だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

ん、消えた?

2007-07-20 22:07:15 | Weblog

 今日は病院に行って内視鏡検査をやる日である。朝から気が重い。胃のがんがどれくらいの深さまでくいこんでいるか、内視鏡の超音波診断をするのだそうだ。
 がんよりもいやなのが内視鏡である。必ずむせて死ぬほど苦しい目にあう。一方、がんは何の症状もない。どうしても必要な検査なのかと、医師にはだいぶ抵抗したのだが、どうしても必要だという。がんそのものはなんとなく情が移ってきて(?)、「がん男くん」とか名前をつけたくなってきたので、内視鏡は「がん男くん」に会いに行く手段なのだと言い聞かせながら検査を受けた。

 今日はやけに時間がかかる。内視鏡を苦しまずに受けるこつは、鼻で息をすることであるが、それが苦手だったので、今日は意識して呼吸をしていた。それにも限界がある。ひとしきり胃の中をぐりぐりやられて、もう終わりかと思ったら、これから胃に水を入れて超音波診断をするという。おいおい、これからかよ。胃に水を入れると、げっぷがでるような感じでむせる。死にそうに苦しい。そうすると水が胃から出て行ってしまい、超音波はうまくできないようだ。医師はそこそこであきらめて、終わりとなった。

 やれやれと思いながら、医師から説明を受ける。超音波はできなかったのだが、そもそもですね、と医師が話し始めた。病変が消えている、というのである。前回撮った写真を見せてもらうと、そこには確かにクレーター状にもりあがったものが見えている。5mmくらいのものだという。ここから組織を採取し顕微鏡で観察してがん細胞であることが確認されているのである。ところが今回同じ場所を撮った写真では、胃壁はなめらかで、それらしいものは見あたらない。
 医師はさかんに首をかしげている。ごく初期のがんではこういう例もあるにはあるのだが、それでもめずらしいことだという。医師の解釈は、前回組織検査をするために、一部をかきとったのだが、それで大部分をとってしまったのではないか、というものだ。ただ、目には見えないけれどもがん細胞は残っているはずなので、ようすを見て、それが成長して大きくなってきたら切り取ることにしましょう、という。
 1ヶ月後にもう一度内視鏡で見てみましょう、ということになった。8月前半に入院して手術をする予定にしていたのだが、もちろんキャンセルである。
 
 がんだと言われた時もめんくらったが、思いかけずがんが消えたと言われてめんくらった。でもそのうち、にんまりしてきた。やはり私の想像どおり、小さながんはでたり消えたりしているにちがいない。それをたまたま出ている時に手術で無理やり切り取るということをしなくてすむということで、だんだんうれしさがこみ上げてきた。がん男よ、でかした。
 医師に頼んで、前回と今回の写真をプリントアウトしてもらった。証拠というか、記念というか。宝物になりそうだ。

 がんというのも一種の生活習慣病ということで、生活を改善しなければならないのであるが、この間、多少の努力はしたが、ほとんど改善できていない。いいかげんな食生活、不規則な睡眠時間、時に長時間労働とメンタルなストレス。がんだといっても身体に症状はないので、前から入っている仕事はキャンセルできない。
 身体によいことと言えば、なんといっても奥矢作に行って、余熱のある炭窯に引きこもって「温熱療法」をして、原生林でリフレッシュしたということだ。
 一方、心の面では大きな変化があった。がんになったということがきっかけとなり、死と生についての認識は自分なりに相当深まったと思う。今まで断片的に学んでいたことが、ひとつながりに見えてきたように思う。
 また、自分ががんになったということを公言することで、たくさんの方々が心配をしてくださり、いろいろと声をかけてくださった。心配をかけて申し訳ない気もするが、やはりとてもありがたかった。

 やはり、意識ががんと密接にかかわっているのではないだろうか。がんを敵視せず、自分の一部として肯定しておつきあいするという姿勢がまずは大事なのではないだろうか。がん男くんはやはり私にあるメッセージを伝えるために、内視鏡に映ってくれたのではないだろうか。つまり、自分の身体の声を聞けと。また周囲の方、あるいは遠方の方でも、私のことを心配してくださるその意識が、私の意識を助けて、がん男くんにひっこんでもらうよう頼んでくださったのではないだろうか。

 目に見えないがん細胞は残っている、という医師の解釈には私も賛成である。というか、胃だけではなく他にもたくさんあるかもしれない。きっと私がまた身体の声に聞く耳を持たなくなったとき、それに警告を発するために、大きくなるにちがいない。定期的な検査でそれをモニターしていきたい。
 ちょっとおおげさかもしれないが、これからの人生はひろいものの生命である。次の世代が自らの意思で社会のあり方を決めていけるよう、できるだけお手伝いするのが私の役目と思う。

 この間、多くの方からたくさんのはげましのお言葉をいただき、本当にありがとうございました。当面の危険は去ったようです。これもみなさんの「遠隔治療」のおかげと思います。この経験を糧にしてこれからも精進しますので、どうぞよろしくお願いします。
 
