Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

8回目の、『7月2日』。

2012-07-02 23:59:59 | その他の応援団関連
このブログを建てた5年前も、4年前も、3年前も、そして、一昨年も、更には、昨年も記事をエントリーしているのですが、やはり特別です…この日だけは。

今年で、尊敬して止まないT先輩が逝ってしまって、8回目の『7月2日』を迎える事になります。

「人との別れ」は、お互いの「時間」の中に、そっと忍び込む「何か」で隔てられ、次第に思い出に変わっていく…。
これ、大ヒットしたある少女マンガのヒロインの台詞にもあるのですが、私にとってのT先輩も、そんな存在になっていくのだろうか…と、ふと思うことがあります。
でも、とても深い悲しみは、やがて乗り越えなくてはなりません。

ここ数年ですが、T先輩を、母校の文化祭で開催されるステージ「臙脂の集い」の前日や当日に「お迎えに行き、一緒に連れて行く」事を、一人ではなくて、KT先輩と2人で…となってから、「乗り越えていく力」が、少しずつですが、湧いてきている気がします。
8年も経って、未だにしんみりしていたり、悲しんでいては、T先輩に失礼かもしれませんね。

昨年10月から、研究・開発で「一人でアイデアを出して、“明日の飯の種”に育てる」という仕事から、現に事業化され、お客様のお手元に届く製品の管理や、製造スタッフの業務(しかも、今年度から、ちょっとした責任ある立場で…)を担当することになってから、想像以上の「大変さ」と格闘していますが、その「忙しさ」も、T先輩との間の「隔てる何か」になっているのかもしれません。
昨年10月から、フィジカル的に、本当に身体に応えてしまっている時以外は、とにかく、会社に行く!…という「前に進む力」は着いてきたかなぁ…と感じます。そういう事を一つ一つ乗り越えながら、「大事な人との別れ」を「力」に変えていくんだなぁ…という事も、感じます。

でも、思うのです。

やっぱり、何度も繰り返す形で恐縮なのですが、T先輩が熱心に私を勧誘していらっしゃらなければ、間違いなく、私が応援指導部(応援団)に入部することはなかった…。その事実からは、絶対に目を閉じたり、背を向けてはいけない…と。

2年先輩のKT先輩や、1年先輩のO先輩、カモ達同期、1年後輩のS達をはじめ、17歳も年下のIJやYR、KN、さらには「親子」であっても不思議でない19歳も年下のTTや、慶應義塾大学應援指導部で、立派に幹部に就任した、21歳下のミノルやシンイチ、そのまた更に1歳下の、「来年は、君だ!」のユウスケといった、可愛いく、そして頼もしい後輩達とも、出会うことがなかったのだから…。

それを思うたび、T先輩の存在は、存命でない今でも、とっても大きい…。
ひょっこり現れるのではないかと、思う事…結構あります。
でも、良いんです。私の心の中では、T先輩は、永遠に生き続け、存在し続けるのです。それが私の「困難に立ち向かう力」となっているとしたら、やっぱり凄いですよ、T先輩、貴方という御方は。

決して奢っている訳ではありません。
でも、今年は、KT先輩と「2人」だったのが、YRも一緒でしたよね。
KT先輩によれば、YRは「私も加えて頂けませんか?」と自ら申し出たそうです。
私や、KT先輩の気持ち、そして、そのT先輩への「愛」みたいなものが、YRに伝わって、自然と自ら「私も…」と申し出てくれたなら、これほど嬉しい事はありませんよね。
それも、やっぱりT先輩…貴方の「力」です。

今年の「六旗の下に」…凄かったです。

ダラダラと感想書いちゃったけど、ミノルとシンイチは、素晴らしい同期に恵まれ、「現時点で、日本一」と評価して良い幹部の一角を担っています。「同一年度で、東京六大学の応援団に複数名幹部を輩出」は、恐らく史上初の快挙でしょ?。その事だけでも凄い。
とりわけシンイチは、益々T先輩…貴方に似て来ています。
元々、「お顔のパーツのつくり」も似ていたことは確かだけど、とにかく「ほぼ全て」の面で似ています…。
私は、シンイチを見る度に、何かを学べています。そんなシンイチが、益々T先輩、貴方に似ていく事が、私は嬉しいです。
だから、皆が埼玉に近いところに住まいがありながら、私は山口でも、少しも寂しくはありません。会うたびに成長していくシンイチ、もちろんミノルやユウスケを見ていると、まるで、T先輩に会っているかのような感覚を覚えることもあるのです。不思議ですね…。
でもね、そんな3人を、今年と来年は、たくさん見よう、見守ろうと思っています、多少無理してでも…。
30歳になってから、いわゆる「アラフォー」と呼ばれる直前まで、こういう「熱い気持ち」が私の中で湧きたつ事もなく、何となく流され、勝手に寂しがっていた、「不毛な時間」を少しでも穴埋めして取り返したいから…。それは、私の中では、山口と埼玉の往復の交通費や、KT先輩をはじめとする「仲間」と会食する時に発生してしまう「お金」なんかより、ずっと価値が高いのですから。
何も知らない「傍から見ている、身近でも、そうでなくても、どちらも問わない、人達」にとっては、本当に「バカじゃない?」って映るかもしれない。でも、それでも、私は良いと思っています。
T先輩なら、私のこの気持ち…少しは理解して下さるでしょうか。そうなら良いのですが…。


