http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/2005/09/post_214.html#more
お話にならない。何のためにマニフェストが存在するのか。プログラマにとってマニフェストは「仕様書」である。仕様書からコードをインプリメントすることは、すなわち予算策定・執行や新規施策の実施など国民生活に直結する行政を政治と選挙民がコントロールすることとニアリー・イコールだ。
その大事な仕様書の出来不出来を果たしてきちんと判断しているのか? きちんと読んだ上で判断できているか。優れた仕様書はインプリメンタからのあいまいさに関する質問が出ないのだが、あれらのマニフェストはそういうあいまいさをどの程度排除できているか。
そういう選挙民としてなされるべきちゃんとした作業もしないで、大して変わらないと判断していないか。きちんと読んだ上で大差なしと結論を出していたら、それは大きな誤りであるとしか思えない。そんな本質を読み取れない人間ははっきり言ってボンクラである。
ベストなマニフェストなどこの世のどこにも未来永劫存在し得ないものである。我々が選べるのはベターな政策とその政策を縛る数値・期限目標である。30点と40点のマニフェストから選ぶのは40点のものであるのだ。
数値目標もない、どころか政策を縛るから数値目標などもってのほか、などというタワゴトの羅列は4年前に小泉が掲げ、結局何一つ実行されなかった公約と同じ。
プログラマにもいろいろいるが、少なくとも自分はこういうボンクラプログラマにだけはなりたくない。
お話にならない。何のためにマニフェストが存在するのか。プログラマにとってマニフェストは「仕様書」である。仕様書からコードをインプリメントすることは、すなわち予算策定・執行や新規施策の実施など国民生活に直結する行政を政治と選挙民がコントロールすることとニアリー・イコールだ。
その大事な仕様書の出来不出来を果たしてきちんと判断しているのか? きちんと読んだ上で判断できているか。優れた仕様書はインプリメンタからのあいまいさに関する質問が出ないのだが、あれらのマニフェストはそういうあいまいさをどの程度排除できているか。
そういう選挙民としてなされるべきちゃんとした作業もしないで、大して変わらないと判断していないか。きちんと読んだ上で大差なしと結論を出していたら、それは大きな誤りであるとしか思えない。そんな本質を読み取れない人間ははっきり言ってボンクラである。
ベストなマニフェストなどこの世のどこにも未来永劫存在し得ないものである。我々が選べるのはベターな政策とその政策を縛る数値・期限目標である。30点と40点のマニフェストから選ぶのは40点のものであるのだ。
数値目標もない、どころか政策を縛るから数値目標などもってのほか、などというタワゴトの羅列は4年前に小泉が掲げ、結局何一つ実行されなかった公約と同じ。
プログラマにもいろいろいるが、少なくとも自分はこういうボンクラプログラマにだけはなりたくない。