光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

木更津旧市街地をゆく‐遊郭跡を訪ねて③蔦の絡まる家

2020年07月17日 | 日記
 
 富士見通りからクラブ・プレミアと料亭宝屋の間の信号を左折し人参湯を過ぎると、田面通り(たもどおり)と通称南片町浜通りの交差点に出ます。浜通りを入った右側には栄楽旅館がそびえています。古い旅館ですが、まだ営業中との事でした。

 木更津港には北河岸、蒸気河岸、南河岸と呼ばれる船着き場がありました。この周辺は蒸気河岸といわれる場所、遊郭や歓楽街、食品市場が立ち並び栄えていたようです。





 そしてこの交差点を左折して田面通りを海の方に100m程進みます。すると左手に八幡屋旅館が見えてきます。ここも古い割烹旅館ですが2~3年前に廃業しています。立派な蔵もありますが取り壊されるのを待つばかりです。





  八幡屋旅館の道路を隔てた反対側には蔦に覆われた家屋があります。外観が全部蔦の中。車が置かれ洗濯物が干してあるので誰か住んでいるようです。不思議な家ですね。古いアパートも隣接していますが、そこにも住民がいる様です。





 廃屋も目立ち、空き地や駐車場が沢山あります。大正昭和の時代は裕福な漁師や商人が闊歩していたのでしょうが、今は見る影もありません。
板金屋の駐車場には1960年代のアメ車(キャデラック?)が雨ざらしになっていました。まさに栄枯盛衰を見るようです。



 田面通りの終点は木更津港。砂利運搬船と巨大なショベルカーが見えます。これで木更津旧市街地散策は終わりですが、今まで見た事のない木更津の姿を体験できました。また角度を変えてこの港町を撮って行きたいと思います。



木更津の旧市街地をゆく-遊郭跡を訪ねて②

2020年07月16日 | 日記
 
  梅雨の晴れ間に木更津にあった遊郭跡をツレと散策してきました。以前千葉県には6か所に遊郭が存在していました。千葉市、松戸市、佐倉市、銚子市、船橋市、そしてここ木更津市です。どの町も撮影に行った事がありますが、よく似た雰囲気をもっているように思いました。

 木更津駅西口前から港に続く富士見通りを歩き、大きなクラブ・プレミアの角を曲がります。この辺は現在木更津市中央3丁目ですが。以前は片町(片側が海の為こう名付けられ様です)と呼ばれた場所。歓楽街があり遊郭が置かれていた町です。トップの写真はこの周辺に在ったホテル・みほし館の跡地です。廃墟のようになったみほし館がマニアの間で話題になっていましたが、漸く取り壊されたようです。




 
 この通りを50m位進むと左折する細い道があります。スナック街です。ネコを沢山見かけました。





 スナック街が途切れた場所に不思議な家屋がありました。一見廃屋のように見えますが、軽自動車が置かれドアには鋸山アニマルワールドのポスターが貼ってありました。犬の声がして中からおばさんが出てきたので、ここは何をされている所ですか?と聞いてみました。絵等を展示している家です、と答えてくれました。地図を見るとギャラリー美術室とありました。不思議な場所です。





  そして細い路地を戻り広い浜通りを進みました。人参湯が見えてきました。今は廃業していますが昔のままの外観ですね。ただ今年の6月から
木更津駅東口にあった「木更津やきそば」がここで営業していました。ビックリです。この後ここに入ったのですが、そのレポートは後日UPします。


木更津の旧市街地をゆく-遊郭跡を訪ねて①

2020年07月15日 | 日記
  
 7/10と11日は雨が降らなかったので、先日から撮影している木更津の旧市街地をツレと散策してきました。午前10時頃木更津駅西口駐車場に車を停め、駅から木更津港に続く富士見通りをカメラを片手に歩きました。駅前というのに人通りがありません。

