だいずせんせいの持続性学入門

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森の健康診断

2006-06-06 00:26:13 | Weblog


 先週末は一年生向けのゼミである地球環境塾の学生たちとともに、矢作川上流部の「森の健康診断」に参加した。矢作川水系森林ボランティア協議会(矢森協)を中心に、研究者や行政が協働して行われる人工林の調査である。日本の人工林は40~50年前に全国いっせいに行われた拡大造林(雑木林を伐採してスギ、ヒノキなどの針葉樹を植栽する)によって一挙に拡大したものの、必要な間伐が遅れており、荒廃しつつあると言われる。そのために毎年国からは巨額の補助金が支出されて間伐が行われているものの、どの山がどのような状態でどこからどう手入れをしていけばよいのか、という基本的な情報を実は誰も把握していない、という現実がある。
 山主さんは世代交代がすすみ、「おじいさんが植林したが、今はどこが境界かもよくわからない」という山が多い。山の戸籍謄本ともいうべき地籍簿や森林簿といった行政が持っている基本台帳は、調査がおいつかないためにその内容が現実とくいちがっていることがしばしばである。研究者はスポット的に詳しく調査をするのみで、森林の全体像を把握していない。それでは、というわけで日本の山を荒廃から救いたいと願う市民自ら汗を流して調べよう、というのが「森の健康診断」である(詳しくは、蔵治光一郎・洲崎燈子・丹羽健司編『森の健康診断-100円グッズで始める市民と研究者の愉快な森林調査』築地書館2006年参照)。

 私たちは矢作川最上流部、長野県根羽村(ねばむら)の調査に参加した。村の宿泊施設前に集まった市民はざっと70~80人か。豊田市、名古屋市、岡崎市などから来ている人が多い。開会式では、「とにかく楽しむことが第一です」と主催者が強調した。山に入ってみることそれ自体が都市の住民にはなかなか経験できないことで、私も本格的に山に入るのは久しぶりで楽しみだ(若干体力に不安があるが・・・)。
 村は村長さん以下、関係課や森林組合の職員総出で協力してくださっている。矢森協の森林ボランティアのみなさんがチームリーダー、根羽村のみなさんがコースガイドで、参加者が5~6人のグループに分かれて、地図上に碁盤の目を切った交点に出向いて森林のようすを調べる。

 私たちのグループは二カ所を調査した。最初のポイントでは山主さんのおうちの庭に車を停めさせてもらって準備。チームリーダー、コースガイドさんが靴からスパイク付地下足袋に履き替えるのをみて、一抹の不安が。登りはじめると、すぐに急斜面の直登坂に近い状況になった。かなりきつい。完全に息がきれたころ、ようやく尾根にたどり着いた。やれやれだ。そこが調査ポイントである。
 傾斜は30~40度ある。ほとんどがスギ、ヒノキの人工林だ。身体ひとつであがってくるのもこれだけたいへんなのに、かつて植栽した時には人々は苗木を山のように背負ってこの急斜面を登り、一本一本手で植えていったのだ。そのころの情景を想像してみた。今は一面のうっそうとした森林であるが、40年前には、そのほとんどが苗木を植えたばかりで、見渡す限りハゲ山のような風景だったはずだ。私は、日本全国ですすめられ、その森林の半分を人工林にした拡大造林は、中国の万里の長城にも匹敵する人類的な大事業だったと思う。万里の長城と同様、宇宙からも立派に見えるのだ。また、かなり無理な場所に植栽した苗木も立派に活着している点は、先人の努力とともに、日本の自然の豊かさのなせるわざである。

 調査ではスギやヒノキの密度や成長ぐあい(樹高や直径)と、地面の下草や土壌の状態を調べる。間伐が遅れていると、木の密度が高く、ひょろひょろとした幹になり、また地面に光が届かないため下草が生えず、土壌が剥き出しになる。ひょろひょろの木では強風や大雪で倒れてしまう。大雨がくると土壌が浸食されたり、ひどいときには崖崩れが起きる。
 根羽村の森林はぱっとみたところ、かなりよい状態に見えた。調査ポイントでは、南側斜面のスギ林はそれなりに間伐もされて、下草も豊富でよい状態だった。土壌は黒々としてにおいをかぐといい香りがした。でも北側のヒノキ林はうっそうとして下草がまったく生えていない茶色の林内だ。尾根の両側で状態がまったく違っていた。

 調査を終え、一息ついていると、尾根の少し上の方に小さな祠があるのに気が付いた。この急斜面の上に建っているにしては立派な社である。これを作る時にはどんなに苦労があっただろうと思う。しかし今はうち捨てられて荒廃していた。話を聞くと、今はご神体を山の下におろしてそちらを祀っているとのこと。かつては山の下からも小さな社が見えたことだろう。それがうっそうとスギ林が茂ると隠れて見えなくなってしまっている。社は薄暗い林内にひっそりとたたずんでいた。私には、今もカミサマがそこで静かに山を見守っているような気がした。

 もう一カ所は矢作川の最上流部に近い山だった。驚くことに、はるか下流、安城市にある明治用水の水源造林地だった。山の入り口にはかなり立派な明治用水の造林事務所の建物がある。ここも急な斜面を登り、立っているのもままならないような急斜面にヒノキが植栽されている。調査結果は、下草はやや少なく木の精気もいまひとつだったものの、間伐が行き届いた十分に手がかけられた林だった。明治用水の事業として、費用をかけて造林が行われていることを現場で知ったことは収穫だった。昔から下流と上流はこのようにしてつながっていたのだ。

 もう一つ感心というより感激したのは、山の各所に「地籍境界」と彫り込まれた小さな杭が点々と打たれていたことだ。根羽村では地籍調査を完璧に行ったそうだ。山主さん立ち会いのもとで、境界を確定し、杭を打ち、図面におとす。これに20年という歳月と多くの費用を投入したという。他所では聞いたことがない、たいへんな努力である。正確な地籍図があってはじめて、総合的な森林の整備計画がたてられる。根羽村の人々は地域づくりの戦略というものがわかっているのだ。ここでは今回の「健康診断」のデータが十分に生かされるだろう。というか、私自身が研究者として、村のみなさんとともにデータを活かす作業をしてみたいと思った。

 調査が終わり再会したゼミの学生達は、疲れたようすだったけれども、それぞれ充実した一日を過ごせたようだ。話を聞くと、森林の見方がよくわかったということと、いろんな人と話ができてよかった、と口々に言っていた。ちょっとだけ大人になったような顔つきをしている。このような教育効果はとても私一人では実現できない。森林ボランティアのみなさんの充実した企画と地元のみなさんの協力、参加した都市住民のみなさんの積極的な姿、そして山のもつ自然の力が彼らを成長させてくれたと思う。山のカミサマも都市に住むワカモノがふうふういいながら登ってくるのを見て、ほほえましく思ったにちがいない。
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