デジカメを持って歩こう.

個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録です。

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

・中山道を歩く(19)②<関ヶ原宿>-<今須宿>-<柏原宿>-<醒井宿>醒ケ井

2018-03-19 20:41:14 | 中山道

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 【2日目】 
 曇り空の2日目、傘をさし関ヶ原古戦場の見学をしてから街道歩きを始める。
宿裏にあるJR関ヶ原駅前から陸橋を渡ると曇り空から小雨に変わる。傘をさし徳川家康最後の陣地等、合戦の史跡を見ながら決戦地へ向かう。かつては一面の野原であったであろうが今は畑になって整地されているがそれ成の雰囲気を残している。西軍の石田三成が陣を張った笹尾山まで上がると雨に煙る関ヶ原主戦場の広大な眺め全景が広がる。     この展望を見ると三成の方が良い位置にいて戦場全景を見て采配が出来、優勢に見える。 西軍を寝返った小早川秀秋がいなければ西軍の勝利になったかも知れないと思う。そうなると現代のあり方も変わったかも。色々な思いが馳せる関ヶ原古戦場見学であった。

関ヶ原駅前の観光案内所で身支度をし<関ヶ原宿>から街道歩き開始。
  雨は止み曇り空となる。暫らくは国道と沿って歩くため宿の名残はわずかである。壬申の乱の戦場近く、不破関跡へのルートに入ると色々と史跡が現れる。黒血川という川名称は壬申の乱の流血で川底を黒く染めたという凄まじい戦いの様子を伝え、「鶯の滝」は当時の人も我々も心を和ませてくれる気持の良い滝。常盤御前墓を過ぎ今須峠を越えると
美濃路最後の宿場今須宿>に入る。この宿は東の関ヶ原宿、西の柏原宿に挟まれ小さな宿という事だが常夜燈と適度にうねる中山道の通りが街道らしい風情を感じさせる。美濃と近江の国の境に「寝物語の里」というロマンチックな名称の地がある。岐阜県と滋賀県の境でもある。国境の細い溝を挟んだ2軒の旅篭で寝ながら他国の人と話せたという微笑ましい話。
 近江国最初の宿柏原宿>に入る。再び小雨がパラパラと降り出す。近江8宿の中で一番宿が長いという。本陣は残っていないが古い家屋が当時のまま数軒残っているのでカメラの良い被写体になる。国道と山道を通りながら行くと間もなく<醒井宿>に入る。最初は普通の宿だが、途中「居醒の清水」という中山道に沿って清水が湧き出し小川になっている場所に出る。綺麗な水が流れ気持ちの良い場所である。川に降りる石段が設けられ洗い場や魚のいけす、果物の冷やし場としても使われている様。また来てみたい場所である。宿の外れ、JR醒ヶ井駅に到着して今回の街道歩き終了。小雨が降ったり止んだりの天気だったがまあまあの街道歩き日和だった。     本日は歩数3万歩、15Kmの歩きである。

 

 <関ヶ原宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・関ヶ原   関ケ原は、北国街道に通じる分岐点であって、交通の要地として注目された。  広重も、この追分あたりを描いたのであろう。老婆のサービスする茶店に「名ぶつさとうもち」と書いた提燈が掛けられ、客の後ろの看板には「そばきり」「うんどん」の文字がみえる。広重は、「東海道五拾三次」でも、この「木曾街道六拾九次」でも、それぞれの宿名物を画中に取り入れている。彼の旅日記に、昼間、名物のもちを食べ、夜地酒を楽しんだという件があり、広重自身、旅をするときこうした名物を楽しんだ傾向があったと考えられる。

東山道時代からの要衝で、天武天皇が不破関を設けて関ヶ原の名が生まれた。1600年の天下分け目の戦から2年後に中山道の宿となる。

 関ヶ原駅                   各陣営、家紋の幟が立つ      東首塚 

            

徳川家康最後陣地 

        

決戦地へ向かう                               笹尾山、下

        

 石田三成・笹尾山陣地                          桃配山方面の展望       三成・陣地

            

丸太矢来(まるたやらい)の柵                                             戦場を振り返る

                

●●●●●● 街道歩き開始 ●●●●●●

脇本陣                     西首塚                 不破関守址                    間の宿・山中 

                

黒血川・壬申の乱 戦地               鶯の滝:                      常盤御前の墓          常盤地蔵

                

平野部にあり、中山道から直接見える落差5mの滝 「夏来ては鳴く音も聞かぬ鶯の 滝の水泡みなみ や流れ合ふらん」                      

 <今須宿> … 広重/木曾海道六捨九次之内・今須   今須から長久寺村の間が、美濃国と近江国の国境で、両国の人が壁ごしに寝物語したからというので、「寝物語の里」と呼はれ、また「車返し里」ともいったという。広重の図もこのあたりを描き、軒に「寝物語由来」「不破之関屋」などの掛札がかけられ、仙女香で有名な坂本氏の広告まで描かれている。遠くにかすかにみえる淡暴一の山は比良山地であろう。

伊吹山の影響で伊吹おろしの雪に悩まされ、「雪降り荒れまどふ」の記述が「更級日記」にあるほど、今須付近は昔も今も交通のネックになっている。今も国道・東海道本線・新幹線・高速道路など幹線が近くに集中し、不通になる時も生じる。 

JR上り・下りが分かれる           今須峠                        復元・今須一里塚

                

美濃・近江国境の宿場町、今須

                

金毘羅大権現永代常夜燈        「正月も 美濃と近江や閏月」芭蕉     寝物語の里…国境は幅一尺五寸の溝

                       

 <柏原宿> … 広重/木曾海道六捨九次之内・柏原   柏原で特に有名なもぐさ屋は亀屋。広重の絵にも、金太郎や伊吹山、そして福助の張り子の像が描かれ、大名も立寄ったという亀屋のたたすまいを描きつくしている。今も旧道ぞいに亀屋は商売しており、画中にみる福助の張り子も健在で、その大きさに驚かされる。

伊吹山に近く、伊吹山のヨモギで作られる艾もぐさ が特に上質のものとして有名だった。

                    

JR柏原駅                                       本陣…皇女和宮宿泊              

            

柏原宿の風情 … 

                

                        (復元)柏原一里塚

            

  <醉井宿> … 62 広重/木曾海道六捨九次之内・醉か井(さめかい)   大名が駕籠を休めたという六軒茶屋のあたりを描いている。十四、五年前にはまだその茶屋が残っていて、この図そっくりの風景であった。

日本武尊が清水で覚醒した「古事記」の記述から醒井の名が生まれた。鍾乳洞から湧出する清水は水温・水量とも一定で、宿の中を中山道と並行して流れ、珍しい梅花藻が繁茂、「ハリヨ」が生息する。

八幡神社                                   一色の一里塚跡     

                

                              居醒の清水 源泉                加茂神社             源泉

                

加茂神社                                                                     延命地蔵堂

                

 

清流が流れる                 居醒橋            西行水 …   

            

駅への分岐に立つ道標           JR醒ヶ井駅 

    

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=おわり=