 暫く行くと田面通りの方から沢山の幼稚園児がやって来ました。お散歩でしょうか?手をつないで港の方に進んで行きました。ちょっと面白い光景でした。





 木更津会館いわゆる見番のある通りがみえてきました。見番の近くに道案内人がいるというので行ってみたのですが、誰もいません。
見番に掛けられた解説板に、見番と芸者さんの写真があったので撮影しました。風情のある写真です。





  富士見通りには飲食店や飲み屋が多いです。ただ古い建物は殆ど料理屋や旅館が閉店した跡で、空き家でした。





 富士見通りと港側を通る県道が交差する信号には、道の左右に石灯籠が置かれており、港町らしい光景です。



 ここから富士見通りを駅の方に戻りました。少し行くと木更津船の錨のレリーフが設置されています。説明によると江戸時代に、江戸と木更津間を航行した五大力船、通称木更津船の錨との由。



  隣りにはその木更津船の線刻画が描かれた石碑がありました。江戸時代には、港にこの船が沢山浮かんでいたのでしょうね。
 そして老舗の料亭・宝屋の手前の路地を入ると、小さな飲み屋街が現われてきました。この辺は昔の遊郭跡と言われている場所です。




横田揚水場・二連水車の復元模型を見る-袖ヶ浦市ひらおかの里

2020年07月14日 | 日記
 
 以前袖ヶ浦市横田の上田揚水場にあった巨大な二連水車を紹介しました。明治30年頃活躍した水車で現在は残っていないのですが、調べてみると袖ヶ浦市ひらおかの里・農村公園に、その模型が置かれていることが分かりました。

 そこで7/10(土)午前10時頃、ツレと訪問してきました。このひらおかの里まで自宅から車で30分位の距離。入園は無料(月曜休館)で、午前8時半から開園していますが、誰も来ていませんでした。静かでとても良い所です。





 このひらおかの里は袖ヶ浦市永地1943番地にある公園。田植えや稲刈り・芋ほりが体験できる農業施設で、面積は17309㎡もあります。



 施設の中を流れる川に水車が設置されていました。直径は2m近くあるのでしょうか、良く出来た模型です。モーターが付いていて実際に動くようです。



 この側には上総掘りの風車もありました。上総掘りの井戸に連動して水を汲みあげ、施設内の田んぼや池に利用されています。
ただ台風で羽が壊れて6枚の羽根が1枚になっており、痛々しい感じを受けました。
 




 またひらおかの里には、明治や中世の田んぼが復元されています。この日吹いていた強い風に稲がなびき、牧歌的な光景でした。





  管理棟には沢山の農機具が置かれています。子供の頃みた木製の臼や脱穀機があり、とても懐かしかったです。



木更津市郊外の野鳥たち-カルガモ親子と川鵜とカワラヒワ

2020年07月13日 | 日記
 
 また東京では新型コロナ感染者が200人越え、千葉県でも2桁の感染者が出ている今日この頃。鳥ではないですが、我家でも巣ごもりが続いており、早朝散歩でストレス発散中です。何時もカメラを持っているので、野鳥の姿を見付けてはシャッターを切っています。そのせいでしょうか、鳥の速い動きにも漸く対応できるようになってきました。怪我の功名というところですね。

 7/11には自宅近くの田んぼの畔に、親ガモと子ガモの姿を見付けました。風が強いのでクローバーの中にうずくまっていました。可愛いです。




  
 前日の7/10には農業用水を集団で泳ぐカルガモたちをキャッチ。少し大きいのが親で、7羽は子ガモのようです。最近子ガモが大きくなって親と区別がつきにくいですね。





 少し前になりますが5/30、川鵜が羽を広げて電線に止まっていたので撮影。何か誇らしそうにしていました。




  
 6/11の日には、自宅の庭にカワラヒワが3羽飛んできました。私の部屋の前にある庭石の近くでさかんに何かを啄んでいます。
スズメが何羽か来てテリトリーを主張していましたが、気にもかけません。



