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韓国旅行記 5 ハンガンクルーズ 石焼ビビンバ

2010-09-30 23:45:48 | 韓国
2日目の午前中にもう一箇所行ったのは、ハンガン(漢江)のクルージング。
川幅たぶん1kmはあるのではないだろうか、ハンガンを遊覧船でゆったり
上流側、下流側に行ったり来たり。

たぶん夜来るともっといいのだろうな、と思いつつビル群を眺める。
私はここで、はじめって知ったのだが、ソウルでは有名な63タワー
美しい金色のグラスタワー。(まるで現代の金閣寺や~・・彦丸風)



河畔から見る、ソウルのビル群に圧倒される。
韓国の都市部はアパート(日本ではマンション)住まいが多い。
地震が少ないので、高層なのだそうだ。



アパートの中は、ガス給湯器で暖めた温水による床暖房(オンドル)。
「冬でも家の中では、Tシャツですごせる」のだそうだ。



ソウルの人口は約1000万人、東京が約850万人 面積はほぼ同じ621km²。

韓国の国会議事堂。テレビでも見たことない。なぜだろう。



船を降りて、南大門で、1万Wを渡されて好きなところで昼食、
ということなのだが、あいにくの雨、それも集中豪雨のようなどしゃぶり。

そのせいか、それともその食堂群がたいしたことないのか、到着して以来の
不満足な食事となった。
頼んだ餃子がなかなか出てこなかったのも、一因だ。





韓国旅行記 4 おこげスープ 水原華城

2010-09-29 22:50:17 | 韓国
前日は朝5時から動いたのにもかかわらず、しっかり宴会。
「HITE」ビールはけっこううまい。とんがりコーンは日本と同じ。
えびせんはスパイシーな味で、焼酎は度が低い。



おかげで、2日目の朝の「ヌルンジタン」(おこげスープ)はありがたい。(韓一会館)
食事のたびについてくる「キムチ、カクテキ、ナムル」に今回は塩からキムチが加わった。





今日向かったのはスウォンファソン(水原華城)という世界遺産です。
ここを造ったのは、イ・サン(正祖)という第22代の国王だそうです。
ちょうどBSで、やっているのだそうですが、私は見たことがありません。

イサンにはヨンジョ(英祖)という祖父と、チャンホンセジャ
(荘献世子)という父親がいましたが、祖父と父の関係が悪化してしまい、
最後には、父親は米びつに入れられ、餓死させられてしまいます。



なんだかんだあってイサンは次の王となるのですが、
即位してから、父親をしのび、スウォンファソン墓を移し、
さらには遷都も考えていたようです。



東西南北には青竜・朱雀・白虎・玄武を表す旗が立っています。
(おお、大王四神記だ。)
「韓国の城とは天守閣ではなく、城壁のことをいう。
日本では殿様を守るためのものだが、韓国では民をまもるためにある」
とはガイドさんの言。


韓国旅行記 3 Nソウルタワー

2010-09-28 22:42:07 | 韓国
ツアーのオプションでNソウルタワーと東大門市場の散策があったのだが、
少しは、自分たちでだけで、動いてみたいということで、
自力でNソウルタワーに向かうことにした。

模範タクシーという安心のできるタクシーが韓国にはあることは、
知っていたが、車の洪水の中で、選びようもなく
なんでもいいかという気持ちになり、適当に手を上げた。

「Nソウルタワー、Nソウルタワー OK?」と地図を指差しながら、
聞くと、運転手はナビに入力しだしたので、了解と判断した。
乗り込んでから、「ハウ マッチ」と言ってみたが、
なにか韓国語でまくし立てている。
英単語を並べてみるが、韓国語でしきりになにか言っている。
どうやら行ってみないとわからない、というようなことを言っている
ようだということがわかった。

Nソウルタワーの近くまできたが、通行止めで車が止まっている。
運転手は急いで車を降りて、料金所の人に何か聞いている。
どうやら、頂上に行くには通行料を払わなければいけないらしい。
どうも2000Wと言っている。我々は「OK。OK」と言ったのだが、
運転手は再度、車を走らせた。

助手席に座った私は、恐ろしい左折(韓国は左ハンドル)と
かなりのスピードでの、平気な割り込み、割り込まれ、
しかも、バスが真ん中を走っているという、経験したことのない
交通事情に多少、びびっていた。

