![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/b6/891188d98104c74992be0556a8b2acd8.jpg)
阿伎留神社
鎮座地 五日市1081
祭神 大物主神 (おおものぬしのかみ)
味耜高彦根神 (あじすきたかひこねのかみ)
建夷鳥神 (たけひなとりかみ)
天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
旧格式 郷社
例大祭 9月28~30日
解説
「延喜式神名帳」に記載のある畔切神社に相当するといわれる古社。
「三代実録」によると、元慶3年(879)従四位下の位が授けられた。
また、藤原秀郷が平将門との戦の戦勝を祈願したという。
江戸時代には徳川家康以来代々の将軍家より、朱印地10石を賜っていた。
かつては、松原大明神あるいは春日大明神などとも言われた。
天保元年(1800)の五日市大火で社殿が消失し、
幕府より再建の許可は下りていたが、
そのまま明治維新をむかえてしまい、ようやく明治21年(1889)に再建された。
伝来の文化財として幕末の画家、狩野久信筆「年中十二祭神事絵巻」や
建武5年 (1338)の銘のある「懸仏台盤」
応永24年(1417)鎌倉公方、足利持氏が秋川流域の武士たちに下した恩賞状を含む6通の文書類「武州南一揆文書」がある。
神職は阿留多伎氏が務めるが、武蔵国造の末裔という。
阿伎留神社の狛犬
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/d5/13c248d13b7f67c66bcd3692ebb6a82c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/29/b0d409d217cb2b8db64cd6db51dc1c08.jpg)
・奉納年 大正3年(1914)
・石工 八王寺町 麻生太助
・右 阿形 玉取り
・左 吽形 子取り
鎮座地 五日市1081
祭神 大物主神 (おおものぬしのかみ)
味耜高彦根神 (あじすきたかひこねのかみ)
建夷鳥神 (たけひなとりかみ)
天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
旧格式 郷社
例大祭 9月28~30日
解説
「延喜式神名帳」に記載のある畔切神社に相当するといわれる古社。
「三代実録」によると、元慶3年(879)従四位下の位が授けられた。
また、藤原秀郷が平将門との戦の戦勝を祈願したという。
江戸時代には徳川家康以来代々の将軍家より、朱印地10石を賜っていた。
かつては、松原大明神あるいは春日大明神などとも言われた。
天保元年(1800)の五日市大火で社殿が消失し、
幕府より再建の許可は下りていたが、
そのまま明治維新をむかえてしまい、ようやく明治21年(1889)に再建された。
伝来の文化財として幕末の画家、狩野久信筆「年中十二祭神事絵巻」や
建武5年 (1338)の銘のある「懸仏台盤」
応永24年(1417)鎌倉公方、足利持氏が秋川流域の武士たちに下した恩賞状を含む6通の文書類「武州南一揆文書」がある。
神職は阿留多伎氏が務めるが、武蔵国造の末裔という。
阿伎留神社の狛犬
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・奉納年 大正3年(1914)
・石工 八王寺町 麻生太助
・右 阿形 玉取り
・左 吽形 子取り