 背中の黄色い羽が印象的な鳥です。最近見かけなかったのですが、この日は3羽も見られて、ラッキーでした。




58年続く木更津市・浜屋のバーベキュー弁当とあさり飯

2020年07月10日 | 日記
 
 以前千葉駅の代表的駅弁万葉軒のとんかつ弁当を紹介しました。しかし我が町木更津にも長い歴史を誇る旨い弁当業の吟米亭浜屋があります。木更津近郊で最もにぎわっていた、駅西口みまち通りの浜屋が昭和37年(1962年)に発売したバーべキュー弁当です。私はあまりなじみがなかったのですが、友人が木更津へ来た時に通称「バ―弁」、浜屋のバーべキュー弁当を食べたいと言うリクエストがあったのです。
 その時一緒に食べたのが病みつきになり、時々購入しています。7/9も久々に食べたくなり、浜屋に向かいました。





 浜屋を訪問したのは開店して直ぐの午前10時頃。バーベキュー弁当(税込み590円)とあさり飯(980円)を購入。出来立てなので、暖かいです。
私はバーベキュー弁当、ツレはあさり飯を昼食としていただきました。バーベキュー弁当は590円、安いですね。万葉軒のとんかつ弁当500円には少し負けますが、秘伝のたれに漬けた豚ロース肉が2枚も付いています。とんかつ弁当はカツが1枚です。






 お米も浜屋グループの米を扱う泉屋が農家から直接買い付けた冷めても美味しい米を使っているそうです。ポテトフライと漬物がついてこの値段、凄いですね。御飯に沁みたタレが食欲をそそり、あっという間に完食しました。

 ツレのあさり飯は980円。ちょっ高いと思いましたが、バーベキュー弁当よりだいぶ高級感があります。ご飯には、たっぷりのあさりと筍が使われています。レンコンのはさみ揚げに漬物が添えられ、デザートはサクランボ、こちらも美味な一品でした。最近飲食店に行かずテイクアウトが人気ですが、地元の弁当を購入するのもあり、と思わせる美味しい駅弁でした。



気分は昭和のオールデーィズ・木更津の喫茶店アメリカンクラブ

2020年07月09日 | 日記
 
 梅雨の晴れ間に木更津旧市街地をツレと散策。真夏のように気温が上り疲れてきたので、弁財天近くの喫茶店・アメリカンクラブに入りました。この店近くに行ってもここが喫茶店とは分からない外観をしています。

 前に自転車が置かれ、以前はAmerican Clubと書かれていたのですが今は見当たりませんね。入り口を開けて入ると、マスターが以前のようににこやかに迎えてくれました。3年ぶりの訪問です。



 時間は午後3時頃。いつもは常連さんが4~5人カウンターで、マスターと世間話をしているのですが、今日は私たちだけでした。ちょっと薄暗い照明と内装が1960年代を思わせて、お洒落です。



  マスターがどっちにしますか?と注文を聞きに来ました。この店のメニューは2種類しかありません。ホットかアイスコーヒーのみ、何れも税込み300円です。ツレはホットコーヒー、私はアイスコーヒーをお願いしました。





 5分程でアイスとホットコーヒーが登場。美味しいコーヒーです。久々に来たアメリカンクラブの雰囲気を楽しみ、クールダウンして帰宅しました。




木更津の旧市街地を行く①-見番のある風景

2020年07月08日 | 日記
 
梅雨の晴れ間を見付けてツレと木更津の旧市街地、花街を歩いてきました。木更津駅西口を出てみまち通りを進みます。人影はまばら三密には程遠い散策コースです。八剱神社を過ぎ、木村屋食堂等古い飲食店街が途切れると直ぐに右折の路地があります。





 レトロな道です。蔦が絡まる旧い店が昭和を語っているよう。そこからが木更津・旧花街の中心地。少し歩くと千葉県に唯一残る見番・木更津会館が見えてきます。会館の前には何故かネコが食事中。






