わからないことがある。
妄想や幻覚を用いてまで格闘しなければならない現実と渡り合うために、なぜ、夢の応援が駆けつけないのであろう?
夢の応援。
変な言い方だが、夢は現実世界で起きた現象の心的処理をする現象でもある。
被害妄想が起きるほど小憎らしい相手ならば、夢の世界でやっつければいいし、幻聴が聞けるほどのPTSDならば、悪夢で処理してそれっきりというわけにはいかないのだろうか?
だからスキルを積んだ精神科医は、メンタル科の症状が患者さんの夢に出てくると、もう、寛解は間近だと喜ぶらしい。
実は年下の連中にまで馬鹿にされてきた私は、生意気盛りの若い人たちをみると、「馬鹿にされまいぞ!」と、警戒モードに入る。
彼らには、完全に濡れ衣なのだが。
ところが二三年前に、夢で近所の子供たちに馬鹿にされる夢を見た途端、そういった警戒心は、大分軽減した。
不快な体験を夢処理したからであろう。
睡眠と夢。
実は意識のオンオフは脳幹網様体で行い、夢処理は眼球運動で行うという。
どこかのサイトで読んだことがあるが、レム睡眠を参考にして眼球を素早く運動させ、夢処理で追いつかない、心的処理を行う治療法もあると聞いた。
もはや、心理療法単独でメンタル疾患を治そうとする医師はいないと思うが、唯物論に基礎を置くのであれば、睡眠と眼球運動を研究してみるのもおもしろいと思う。
そんなことを思った、いけもとであった。