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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
良かったですね!! (funabashi)
2007-07-21 02:09:25
がん男君が消えた。
なんとうれしいことですか。
敵視しなかったことが良かったのかな。
炭釜で温熱療法と原生林のリフレッシュが効いたのかな。それにしても不思議なことですね。
これからこれを機に、できるだけ自然治癒力をアップする生活を心がけてください。
とにかく良かったですね!!
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まだまだ成すべきこと多き (MURASE)
2007-07-21 13:50:25
癌と診断されても特に動ぜず、
(少なくとも外からはそう見えました)
癌が消えたといわれても、
さして騒がず、ただ淡々と、
その生きざまと思いが、
続く世代に受け継がれますよう、
心から祈っています。

まずは感服いたしました。
おめでとうございます!
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良かったですね (山男)
2007-07-22 10:56:20
だいず先生、良かったですね。本当に良かった。
私たちが多少でもお役に立てたことが嬉しいです。実は昨日のイベントでも「湖畔窯」を「癒し窯」として開放しました。先週窯焚きして、最高の状態にしておいたのですが、皆さん気持ちいいとおっしゃってました。私も伊勢三河湾NWの溝口さんと二人、一時間ほど引きこもりました。母なる地球のお腹に包まれている感覚でした。
体の中から、悪いものが出て行く感覚ですね。
ありがとうございました。
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^^ (水都の風)
2007-07-22 21:54:20
人生に『もし・・・』は、無いものと思っていたけれど、
あるのですね、こんなうれしい事。
本当に良かった・・・ですね。
考えてみると、科学の力で証明されていることって、
まだまだ、ごく僅かなのかも知れませんね。

高野さんの「がん男くん」には、
きっと沢山のお役目があって生まれたのだけれど、
思いの外早く、その使命を全うすることができて、
お帰りになったのでしょうか?
な~んてことを考えました。

今度のことで、
私たちも、いろんなこと(生命の尊厳や死生観など)を
考えさせていただくことができました。

ですが、ちとお忙しさの過ぎる日々、
向暑の候、どうぞご自愛を・・・

本当に
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Unknown (necosan)
2007-07-23 09:19:23
先生!良かったです!

がん男くんは、誰の体にも、いつでもいるのですね。
ひょこひょこ出たり入ったり。

無理をなさると、またがん男くんが出てきますから
無理なさらないで下さいね。バロメータとして
がん男くんを大切にされて下さい。
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THANKS! (daizusensei)
2007-07-25 08:09:56
みなさま>はげましのお言葉、本当にありがとうございます。がんは一度見つかれば一生のおつきあい、私は一生がん患者ですし、どう考えても死ぬときはがんでしょう。これからはがん男くんと仲良くしながら生きていきたいと思います。
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先生ちょっと甘いよ (美濃の小五郎)
2007-07-25 10:40:09
だいずせんせい、お久しぶりです。

 先生ががんになったらしいという噂を聞いたのですが、ブログを見づらい環境にあってようやく覗いてみたら、がんは消えちゃったんですね。

 私は、「がん」を感謝すべき存在だと思っています。人間の未来に唯一確実なことは「死」しかなくて、他は全て不確実なのに、それをスポッと忘れて、あるいは目を背けて生きているという自分の矛盾を、つきつけてくれます。しかも、初期ならば、苦痛や身体機能の低下もなく、行動の猶予もつけてです。

 ただ、先生の「どう考えても死ぬときはがんでしょう。」という言い方は甘いですよ。(^^)
 その前に、交通事故や感染症や急性病や災害や犯罪に巻き込まれて死ぬ可能性だっておおありです。

 私も?がんで死にたいとは常々思って公言してますが、そんなことを言っても無意味なわけで、やはり自覚が足りませんね。(^^)

 でも、まあ、とりあえず、先生ががんで急死するってことが無さそうなのは、うれしいです。

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THANKS! (daizusensei)
2007-07-25 18:24:58
美濃の小五郎さま>おや、ごぶさたしています。
確かに、どのように死ぬのか、願望は言えてもそうなるとは限らない、しんどい世の中ですね。
何年か前にいただいた宿題にようやくとりかかりつつあるという感じでしょうか。そちらはいかがですか。
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宿題は棚上げ中!? (美濃の小五郎)
2007-07-30 23:44:57
だいずせんせい

 美濃の小五郎です。

 私は、宿題を先送り中の不届き者です。

 社会活動の方は、ある程度動いて、成果を挙げて、「死ぬ気でやれば本当に世の中変わるような気がするな~」という心境にあります。
 でも、社会を持続させるということも、よりよく生きるための手段の一つに過ぎません。
 一番大事な「生死」の問題を脇に置いて「社会ゲーム」に興じているのが、今の心境でしょうか。だから、どこか荒んだ心地がしたりもします。

 私がだいずせんせいと会ってから、6年ほど経ちました。遅くとも4年後には、関わっている団体からは引退することになってます。今からこの4年後までに、人生の本道(生死と向き合って生きる)に近づきたいと思ってます。
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