イスラエルという国について、私は(たぶん多くの日本人は)、ナチスドイツによるホロコーストから逃れたか生き延びたユダヤ人がヨーロッパからやってきて作った国である、という素朴な認識でいた。
ユダヤ人というと私たちは真っ先に『アンネの日記』を思い浮かべる。ホロコーストから逃れようとして最後は犠牲になってしまった少女の物語だ。『夜と霧』の著者ヴィクトール・フランクルも有名だ。彼はアウシュビッツ収容所の生き残りだ。死が普通に隣にある極限状況の体験を通して人間の尊厳を語った本書からは私も大きな影響を受けた。また「命のビザ」の杉原千畝を思い浮かべる。ナチスの弾圧を避けてリトアニアから逃亡しようとした多くのユダヤ人を、日本本国の指示に反してビザ発給を続けて助けた外交官の姿は人道のなんたるかを伝えてくれる。
イスラエルに関する自分の認識が間違っているのではないかと思うようになったのは、私の研究室にイスラエルからの留学生が来て、彼女と話していた時のことだ。彼女はフランクルのことも千畝のことも知らなかった。イスラエルでは両者はまったく無名だったのだ。
今回のガザ戦争で、イスラエルは民間人の犠牲を厭わない執拗な攻撃を続けている。これも理解できなかった。人々を壁の中に閉じ込め、逃げられないようにして空爆する。戦争犯罪であり、人道の対局にある行為だ。かつてナチスから受けた仕打ちと同じことをパレスチナ人に対して行っているように見える。なぜ?
離散し差別され続けた民であったユダヤ人が自分達の本拠地としての国を持ちたいという気持ちは理解できる。しかし、それが先住の人がいる地であれば、その人たちと仲良くやっていこうとするのが普通ではないか。あくまでパレスチナの地からアラブ人を力づくで追い出そうとするというのはどういうことなのか。
イスラエルとはどういう国なのか。訳が分からなくなってはじめていろいろと勉強してみた。その中で知って驚いたのが、イスラエル建国当時、ホロコーストを逃れたり、まして収容所で生き残った人でイスラエルに来た人たちは、むしろさげすまれていたという事実だ。戦わずして惨めな境遇に陥ったのは自業自得だと言わんばかりの周囲の態度である。また、千畝のビザでリトアニアから出国した人が最終的にどこに行ったのか。多くがイスラエルに集まったものと思っていたらそうではなかった。ほとんどの人はアメリカを中心に世界各地に散らばったが、イスラエルにたどり着いた人はごくごく一部だった。つまりホロコーストがあったからイスラエルが建国されたのではないということだ。
では誰がイスラエルを作ったのか。それがシオニストである。シオニスト運動とはパレスチナにユダヤ人の国を作るという19世紀末からイスラエル建国に至るヨーロッパを中心にした思想運動にして政治運動だ。私は漠然とユダヤ人ならたいていはシオニストなのではないかと思っていたら、そうではなかった。実はユダヤ人には二種類があった。シオニストのユダヤ人とそうではないユダヤ人だ。
黎明期のシオニスト運動の中心は帝政ロシアだった。ロシアには当時の世界のユダヤ人の半分の500万人が暮らしていた。ロシアでもユダヤ人は陽に陰に差別されていた。陽の差別として居住地が定められおり、それは今のリトアニア、ポーランド、ウクライナ、モルドヴァだった。その地で多くのユダヤ人は零細な商工業者として比較的平穏な暮らしを続けていた。
それが行き詰まっていくのは、経済的にはロシアに浸透し始めた産業革命だ。大資本の工場ができて、ユダヤ人が携わっていた手工業は没落した。工場の労働者になろうとしても、ユダヤ教の安息日である土曜日に工場は稼働している。つまり敬虔なユダヤ教徒はそのような工場で働くことはできない。
