目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

意識が連続であればいい。

2022-05-30 01:00:13 | しんぶんクロハタ並びに小黒金剛石
つまり意識が連続であればいい。
何のことかわからないわね。言い直します。

つまり生まれる前の意識と生きている今の意識と死後の意識が連続すれば、やれ初穂料だやれお布施だ、やれ献金だなんて、訳のわからない高等詐欺師どもに金を運ばなくていいわけだ。

結局宗教なんてものは、生まれる前の意識と生きている今の意識、そして死後の意識が連続であれば、難なく粉砕できる代物なのであります。

考えてみれば、死後の意識があれば、過去世において十善戒を守った。故に皇位を継ぐものとして生まれたなんてことは、自ずから明らかになりますし、生前の意識があれば、死ぬ直前のイエスの罪のあがないを信じたからパラダイスに昇天したなんて議論が成り立つのであります。

ってことは、秋篠宮殿下も、悠仁殿下も前世十善戒を守ったのね。

いけもとは守れない。
悲しいorz

さて、なんで死んだ後の人は、「恨めしや」なんていって、生前の理不尽の恨み辛みを言いに幽霊になるのでざましょ?

俺は釈迦やイエスのいったことが真実であることを証明するために、成仏せずに幽霊になったなんていう、奇特な幽霊がいたっておかしくないわけであります。

何やら仏典には、如来が法華経を説くと、それが真実であることを証明するために、いろんな仏国土に現れる如来。多宝如来がいるのですから。

ここで脱線しますがね。
多宝如来もケチな男で、法華経が真実であること証明するのに出てくるのはありがたいが、爾前迹門の仏説も真実であることを証明しに出てきてもおかしくないのに。

法華涅槃時は頓教である大広方仏華厳経に等しいそうであります。
だったらなぜ、華厳経を「よいかな釈迦文(しゃかもん)」といって仏説の正しさを証明しに出てこなかったか謎でありますが。

脱線終了。

そんなわけで、地獄やゲヘナの存在が真実である幽霊がいてもおかしくないし、パラダイスや霊前浄土にいっても、こっちの世界に帰ってきて、仏説は真実だなんて言う誓願を立てた一闡堤(いっせんだい)がいてもおかしくないのであります。

もしそいつに慈悲があればね(w

そんなわけこんな訳で、所詮宗教なんてのは、突っ込みどころ満載なわけ。

イエスや高僧が国王大臣官長長者に近づくなっていっても、弘法のために近づいて、体制に都合のいい教説を説いて教父が肥え太ってきたのがSHUKYO。

宗教なんてものは、一種のアヘンであります。
罪人には浄土三部経や法華経の提婆達多品。
自分は一闡堤(いっせんだい)で仏種がないなんて、そら言を言うあほのために、久遠実成の本仏が仏種を植えたなんていうのが法華経涅槃経でございます。

アヘンていうのか、おとぎ話の薬ね。
宗教的メンヘラ向けの。

まあ、いけもとは死んだら、永遠の眠りについて、何もしないで、グースカピと寝ていたいですけどね。

そんなわけでございます。

以上、いけもと。


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