だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

宮崎県日之影町(ひのかげちょう)大人(おおひと)地区

2023-12-19 21:29:53 | Weblog

大日止昴(おおひとすばる)小水力発電所を見学に行った。これは農業用水路を利用した小水力発電所で、2017年に運転開始、約80mの落差を毎秒120Lの水を落とし、クロスフロー水車で49.9kWの電力を生み出す。全量九州電力に売電、年間売り上げは約1,000万円。建設にかかった費用は9,500万円で政策金融公庫から7,000万円、地元の宮崎銀行から2,500万円の借入をして建設した。それ以外に県の補助金3,000万円で機械類を購入したとのこと。年々の返済額を引くと利益は年間約300万円。そのうち200万円を機器更新のために積立て、残りの100万円を80万円は用水利用料として大人用水組合に払い、20万円を公民館活動のために支出している。

日之影町は隣の高千穂町と共に宮崎県の天孫降臨神話の地だ。山深いけれども広々とした雄大な景色が印象的だ。大人地区は山の斜面にへばりつくように集落があり、急傾斜に細長い棚田が続く。約70世帯の小さな集落だ。

大人発電農業協同組合の田中弘道代表理事に話を聞いた。大人用水は米の生産力をあげたいと明治44年に計画を県に申請。その時の全戸長の署名がある文書が残っているという。資金調達に苦労し、着工したのは大正6年、素掘りの用水路が完成したのが大正11年だった。急傾斜の山腹を横切る用水なので大雨のたびに崩れ、その維持には苦労したという。冬の間は藁を刻んで練った泥を背中に背負って80mの高さを登り、水路の壁に塗り込んでたたく作業に集落総出であたった。戦後すぐの昭和27年に土地改良区を作って用水路の修復に着手。鉄筋コンクリートで用水を三面張りする工事が完成したのは、実に平成13年。その間、資金を借り入れしたものの、バブル景気で金利が上昇し、その返済にたいへん苦労したという。やっと返済が終わった平成16年に用水組合を結成して運用している。

しかし、当然のことながら用水路の維持作業ななくなったわけではなく、台風の大水で水路が土砂で埋まるなどの被害は毎年のようにあり、出役の人工だけでなく費用も必要だった。組合員には水の使用料として平米あたり10円(1反あたり1万円)を徴収してそれに当てていた。

しかしながら過疎・高齢化が進む中で、農作ができなくなり用水組合を抜ける農家が出てきて、用水維持の負担は残った農家にさらに重くのしかかる。このままではいつか用水を維持できなくなる。一方、水は年中流れているにも関わらず、それを使うのは夏の米作りの間だけ。田中さんは、それ以外の期間はただ川に戻しているだけの水を何か有効利用できないかと考えた。

そこで情報収集していたところ、たまたまのご縁で九州大学工学研究科の島谷幸宏教授の研究室とつながり、小水力発電の構想が持ち上がった。島谷研究室の卒業生たちが立ち上げた小水力のコンサル会社である株式会社リバー・ヴィレッジの支援を得て可能性調査を行い、70kW程度の発電ができそうだということが分かった。(その後出力は九州電力との電力接続の交渉をする中で、低圧契約の49.9kWに抑えられることになった。)

利益が年間100万円ほど出そうだという見積りをもとに、田中さんが考えたのは、まず用水組合に水使用料として入れて、用水を維持するための農家の負担を軽減すること。もう一つは地区の公民館の活動を支援すること。大人地区は歌舞伎と神楽という二つの伝統文化を守ってきた。歌舞伎は年2回の公演、神楽は1月に夜通し舞が奉納される。70世帯の地区でこれだけの行事をやるのは並大抵のことではない。公民館は宮崎県の特徴である自治公民館というもので、公民館長は選挙で選ばれ、公民館が住民自治の拠点だ。5つの集落があり、毎月常会をやって呑んでいるという。今時、田舎でも珍しい濃厚なコミュニケーションが維持されている。

田中さんは発電事業を構想する当初から、公民館への支援を考えていた。それができるためには、事業主体は住民全員が参加する組織でなくてはいけないと考えた。そこで、発電農業協同組合を立ち上げた。農家は53軒、非農家が20軒ほど。その全世帯に出資を求めた。当初は1軒5万円ほどを想定していたが、住民は難色を示し、折り合いがついたのが4,000円だった。そこで農家も非農家も同じ金額を出資して発電農協を立ち上げた。

全ての世帯が賛成したわけではなかった。用水が借金の返済に苦労したことを皆身にしみて分かっている。いまさら借金をして大丈夫なのか。強硬に反対する人もいたが、田中さんはなんとか説得することに成功し、全世帯からの出資を実現した。

発電所の建設にあたってはやはり資金調達に苦労した。コストを下げるためのさまざまな工夫もこらした。樹脂製のパイプを導入したことや、水の取り入れ口のメッシュにたまった落ち葉などを水流で流す除塵装置など。

発電所が完成すると順調に運転が始まった。初年度に黒字が実際に出たのを見て、半信半疑だった地域の人たちは「発電所ができてよかった」と言ってくれるようになったという。用水組合へ農家が払う水使用料を大幅に減額できた。公民館では地区内に街灯をつける費用に当てたり(夜間に歩くのに懐中電灯がいらない地区をめざしたという)、歌舞伎や神楽の開催費用の一部に配分された利益を活用している。

しかしピンチが訪れる。昨年6月の集中豪雨により、川に大量の土砂が流れ、水路が埋まってしまった。その復旧作業は翌年の3月までかかり、その間、発電はできず当然売電収入も入らない。小水力発電にはこういうリスクがある。そのピンチは保険で切り抜けたという。たまたま水害が発生する少し前に、保険の内容を見直していた。田中さんらが考えるさまざまなリスク要因をカバーする保険を提案するよう保険会社各社に依頼し、その中で最も保険料の安かった保険会社の提案を採用して契約していた。その保険で水害による損失がカバーされたという。

田中さんは現役時代は町役場の職員で、最後は企画課長まで勤め上げた。定年退職後に地域の活動を熱心に担っている。用水組合長を引き受けたのがきっかけで自ら発電農協を立ち上げて代表に。集落営農の代表もやっているという。70歳で引退するまで歌舞伎の舞台にも上がった。獣害がひどいため、免許をとって狩猟をしている。イノシシ、シカ、アナグマなど年間100頭以上を捕らえて解体しているという。しかもほぼ一人で。発電所の近くには木の胴をくり抜いた本格的なニホンミツバチの巣もあった。「早くいろんな役を引退して山遊びをしたい」と笑う。

いろいろな地域を歩いてしみじみ思うのは、こういう地域を愛する心と統率力・実行力を兼ね備えた地域リーダーがたった一人いるかいないかで、地域の様相はガラッと変わってしまうということだ。

 小水力発電は単にエネルギーを生み出すだけではない。地域の強い自治が基盤になければ実現しないし、逆に発電所が地域に求心力をもたらし自治を強める。小水力発電所は地域住民が地域の課題と価値を見つめ、自らの力で課題を解決しようとする自治力を育む学校なのだと思う。

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