だいずせんせいの持続性学入門

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「日本国」崩壊に備えよう

2023-12-06 18:17:26 | Weblog

この国の統治機構の劣化が著しい。マイナンバーカードを普及させて行政手続きを効率化させようとしたものの、それでなくても国民の間に政府に個人情報を握られることへの不信感がある中で、数々の単純なミスやシステムの不備が発生してさらに信用を失わせてしまった。インボイス制度の導入。免税業者を悪用した消費税の脱税を防ぐねらいがあったようだが、フリーランスや兼業農家などに大打撃を与えただけでなく、一般の事業者も紙で領収書を保管してそこから会計を起こさざるを得ないなど、まったく時代に逆行する煩雑さを強いている。

このような可視化された劣化は氷山の一角だろう。各分野で劣化が進んでいるに違いない。

私の所属する国立大学でも。文部科学省は大学院重点化ということで、大学院学生定員を増やすよう各大学を指導した。その結果定員が増え、博士の学位をめざす博士課程に進学する学生も増えた。しかし、一方で、国立大学の法人化を行い、行政改革として教員の人件費をそこから出している運営費交付金を一律に徐々に減らしていく政策をとった。貧すれば鈍す。その結果、各大学で教員のリストラが進行している。つまり、博士課程修了者の出口となる大学の若手教員ポストの数は減った。そのようすを見た学生たちは博士課程に進学するのをためらうようになった。あたりまえだ。どの大学・研究科も博士課程はおおむね定員割れを起こしている。それなのに、さらに文部科学省は定員割れを解消するために博士課程の学生を増やすよう各大学を強く指導している。大学の方も回答のない答えを出そうとして右往左往している。意味がわからない。

こういう状況はどこかで聞いた話だ。そう、ソ連が崩壊した間際の状況だ。誰も周囲を見ることなく、それぞれのセクションが、しかもおざなりなことを適当にやっていたために、ほころびがあるところで臨界点に達し、統治システム全体が崩壊したものと思う。

では日本の役所の職員はぼーっとしているのか、というと決してそうではない。中央省庁から村役場まで、個々の職員は多様な業務に文字通り忙殺されている。その姿は自己犠牲的と言って良い。激務のあまり「燃え尽きる」姿を時々目にするのは本当に痛ましい限りだ。しかし、いきおい自分の受け持った狭い範囲の仕事に集中せざるを得ないため、誰も周囲を見渡して整合性を図るような時間的・精神的余裕がないのだと想像する。その結果として、よく考えられていないおざなりなことを適当にやっているということになってしまっているのは、崩壊前のソ連と同じだ。

この国の統治システムは早晩崩壊する。いつどのような形で臨界点に達するのかは予言できないけれども、システム崩壊を避ける方向の動きがほぼ見られないわけだから、いつかは崩壊するということは誰でも確実に言える。

大規模な社会システムの崩壊というものを私たちはバブル崩壊として経験している。不良債権化した不動産をはじめとする投資案件を金融機関は「見ないように」して問題を先送りした。それがある時点で臨界点に達して金融システムが崩壊した。山一證券が破綻した際の社長の涙の記者会見を覚えている方も多いだろう。その時には、金融機関の社員が酷い目にあっただけでなく、取引のあった事業者が「貸しはがし」などで大変な被害を被った。

もっともその時は公務員だった私はあまり直接の被害はなかった。しかし、今度は私も直接の被害を被るだけでなく、金融システムの崩壊以上の大規模な社会的な混乱になりかねない。

私たちはその被害をできるだけ少なくするための準備をしておかなくてはいけない。私は自著『自然(じねん)の哲学』(へウレーカ、2021年)の中で、私たちの生活は三つの領域、「生国(しょうごく)」=生態系、「村」=地域コミュニティ、「日本国」=国家・社会の重なりで成り立っていることを議論した。統治システムというのはこのうち最も上の乗っかっている「日本国」の話だ。そもそもこの部分は明治維新で近代国家が生まれたところで強大なものになった。

江戸時代には人々はほとんど「村」のコミュニティの中で閉じて暮らしていた。村の運営は庄屋を中心にした高度な自治によって行われており、年貢を納めさえすれば幕府や藩から介入されることはほとんどなかった。江戸時代には武士の世界では藩主が変わり体制がひっくり返ることがあったのであるが、それによって多少は影響はあっても村は基本的には変わることはなかった。そして村を成り立たせていたのは、「生国」の一員として百姓をやり、山仕事をやり、漁とりをしていた生態系に根差した生業であった。

このような歴史に学ぶならば、将来、「日本国」がシステム崩壊を起こした時に、頼りになるのは「村」であり「生国」であろう。

例えば大規模な自然災害が発生したときも田舎は相対的に強い。コメは一年分備蓄してあるし、薪があるので暖をとったり煮炊きはできる。季節が良ければ山に入れば山菜、キノコ、獣肉などが手に入る。海では魚や貝、海藻がとれる。何か困ったことがあれば助け合う。

経済が混乱した時に、とにかくコメを確保することが大事だ。幸いコメは国内で自給できている。ただ、化学肥料や農薬、資材、燃料などの調達が難しくなるかもしれず、慣行農法は生産量が落ちる可能性がある。その点、有機農業や無肥料自然農などであれば外部システムの撹乱の影響が少ない。都会に住んでいるとすれば、そのような農法の農家と直接顔のつながる関係を作って、どんな時でも確実に供給してもらえる信頼関係を今から築いて置くことが大事だろう。

また、さまざまなお困りごとをお互いに助け合うコミュニティを築いておくことが大事だ。田舎では現時点まではなんとかそのようなコミュニティが維持されてきた(高齢化によって心細くなっているが)。都市ではご近所でというのが難しければ、友人・知人の助け合いのネットワークを作っておくことが肝要だ。できればそのネットワークの端っこが田舎にまで届いていればさらに安心だ。何か困ったことが起きた時になんらか相談できる人を平時から100人作っておくのはどうだろう。

田舎に住んでいれば、そういう緊急時に都会に住んでいる家族、親戚だけでなく友人・知人も助けてあげられる用意をしておきたい。

我が家では「紺屋(こうや)ラボ」と称して、都会から若い人が来て一緒に畑仕事や薪仕事などの里山再生の作業をやってもらっている。私たちはいざとなれば彼らが避難してきても大丈夫なようにしておきたいと思っている。耕作放棄地では重機を入れて整備したりせずにそのままコメを作るやり方を開発中だし、敷地内にいくつか小屋を作っており、いざとなれば雨露を凌げる場所も確保しつつある。

旧ソ連の都市住民はソ連崩壊の混乱期、まず食べ物に困った。国内の統治システムの劣化により農業生産力が甚だしく落ちており、穀物の多くをアメリカからの輸入に頼っていたため、流通が止まれば都市に食べ物が届かなかった。彼らは郊外のダーチャで食糧を自給自足することで乗り切った。その知恵を我が国でもいかしたいものである。

 

 

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