conifa-log

民泊を始めることになりました。
くわしくは下記をご覧ください
https://conifa-log.com

タイ旅行 14

2014-01-22 22:13:20 | タイ
今回の旅行もいよいよ最後の観光場所となった。
ナイトマーケットというので、どこかと思ったら、
旅行前、ここだけは行かないだろうな、と思った
アジアティーク ザ リバーフロントだった。



おしゃれだが、ローカル色が薄いような気がする。
しっかり、足つぼマッサージは受けてきた。



アジアティーク ザ リバーフロントで、同伴者が
トイレに忘れ物をしてあせったが、無事に出てきて安心した。

スワンナプーム空港にもどり札幌へ



弾丸旅行だったが、中身の濃い旅行だった。

さーて、次はどこへ行けるかと、言いながら帰宅しました。



タイ旅行 13

2014-01-21 21:53:31 | タイ
アユタヤの帰り道、ガソリンを入れるついでにセブンイレブンで飲み物を買う。



タイでは氷も気をつけろ、と言われていたが、さすがに
セブンイレブンは大丈夫だろう。

ボタンを押しで自分で注ぐ方式のもので、字がわからないので
適当にボタンを押して、レジで支払った。

なにか甘ったるいココアのような飲み物だった。



夕食は「savoy」というレストランで、プーポパンカリー。
カニ味噌と卵のカレー風味の炒め物。なかなかおいしかった。

ガイドさんはここのトムヤムクンはおいしい、と言っていたが、
トムヤムクンてこういう味なのか、という程度だった。

(私はどうも魚醤に慣れず、心底うまいと感じられないのだった。
慣れればもっとおいしく感じられるのかもしれない。
自分でも驚きなのはパクチーを全然、苦にすることがなかったことだ)






正月

2014-01-18 18:10:09 | 日記
タイ旅行の記録に少し疲れたので、年末年始のことを今頃、載せます。

年末に、日高のスキー場に行ってきました。

ライセンスを持ってると、シーズン券が6000円。ということで、
しかも、それでシーズンネットにも使用できるということで、
購入させていただくことにした。

せっかくなので、日高高原温泉にも泊めさせてもらった。


質素だが、のんびり、ゆったり
ロッジを兼ねる、少し寒い食堂で夕食。
当然、日本酒。




いつもの朝食バイキング。



残念ながら全コース滑走可となるのは、
1月1日かららしい。
来年は正月以降にしよう。



今年の正月は自宅でこれまた、ゆっくりと。



おせちは今年はホテルのものにしました。
ますますの味でした。





タイ旅行 12

2014-01-16 23:34:50 | タイ
祠堂(お祈りをする場所)のほうはというと、
http://avantdoublier.blogspot.jp/2008/12/blog-post.htmlさんの
記事によると 原型はこのようだったらしい。



それが、インド北方では屋根部分(シカラ)が階段状と発展し、
南方では砲弾状あるいはトウモロコシ状となったらしい。

改めてワット・マハタートの祠堂を見てみよう
(お宝鑑定団風に)
典型的な南方型祠堂だ。



祠堂にくぼみがあるが、仏像を納める場所だそうだ。
仏龕(ぶつがん)というらしい。

祠堂の中に宝石など、大切なものが入っていたとか、
それを、保管してある場所があるとか、ググッてみると書いてあるが、
よくわからない。
とにかく、祠堂の中には入れなかったように思う。

なんとなく、仏塔と祠堂があるのだなくらいは押さえてはみたが、
一筋縄でいかないのが、タイを含む東南アジアだ。

仏教寺院だけでなく、ヒンズー教関係の建物もあり、
次のワット・プラ・シー・サンペットのように、
仏塔の形をしているのに、中に収められているのは、
3人の王だという。



とはいえ、仏塔や祠堂の変遷を少しでも、理解しようと
したことでよしとしよう。

そういう目で、こんどはワット・チャイワッタナーラームを見てみよう
さっきの説でいくと、中央が祠堂で、周りが仏塔ということになるのだが、
それでいいのだろうか、・・・よくわからない。

よくわからないが、美しい。
ワット・チャイワッタナーラームは最もビルマ軍の被害が少ないという。
原型が一番残っているらしい。

壊されていなければ、こんなに幻想的な姿をしているのだ。




タイ旅行 11

2014-01-14 23:10:52 | タイ
投稿がすっかり遅れてしまった。
正月やら、スキーに行ったりしていたということもあるのだが、
アユタヤのことを載せるにあたって、ずっと気になっていたことがあって、
躊躇してしまった。

寺院をいっぱい見たのだが、あまり説明できないのだ。
後から、ガイドブックを見たのだが、用語が難しかったり、
ガイドブック自体も整理されていないような気がしていた。

なんといってもわからなかったのは、あの形である。

なぜ、あのような形になったのか、不思議でしょうがなかった。
少しは、わかろうとしないとなぁ、と思いネットや本で調べてみた。
図書館で「南の国の古寺巡礼」(千原大五郎著)も借りてみた。

すると、原型はインドにあることがわかった。
当たり前だが仏教の発祥地はインドなのだ。

そして、今まで、アジアの歴史は中国の歴史が占めている
思っていたことが、実はそうではない、と思えるようになってきた。

原始から、人間の根っこに触れるものである宗教が、インドに
生まれ、アジアの隅々にまで行き渡っている。

・・・・というように、どんどん本題からはずれ、壮大な世界に
行ってしまい、今日に至っている。

それでは、自分の頭の整理のために記録する。
(自分勝手なところがあると思う。間違っていると思われる場合は
ご指摘願いたい。)

まず、寺院といっても建物としては、大きく「仏塔」と「祈堂」というのがある。

仏塔というのは基本的には「ブッタの骨を納めるところ」だ。

タイではチェディ、インドではストゥーパ、中国では卒塔婆、英語ではパゴタ
原型はつぎのようなものであったらしい。
半球の上に、三重の傘、下にはテラスがあり、テラスと
地上には手すりが巡っている。

三重の傘部分が発達し、五重塔やさらにその上の、相輪(そうりん)と
なったらしい。


http://enlight.lib.ntu.edu.tw/FULLTEXT/JR-MISC/misc168127.pdfより

これが、インド北部では基壇(半球を載せてる台)が四角く発達し、インド南部では
傘が先の細い円錐形に発展したそうだ。それが東南アジアに渡って
さらに変化して行ったそうだ。

そう思って、ワット・ヤイ・チャイモンコンをみる、となんとなく
理解できそうな気がする。