山の周りを四分の1位、回ったのだろうか再度、料金所みたいなところに
たどりつき、今度も通行料が必要だという。
他の車も同じように通行している。我々はまた「OK。OK」と言うと
今度は上り始め、やっと、頂上までたどりついた。
観光客が多いための臨時の措置なのだろうか、とも思った。

結局、一生懸命たどりつこうとしてくれたのか、だまされたのかよくわからない。
1万Wくらいで行くところを2万2千Wはらった。
8百円が千7百円になった、というところか。
渋滞だったことも考えると、こんなもんだろうか。
相方とその友人たちは「カムサハムニダ」、ニコニコと運転手に手を振った。

多少???だったが、言葉の通じないタクシーで、なんとか
たどりつけた満足感が、それを上回った。

ところで、Nソウルタワーはソウルで一番高いところであり、
夜景がきれいなため、デートスポットとして、有名だとか。
「愛の南京錠」があったようなのだが、見逃した。



トイレからの夜景もいいそうなので、ちょっと寄ってみた。
男用は、夜景に向かってする、のだそうだ。



ケーブルカーや、傾斜型専用エレベーターもあり、
デート気分を盛り上げている。
そういえば、タワー自体は11時で終わりのはずなのに、
まだまだ、上っていくカップルがあった。





韓国旅行記 2 自由の橋 めがね 宮中海鮮鍋 

2010-09-26 23:44:31 | 韓国
ソウルから自由の橋・統一展望台までは約1時間30分
私自身は前にも書きましたが、ソウルがこれほどまで北朝鮮に近いとは認識していま
せんでした。ましてや自由の橋も統一展望台も知りませんでした。

自由の橋までの高速道路脇には有刺鉄線がまかれており、監視塔が何キロおきかに
置かれ、銃を持った軍人の姿が見える。

国境のある国に来たんだなと改めて思う。

ガイドさんの説明では
日本支配からの解放、独立過程において、当初「北」の進行がはやく、ソウルを含めた、
かなり南の地域まで「北」が支配的になった。
その後「南」がアメリカ軍の援助を受け、38度を超え進行し、一時は朝鮮半島全土「南」
で統一しそうになった。しかし、「北」がさらなる援助を中国、ソ連から受け、
境界線の攻防となった。その攻防の中では北から、何本もの地下道が作られたれ、
中にはソウルのすぐ近くというものまであったそうだ。

休戦協定後、解放された捕虜が渡ってきた橋を「自由の橋」というのだそうだ。
この橋は、非武装地帯(DMZ)に沿って流れるイムジンガン(臨津江)にかかっています。

といっても、木製の橋と鉄道橋があり、私は木製の橋のほうを「自由の橋」だと思っていたら、
鉄道橋のほうだと書いているものもあって、はっきりしません。

ちなみにこの鉄道橋はキョンイセン(京義線)という日本が軍事目的のため、
工事した鉄道の橋だそうです。鉄道自体は朝鮮戦争の時に運行が分断され、その後、
一時連結の話が持ち上がったそうですが、頓挫し再び、分断されているそうです。

オドゥサン(烏頭山)という山の上には、インジンガン(臨津江)対岸の北朝鮮のプロパガンダ
のための村を見ることができる「統一展望台」がある。(テレビで見たことがある)
村の住民は軍人、見かけるのは農作業のときぐらい、見せかけのアパートには屋根もなく、
朽ちているものも、隣にしかたなく平屋が作られている。道路は舗装されていない。

ガイドさんによると
韓国では日本ほど「拉致問題」を取り上げていない。
なぜなら「離散家族問題」のほうを重要視しているからだ。

だそうだ。離散家族再開の事業や南北統一の妨げになると考えているのだろうか。
北批判よりは、早く元通りの南北にならないだろうか、という話が多かったように思う。
ガイドさんの個人的な意見だろうか、いずれにしても、日本人の感覚とはやはり多少
違うものがあるようだ。



1時間30分かけ再びソウル市内へ、ミョンドン(明洞)散策へ。
ミョンドンでは目的のひとつ、サングラスを買うこと。
ネットで調べた「ヴィエンナメガネ」というところに行ってみた。

日本から持っていったクーポンを差し出し、希望をいうと、とんとん拍子にきまり、価格もまぁ、
許せるかなという値引きをしてくれたので、30分足らずで購入してしまった。

買い物には時間をかけるほうなので、多少不安が残ったが、後で振り返ってみても、
だまされた気がしないというか、満足しているので、結果オーライというところでしょうか。
外の喧騒がうそのような雰囲気で買い物ができるので、おすすめできます。