 見番とは芸者さんの稽古場、その木更津会館は昭和30年代に建てられた由緒ある建築物です。花街という芸者さんのいる街があるのは、県内では鴨川市と木更津市だけ。そして木更津市には1960年代の最盛期には200名もの芸者さんがいたのですが、現在は11名。その人たちが木更津甚句等、江戸時代から続く文化を継承しようと頑張っています。



 木更津会館の前に細い路地があり、2人で這うように進むとディープな道に突き当たりました。私は結構こんな狭い道が好きです。ユトリロが描いたパリの路地裏の絵のようで、自然に足が向いてしまいます。そんなに素敵な光景ではないですが。(笑)





 細い路地を道なりに進むと突き当りが箱型の飲み屋街。まるで異次元に来たような感じを受けました。何軒もの店が開店前の佇まい。通り抜けて上を見ると「お好み通り」と書かれていました。規模は小さいですが谷中の初音小路を思い出しました。



明治時代に存在した袖ヶ浦市横田の二連水車

2020年07月07日 | 日記
  
先日木更津市金田の小櫃川沿いで赤い水車を見つけ、その際小櫃川沿いの横田に巨大な二連水車が存在していたと言う事を書きました。それを少し調べ、ツレと実際に在ったという袖ヶ浦市横田の上田揚水場跡に行って来ました。6/29(月)午後1時半頃の事です。





 木更津から車で、国道409号線通称久留里街道を馬来田方面に進み、百目木公園(どうめぎこうえん)に向かう信号を右折。すると直ぐに上田橋(じょうたはし)という橋が見えてきました。その橋の手前に掲示板が立てられ、ここに在った横田上田揚水場の二連水車の説明が書かれていました。



 掲示板によるとここにあった上田揚水場に明治27年(1894年)頃直径6mの水車が設置されたようです。そして明治30年には二連式になり、昼夜をとわず小櫃川から横田耕地に水を供給していたのです。



  橋の反対側に行って見ると水面が見えました。側の橋げたには旧小櫃川と刻まれています。この橋を渡り百目木公園を過ぎると本流の広い小櫃川が在ります。



 この巨大な二連水車見たかったですね。解説版によると近くの善福寺というお寺に、この水車の軸の一部が柱として残っているというので行って見る事にしました。



  地図を頼りに漸く善福寺を見つけました。古いお寺で、裏には沢山の石仏が置かれていました。ただ残念な事に誰もいらっしゃらないようで、水車の軸の事は分かりませんでした。また来てみようと、思います。



疫病(新型コロナ)退散!-木更津市・八剱神社の茅の輪くぐり

2020年07月06日 | 日記
 
 6/30は全国の神社で半年間の穢れを祓う「夏越しの大祓」が行われますが、木更津総鎮守・八剱八幡神社でも毎年午後3時から斎行されています。
 この行事は日々の中で身に付いた穢れや罪を清める日本古来の行事です。しかし今年は新型コロナの影響で、一般人の参加は中止、神職のみで大祓いを行う事になりました。



 八剱神社では直径3mの茅の輪を半月前から作り、6/1~6/30まで社殿の前に設置。これをくぐり抜けて穢れや罪を落とします。

 30日は天気予報では雨。その為ツレと前日の29日の午後、神社を訪問。茅の輪をくぐって来ました。その後参拝し新型コロナ退散を祈願しました。



  三密を避け、間を開けて茅の輪をくぐります。茅の輪の横にくぐる方法示されてあります。8の字を書くようにまわり、最初は左回り、2回目は右まわりそして3回目は左まわりして参拝です。






  子供をおぶった人や老若男女が、次々に来て茅の輪をくぐっていました。東京を中心に感染者が100人越えの今日この頃。茅の輪くぐりの伝承の由来になった蘇民将来のように、福を呼び疫病を退散させてほしいものです。