DALAB情報発信用ブログ:OpenCAE+GPGPU+Peridynamics編

DALABで行っている研究活動の中で、OpenCAEやGPGPUや破壊解析の取り組みについてまとめてゆきます。

研究日誌H180330

2006年03月30日 07時13分15秒 | 研究室情報
*春だというのに雪だ*
いい加減スタッドレスを外そうと思っていた矢先、なんと雪!路面には積もっていないのですが、屋根は白い冬景色なのです。もう3月30日で暖かいときなら、桜も終わろうとする時期なのに、不思議です。寒いです。
=午前は、共同研究実験の片付け、さすがに現場の方の開始も早く作業も速い。見習おう
 午後は、送別会も兼ねて休みを取って、温泉に行った。心の洗濯と言うところかな。
 酔ったおじいさんが多くで閉口したが、お湯は良くて、体も気分も軽くなった。
 夕方は、食事会で日本食の定食だが、肉も魚もあり、ちょっとリッチな食事になった。
>これで、春休みの研究室のイベントは完了したので、学校の用事を済まさないと。
 その後、本当の春休みを経てから、平成18年度を本格始動しないとね。
 色々と積み残した課題も多い平成17年度であったが、とにかくキリを付けて、つぎに進みたい。
 昨年度の反省に立った、新しい今年度を充実させたものにしたい。前向きだ!!
 

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7 コメント

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お疲れ様でした (偽先生)
2006-03-30 23:50:53
2005年度 お疲れ様でした.

多方面でのご活躍,何よりです.



企業の人間も期末ということを意識しますが,先生の世界も同じなんですね.むしろ,より「心改まるスタート」なのかもしれませんね.4月1日は.



私も,今年初めて大学院の生徒の卒業に立ち会いました.たった,2年指導しただけですが,いろいろなことが思い出されて,彼が旅立っていくとき,少しさびしかったです.



先生は,そんな思いを何回もされているんですね.ちょっとつらいかもしれないけれど,なんか,新鮮ですね.
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謝恩会ボイコット (ryos)
2006-03-31 05:41:18
物騒なタイトルなのですが、実は、過去6年ぐらい、卒業式も謝恩会も欠席していました。毎年研究室からは5名程度卒業しており、謝恩会の誘いはあるのですが、断ってきたのです。(単なるへそ曲がりなのですが、研究室の学生とは送別会を行っているので、義理は果たしたと思っているのです。)

理由1:自分は卒業式に参加し謝恩されるだけの努力をしてきたとは思えない。そんなに全力で教育に打ち込んで来ていない。正直言って、研究の展開と学生の成長は重なるところがあるが、学生の成長が待てず研究の展開を優先していることが多い。(申し訳ない!)

理由2:全ての学生が、卒業に値するだけの努力をしているとは思えない。学生と教員が馴れ合いにになってしまい、辛うじて卒業出来て、最後になってお世話になったなどお礼を言われたくない。(本当に卒業?)

ではあるのですが、このごろ態度を軟化させて、今年度は謝恩会だけは出席しました。楽しい会なのではあるのですが、空虚でした。

持論である卒業式と葬式は同じもの。つまり、この世を追えあの世に旅立つのが葬式で、学校を終え社会に船出するのが卒業式、どちらも生前・在学中に何があろうが、全て美しい思い出だけ残して、全ての不都合を水に流してしまう儀式ですよね。

ずっと同じ位置に立つ自分は、清濁全てを心に溜め込みながら、毎年淡々と努力し続ける、僧侶や牧師の役目なのでしょうか?
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なるほど (偽先生)
2006-03-31 08:26:10
ryos先生らしいコメント.気概が感じられて,なかなかよいですね.



私自身,若いときは,別のはなしですが,似たような思いをもっていました.ただ,今は,ちょっと違う思いもあります.



いま,2つの代替案A,Bがあるとします.たとえば,Aというのは,Policy Aの規範に基づきふるまう行動とします.同様に,Bは,Policy Bの行動規範とします.

