希少で高価な物が多いカミさんのコレクションとは異なり、私のコレクションははっきりいって “ガラクタ” ばかりです。でも世の中は広いですから、もしかしたら私のガラクタに興味を持って下さる方がいるかもしれません。と、いうわけで、今後は少しづつ私のガラクタ・コレクションも披露させていただくことにしましょう。
まず第1回目はこれ。A.H.フォックスのプレイ・ガンです。
アメリカ製の銃は大量生産の安物ばかりといった印象がありますが、戦前にはL.C.スミスやパーカー、A.H.フォックスといった良質な猟銃を生産しているメーカーも存在していました。中でもフォックスは、ルーズベルト大統領が愛用したことでも知られていました。そしてこのプレイ・ガンは、そのフォックスが多角経営の一環として生産していた玩具の銃でした。
材質はプレス成型した薄い鉄板と木の板。イメージ的にはブリキの玩具に近い物です。でも、そこはさすがに実銃メーカーの製品だけあって、中々良く銃の雰囲気を出していますよ。初期モデルでは、レシーバーもブルー・フィニッシュになっています。
後期モデルになると、このように 「フォックス・マニュファクチャリング・カンパニー」 という別会社の社名になっていますが……
……前期モデルでは、このように 「A.H.フォックス・ガン・カンパニー」 という名称がそのまま使用されていました。
これがカートリッジ。薬莢は鉄製で、中にスプリングが組み込まれています。
棒でスプリングを押し縮めるとロックされるので、先端にコルクの玉を押し込みます。
それをこのように装填します。引き金を引くと、薬莢の中央にあるボタンが押されてロックが解除され、コルクの玉が飛び出します。つまり、銃本体には激発機構のようなものは一切組み込まれていません。ブリキの玩具?にしては無駄?に凝ってますね。でも射程距離はせいぜい5m位です。
これは1935年の “シアーズ・ローバック” の通販カタログ掲載されたプレイ・ガン。普通のコルク銃の2倍という高価な玩具でした。
このプレイ・ガン、もちろんこのA.H.フォックスの専門書にも掲載されています。実際に生産されていたのは1927年から1930年代の中頃までのようです。
A.H.フォックスでは、このプレイ・ガン以外にも空冷エンジンの乗用車や釣りのリール等も生産していたそうですが、いずれも商業的な成功を収めることはできませんでした。戦後、アメリカの高級銃メーカーは、他の大手銃器メーカーに吸収されたり、倒産して消滅してしまったため、今でも生き残っているところは一箇所もありません。
まず第1回目はこれ。A.H.フォックスのプレイ・ガンです。
アメリカ製の銃は大量生産の安物ばかりといった印象がありますが、戦前にはL.C.スミスやパーカー、A.H.フォックスといった良質な猟銃を生産しているメーカーも存在していました。中でもフォックスは、ルーズベルト大統領が愛用したことでも知られていました。そしてこのプレイ・ガンは、そのフォックスが多角経営の一環として生産していた玩具の銃でした。
材質はプレス成型した薄い鉄板と木の板。イメージ的にはブリキの玩具に近い物です。でも、そこはさすがに実銃メーカーの製品だけあって、中々良く銃の雰囲気を出していますよ。初期モデルでは、レシーバーもブルー・フィニッシュになっています。
後期モデルになると、このように 「フォックス・マニュファクチャリング・カンパニー」 という別会社の社名になっていますが……
……前期モデルでは、このように 「A.H.フォックス・ガン・カンパニー」 という名称がそのまま使用されていました。
これがカートリッジ。薬莢は鉄製で、中にスプリングが組み込まれています。
棒でスプリングを押し縮めるとロックされるので、先端にコルクの玉を押し込みます。
それをこのように装填します。引き金を引くと、薬莢の中央にあるボタンが押されてロックが解除され、コルクの玉が飛び出します。つまり、銃本体には激発機構のようなものは一切組み込まれていません。ブリキの玩具?にしては無駄?に凝ってますね。でも射程距離はせいぜい5m位です。
これは1935年の “シアーズ・ローバック” の通販カタログ掲載されたプレイ・ガン。普通のコルク銃の2倍という高価な玩具でした。
このプレイ・ガン、もちろんこのA.H.フォックスの専門書にも掲載されています。実際に生産されていたのは1927年から1930年代の中頃までのようです。
A.H.フォックスでは、このプレイ・ガン以外にも空冷エンジンの乗用車や釣りのリール等も生産していたそうですが、いずれも商業的な成功を収めることはできませんでした。戦後、アメリカの高級銃メーカーは、他の大手銃器メーカーに吸収されたり、倒産して消滅してしまったため、今でも生き残っているところは一箇所もありません。