夜はイテウォンドン(梨泰院洞)のウォルミド(月尾島)という店で宮中海鮮鍋
牡蠣、えび、いか、トッポギが入っている。真ん中が深くなって、そこにうどんが入っている。
「ここのチヂミおいしいよ」とガイドさんにすすめられ、たのむ。
たしかにおいしい、日本で何回か食べたのは、生地がうすいものだった。
ここのはふっくらとしていて香ばしかった。







韓国旅行記 1 インチョン(仁川)空港 スンドゥブ(純豆腐鍋)

2010-09-25 14:30:53 | 韓国
「韓国でお勧めは何?」ときかれて、すぐに返事できなかった。
「韓国に行った目的は何?」には、
「・・・・近かったので」ということぐらいしか言えなかった

たまたま、「韓国へ行かない?」という誘いがあって、
同じ東洋人の国ならば、カルチャーショックも少なくてよいかな、
日本以外の国というのを観光地めぐりということばかりではなく、
体験してみたいな、というのが、もう少し詳しい動機というところだろうか・・・。

なので、自分が、ここが日本とはちがう、と感じたことを記録してみたいと思う。

(と、かたいで出しになってしまったが、結局、ミーハー的ところ多々あり)

興奮のためか、あまり眠れないまま5時。
起床千歳空港国際線塔(いつの間に増築されたのだろう)の受付ロビーに
7時30分集合のため、6時のバスに乗る。

旅行会社の窓口からeチケットを渡された後、時間があったので、サンドイッチでも、と思ったが、
4Fラウンジのサンドイッチは1000円位していたので、1Fの売店でお稲荷と巻き寿司を買って食べる。

オリコのゴールドカードでラウンジで休めると、書いてあったような気がして、受付で聞いたが、
このカードではだめだった。

8時45分 航空会社のカウンターで荷物を預け、搭乗券を受け取り、初めての出国手続き。
9時15分Korea Airline 796便に乗り込む。

CAの〆の字の髪飾りが、すっきりしていて美しい。
スタイルと美肌の国、韓国をここからすでにアピールしているようだ。

飛行機の中で、これまた始めてのEDカードと、税関申告書を記入する。
(ちなみに、旅行会社のEDカード代理記入料は4200円、って取りすぎだと思うのだが)

機内食が出た。Chicken or fish。魚のほうはご飯と、パン両方が出て食べ切れなかったようだ。
肉の方もたっぷりで、少し余したぐらい(売店でお稲荷なんか食べなきゃよかった。)
Yさんはビール飲み放題だよ、といっていたが、さすがに控える。
(あとから知ったが大韓航空の機内食は有名らしい)

コーヒーも飲みたかったが、お茶と水とジュース、さすがに水分取りすぎで、飲めず。
ゆっくりしていたら、お茶とか残っているのにもかかわらず、さっさと下げられてしまった。
飲み物はそのままで、くらい言ってくれてもいい、と思うのは過剰サービスになれた日本人であるせい?

九州上空?を通過し、韓国に入ったはずだが、下は雲ばかりで、何も見えないまま。
シートについてるタッチパネルは反応がいまいちで、あまり音楽が聴けなかった。
Rさんは、映画の「Best kids」が到着までに見終われなかったと言っていた。
そういえば、映画の字幕は中国語だった。

到着は12時15分。入国審査、いきなりハングルで戸惑うが、下になんとか、foreignerの文字。
係官は女性だったが、無愛想そのもの。審査なのだから、威厳を持ってということなのだろうが、
そんなに無愛想でなくともよいのでは。

ロビーに出ると、現地ガイドさんが迎えてくれた。
「荷物はこちらにおいてくださいね」と言うものだから、運んでくれるのかな、ふっと思った。
だが、バスへ移動のときに、皆荷物を持たないものだから、ガイドさん、
すかさず「荷物は自分で持つんですよ、ここに置いただけですからね」とちょっと厳しい声。

インチョン空港
ソウル市内までは空港利用者専用の高速道路となっている。
空港内は遠いゲートとは、新交通システム(地下鉄)で移動するそうだ。
ハブ空港とは聞いていたが、これほどまで大きいとは。



今回のツアーは「たっぷり韓国おいしい旅」とうたっているので食事には期待できる。
この日の昼食はスンドゥブ(純豆腐)を食べる。(店の名前記録するの忘れたー!)

辛い上に、熱いので、早くは食べられないが、辛みが味噌の味を引き立てている。
豆腐の上の黄色いものは、ワタリガニの味噌と思われる。