柴田は、単純でおセンチなので、純愛ものにはめっぽう弱い。で、日本の純愛もの最高傑作と言われる「愛と死を見つめて」のテレビリメーク第1部の前半だけ見た。もうこれでノックアウトと言う感じである。家族で見ていたのだが、あまりに目がウルウルになったので、耐え切れなくなって部屋を出てきた。もう十分と言う感じである。
柴田は幸運にも、何不自由なく生きているし、十分な幸せを感じている。しかし、いつ神様の悪戯か、死に直面することになるかもしれない。多分、高度な肥満による合併症が柴田の命を断ち切ることになると思うが、これは怠惰な生活による、ある種自業自得である。でも、彼女の病気は生まれ持ったもので、彼女自身になんらの落ち度はない。
こう言う、自分には全く落ち度が無いことで、深く深くつらい状況に陥れられることに対しては、人々はどうやって納得するのだろうか?本当のことは、その立場になって見なければ、分からないのだろう。人間は長く生きても100年少しで、多少の長い短いはあるものの、いずれは死んでゆく。どう生きるかは、どう死ぬかよりも大事だ。
研究室では、20歳の学生さんと一緒に活動してゆく。その年の差はほぼ20年で、柴田は40歳と言うことだ。寿命を全うすれば、80歳まで生きられるとして、あと40年間の人生と言うことになる。その間に40回の正月を向かえ40回の誕生日を経て年を取っていく。計算するとあと2000回の週末を迎えると、多分柴田はこの世に生きていないだろう。楽しい週末は、残りたった2000回しかない。
研究室を構えて学生さんと活動するようになって、27歳から今年で12年目になる。定年が65歳だとすると、38年間研究活動することになる。平均すると年度に5人ぐらいのスタッフであって、約190人の卒業生を送り出すことになる計算だ。一生かかって指導できる学生さんがたった190人しかいないということ。であればこそ、一人一人ともう少し時間を掛けて、丁寧に接していかないといけないね。
様々な役目を背負って生きているので、いくら研究命と思っていても、正直、適当に流してしまうこともある。自分の力を信じられないことも多い。決して逃げるわけではないのだが、限界を感じることもある。それでもそれでも、前に進むことだけを考えていけば、未来は開けるはずだと信じて活動するのみだね。世の中で本当に信じられるのは「自分」しかない。これが結論なんだろうな。きっと。
柴田は幸運にも、何不自由なく生きているし、十分な幸せを感じている。しかし、いつ神様の悪戯か、死に直面することになるかもしれない。多分、高度な肥満による合併症が柴田の命を断ち切ることになると思うが、これは怠惰な生活による、ある種自業自得である。でも、彼女の病気は生まれ持ったもので、彼女自身になんらの落ち度はない。
こう言う、自分には全く落ち度が無いことで、深く深くつらい状況に陥れられることに対しては、人々はどうやって納得するのだろうか?本当のことは、その立場になって見なければ、分からないのだろう。人間は長く生きても100年少しで、多少の長い短いはあるものの、いずれは死んでゆく。どう生きるかは、どう死ぬかよりも大事だ。
研究室では、20歳の学生さんと一緒に活動してゆく。その年の差はほぼ20年で、柴田は40歳と言うことだ。寿命を全うすれば、80歳まで生きられるとして、あと40年間の人生と言うことになる。その間に40回の正月を向かえ40回の誕生日を経て年を取っていく。計算するとあと2000回の週末を迎えると、多分柴田はこの世に生きていないだろう。楽しい週末は、残りたった2000回しかない。
研究室を構えて学生さんと活動するようになって、27歳から今年で12年目になる。定年が65歳だとすると、38年間研究活動することになる。平均すると年度に5人ぐらいのスタッフであって、約190人の卒業生を送り出すことになる計算だ。一生かかって指導できる学生さんがたった190人しかいないということ。であればこそ、一人一人ともう少し時間を掛けて、丁寧に接していかないといけないね。
様々な役目を背負って生きているので、いくら研究命と思っていても、正直、適当に流してしまうこともある。自分の力を信じられないことも多い。決して逃げるわけではないのだが、限界を感じることもある。それでもそれでも、前に進むことだけを考えていけば、未来は開けるはずだと信じて活動するのみだね。世の中で本当に信じられるのは「自分」しかない。これが結論なんだろうな。きっと。