人生は,2つの代替案を同時に選べませんから,排他的選択となります.このとき,ある時刻tの効用関数Fを定義します.関数Fは,ある時刻tにおいて,その瞬間,代替案Xを取ったときの,自分に対するメリット,他者に与えるメリットの和から自分に対するデメリットと他者に与えるデメリットの和を減じた,時刻tの効用の総和と定義します.

もちろん,時刻tの瞬間のメリットやデメリットといっても人間の感情や他人の思いを1つのスカラー量であらわすことは難しいですが,ま,定性的な議論とお考えください.



このとき,F(A,t)とF(B,t)の値のそれぞれの時間積分を考えます.積分区間が小さいとき,両者の差は大きくなります.しかし,積分区間が長くなると,実は,話が違ってくると私は,思っています.



また,F(X,t)の評価関数が変わると,もちろん,数値は激変します.たとえば,自分にとってのメリットを誰の視点から見るか?とか



ちょっと,ピンボケなコメント,ご容赦ください.







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人生を関数とすると (ryos)
2006-03-31 15:34:41
人生を関数として捉えるところは、ちょっとエンジニア的考察ですね。それで、人生を関数として定義すると、どのような関数になるのでしょうか?ちょっと考察してみました。

聞きかじりなのですが、カオス現象を見せる関数では、初期値のほんの小さな違いが、最終的に非常に大きな変化となって現れてきます。実は、人生はすごい多変数のカオスで、色々な出会いや経験によって、その後の人生が大きく変わってゆくことがあるのではないかと思います。さらにカオスを示す現象同士が、さらに影響を与え合っているのですよね。

ですから、毎日毎日の積み重ねて、未来は大きく変わる、いや変えることが出来ると信じて努力しているのですよね。そう思うと、数式による説明も、案外納得できて面白いものですね。博士の愛した数式でも数の神秘が人生と対比して表現されていますが、人生を数式として捉えると、微分や積分は何に対応するのでしょうか?面白いですね。さしずめ微分は、表層的な気分を表しているのでしょうか?

でも、ご指摘のポイントは、そうして短い区間を比べると、相当異なる関数でも、長い区間で考えて、さらに積分という影響を相殺するような処理を考えると、実は大きな違いはないのかも知れませんね。

ものすごい大きな幸福を得る人には、それに見合うだけの不幸を受け、相殺するとほどほどになってしまうのかも?
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アトラクター (偽先生)
2006-03-31 22:08:57
>ものすごい大きな幸福を得る人には、それ

>に見合うだけの不幸を受け、相殺するとほ

>どほどになってしまうのかも?



御意!



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すごい!! (トレア)
2006-04-12 22:08:19
あんまり難しくて読み取れないお二人のやり取りに今頃になってトレアなりにいつも思う事。



ものすごい大きな幸福を得る人がそれを得るまでにものすごい大きな「努力」をしたらそれに見合う不幸は受けない。相殺とか為替で・・・最近多いけどそんなのいやだね。



どうですか?
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努力と不幸 (ryos)
2006-04-13 03:51:59
ご指摘の通り、大きな努力の結果が、大きな幸福となったとき、これを打ち消すために大きな不幸が来てしまっては、それこそ努力が報いられないですね。

とすると、上記の人生関数の解釈で言うと、正(+)の事象は、成功・成果・満足になることは共通理解として良いとして、負(-)の事象としては、不幸・不遇・努力にしたらどうでしょうか?

つまり、何か大きな努力をするということは、我慢や忍耐なわけで、ダラッとしたい怠けたいという欲望が満足出来ないという意味で負の事象で、これに見合うだけの成果が得られ、努力が報いられると言う事ですよね。

でも、棚ボタで舞い込んでくる幸運に対しては、その後に来る様々なゴタゴタで、結局は大した幸福には繋がらない。外国の宝くじの当選者は、結構不幸な人生もありますよね。

どうでしょうか?このような解釈は。
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