T先輩。
私は、T先輩が私の「心の中で、生き続ける」なら、私自身が「生きる」ということに対してだけでも良いから、精一杯になってみようと思います。
今の会社では、その「不毛な時間」の時に、とんでもないミスを犯してしまったので、もうこれ以上の出世は見込めないかもしれない…と、諦めてはいます。それも、自分の失敗です。受け止めます。今の私なら、その時の私に「バカか、お前は!」ってダメ出しする程、確かにダメでした。
でも、今は、違います。
良いんです、「富み」とか「出世争い」とか「会社での地位」とかは。要らないんです、私には。そんな事は少しも大事な事ではなく、生きる事とは、全く関係ないと思っています。
大事な事は、とにかく、今の仕事が「楽しい」とか、「充実している」とか、「会社に足を向けるだけの力は、ある」なら、卑屈にならず、前に進む事です。私自身が、どう生きようとするのか…夢中になって、前に進む事です、自分を信じて。「クソ真面目」でも良いじゃないですか…それが「私」なのですから。
そう考えると、益々仕事は楽しくなっています。たとえ、お客様のご不満の声が挙がったとしても…それが、今もそうだけど、「嵐」の様であっても。
だって、今、3人が居る、慶應義塾の塾歌の歌詞にあるじゃないですか…

「…嵐の中にはためきて 文化の護り高らかに 貫き樹てし誇りあり 樹てんかなこの旗を 強く雄々しく樹てんかな…」

と。T先輩と高らかに歌った、母校の校歌の三番の歌詞の全部も…

「時世をつくる英雄の 姿はこれに似たらずや 忍耐剛毅わがつるぎ 誠実質素われがたて」

と。これを、「目が覚めた」以上は、忘れてはならないと。
だから、凄く前向きだし、仕事でたくさん失敗しているけど勉強になっているし、失敗しても、何故か楽しい。5年後、10年後は、こうありたい…というビジョンもあります。不思議ですね。でも、それを教えてくれたのも、T先輩、貴方にどんどん似て来ているシンイチです。だから、彼等に誇って頂けるような先輩でありたい…。彼等に恥じぬように、前に進みたい…。

昨年3月11日。先輩も驚いてしまうような、東日本大震災が発生しました。
「自然の、圧倒的な恐ろしい力」に呆然と立ち尽くすしかない…そんな時も一時ですがありました。
この日を境に、私とT先輩の「別れ」の様に、「悲しい別れ」が、あっと言う間に一度に大量に発生してしまった…。今も、仕事がしたくてもできない、大変な思いをなさって苦しんでいる方が、大勢いらっしゃいます。
その事で、私の中の「価値観」も少しずつ変わってきているから、「会社での地位」で付随してくる「お金」は、家族が何とか食べていけて、私が実家に戻った時に、再会した若い後輩達に、ご飯を少し多めに食べてもらえる位の、「わずかな余裕」があれば、もういいです。それよりも価値が高いものが、私には見つかりました。それが「財産」です。大震災で露わになった「荒れ狂う海」であっても、航海に出ねばなりません。その「財産」を拠り所にしながら…。

また来年も、「臙脂の集い」の、恐らく前日に、KT先輩と、きっとYRも一緒に迎えに行きます。待っていて下さい。
また、たくさん飲みましょう。いや、今年と来年は「特別」だから、見たいでしょ、3人を。一緒に見に行きましょう。神宮球場へ。


そうは言っても、ひょっとしたら、顔見せできないほど怠惰で充実感がない1年間を過してしまうかもしれない…。
しかし、繰り返しになりますが、「生きる」ということだけに対しては、今以上に精一杯…やりますよ。私は、「私」になるために、私をしっかり耕して、豊かな男性になる努力は惜しみません。それだけは約束します。


だから、これからも私達を、見守っていて…下さいね。T先輩…。

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