また政治的にはロシア革命の嵐に翻弄される。帝政ロシアが倒れた後、ロシアではブルジョア勢力(白軍)と共産党(ボルシェビキ・赤軍)の内戦が始まる。シオニストたちは、ロシアが民主化されて民族自決権などが高まればユダヤ人への差別も無くなるだろうという希望を抱いて政治的に動き始めた。トロツキーのように共産党の指導者となった者もいるが、共産主義を嫌ってブルジョア勢力につくものが多かった。ところが白軍がウクライナでユダヤ人に対する略奪、レイプ、虐殺を行った。この受難はポグロムと呼ばれる。最初はユダヤ人商店の略奪から始まり、最後には道を歩いていてユダヤ人かと聞かれてそうだと答えると即座に射殺されるような悲惨なことが起こった。ロシアの内戦は赤軍が勝利し、ソ連が確立すると共産主義以外の思想信条は弾圧されたためシオニズムは禁止され、宗教も禁止されたため、ロシアにユダヤ人の居場所はなくなってしまった。
ウクライナからポーランドに逃げたユダヤ人たちは、そこでポーランド民族主義の熱気に触れる。それはユダヤ人への敵対心にもなり、ポーランドにもユダヤ人の居場所はなくなる。そこでシオニストたちはもはや武力によって自分達の居場所を作り出すほかはないという考えに傾く。それが修正シオニズムである。
旧ロシア帝国領内を後にしたシオニストたちが続々とパレスチナに移り住んだ。ナチスによるホロコーストが始まる前からだ。彼らは先住のアラブ人たちと仲良くやってくことは頭になかった。彼らは武力によって自分達の居場所を作り出すためにパレスチナにやってきた。当然アラブ人たちとの軋轢が増していった。小競り合いの末に大きな暴動に発展し、流血の事態となった。そこで本格的なユダヤ人武装勢力が組織される。それが第2次大戦をへて、戦後のイスラエル建国宣言と独立戦争(第1次中東戦争)に繋がっていく。ユダヤ人武装勢力によってパレスチナ人の村の虐殺が起こった。パレスチナ人たちは恐怖に駆られて村々から脱出した。ナクバ、パレスチナ難民の発生だ。イスラエルは戦争に勝利し独立を果たし、パレスチナ難民の長い苦難の歴史が始まった。
この歴史の流れにホロコーストはほとんど関係していない。ポグロムがイスラエルを生んだとは言えるかもしれないが、ホロコーストがイスラエルを生んだわけではない。
そして今のイスラエルがある。イスラエルはヨルダン川西岸とガザのパレスチナ自治区を高い壁で囲って社会的・経済的に封鎖し、そこで未来に希望を見出せないパレスチナの人々の中から大規模な武装勢力が生まれた。それとの戦いが今ガザで行われている。ガザだけでなく西岸地区でもイスラエルによる軍事行動が行われ、パレスチナ人の犠牲者が増え続けている。
イスラエルとパレスチナは、一旦はオスロ合意で、パレスチナ国を独立させることで共存することに合意した。その約束が反故になってからは、イスラエルは武力によってアラブ人を追い出そうとしているとしか思えない。それは歴史的に見れば決して不思議なことではなく、旧ロシア帝国内で育てられたシオニジムそのものというわけだ。
SNSに流れてきたイスラエル軍の宣伝動画を見た。最初はホロコーストの暗い歴史の描写から始まる。この犠牲を絶対に繰り返さない。そのためには強くなければならない。武力でユダヤ人の居場所を守り続けること。それがイスラエルの存在意義であることが強調される。若い夫婦に男の子が生まれる。夫婦は喜び、男の子の成長の過程が楽しげに描かれる。成人した子は徴兵によってイスラエル軍に入隊。その親子ともに誇らしげな様子が描写される。そして戦闘。男の子は戦死する。悲しむ夫婦の姿がある。しかしそれがイスラエル人の務めであり誇りであることが訴えられて動画は終わる。これは戦前の日本で「お国のために死ぬことが男子の使命」とされた感覚とかなり近いと思われる。イスラエルでは女性も徴兵されることを考えると、私たちには想像を絶する世界だ。
ただ、注意すべきは建国後のイスラエルでは多様な考え方が出てきているということだ。イスラエルを建国した初代シオニストはもういなくなり、建国後にイスラエルに生まれた人たちは、生まれながらにしてシオニストというわけではない。当然パレスチナと共存しようという意見の人たちもたくさんいる。ただ政治的にはいまだにシオニズムが主流となっていることには変わりない。一刻も早くイスラエルの政治状況が変わるのを祈りたい。
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