆえか、初句の力のゆえか、「無限連続」へ帰って行く感があり、一首に小宇宙が見える。(慧子)


      (まとめ)
 莫高窟の飛天図を眺めていると、あまりにもたくさんの飛天が描かれているので無限に連続しているように見える。それはある一室の印象だろうが、何か洞窟を突き抜けて無限なる飛天が大空をえいえいと連なっているようなイメージを与える。そしてそれは回遊魚の青い悲しげな彩りの漂いと通い合うようだ。飛天の青が印象深い絵に作者は悲しみをみた。(鹿取)



コメント
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