デジカメを持って歩こう.

個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録です。

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

・中山道を歩く(21)③<守山宿>-<草津宿>-瀬田の唐橋

2018-05-31 23:59:59 | 中山道

2018年5月31日

次のルート:㉒瀬田の唐橋~京都・三条大橋【完】       前のルート:⑳醒井宿~武佐宿

       1日目:ドライブ(伊吹山・長浜城址・佐和山城跡)、2日目:(武佐宿-守山宿)、3日目:(守山宿-草津宿・瀬田の唐橋)

【3日目】 … 守山宿ー草津宿ー瀬田の唐橋 …

 朝、曇り空だが今にも降り出しそうな天気。
中山道に戻るのに、昨日雨の中一人で歩いた「大宝神社」を抜ける道へ皆を連れて行く。早朝、参拝者もいない落ち着いた雰囲気の大きな神社、下諏訪の「諏訪大社・秋宮」を彷彿させる。緑に覆われた長い参道を歩き中山道へ出、本日の街道歩き開始。
 ここから暫らく史跡はなく<草津宿>手前で「伊砂砂神社」がある。こじんまりした神社だが「大宝神社」に似た落ち着いた神社である。 先へ行きすぐに右手奥にJR草津駅が見える。草津川手前に「明治の追分道標」という説明板があり良く分からなかったが後で調べると江戸時代には天井川である草津川に上って徒歩渡りをしており、京都側が東海道と中山道の追分であった。明治になって草津川の下に隧道が出来、東京側に東海道との分岐・追分ができたとのことであった。
 草津川隧道の手前を川?沿いに右に折れると天井川・草津川が跡地公園になっておりかつての雰囲気はどこにもなく開放的な広場になっている。公園を越え、隧道の反対側に降りると江戸時代の「草津追分道標」である。 ここまでが中山道、 これからは東海道と重複する部分を歩く訳でひとつの区切りがついたことになり感慨がある。その様な眼で見るせいか火袋が付いた道標燈籠が立派である。  道標南面に「右 東海道いせみち」、西面に「左 中仙道美のぢ」と東海道、中山道の行先が明瞭にきざまれている。
 暫らく付近案内板を観て感慨にふけった後ですぐ先にある「草津宿本陣」を見学する。現存する本陣としては最大級の規模という事、ほぼ完全な形で座敷や本陣住居部が整備されており、その広さや格式の高さに驚かされる。じっくり時間をかけてみた後、先へ行き草津宿氏神「「立木神社」へ。大きな神社で鹿島神宮から遷宮したという立派なものである。境内に鹿の狛犬や、大きな樹木が複数あり昨日の雨に濡れ重厚感がある。 この先、宿の京口・黒門跡や小さな史跡が続くがパラパラとなる。
  月輪池という変わった地名の場所に来たところで突然の大雨が降り出し忙いで雨具を着ける。夕立のような大雨で足元が川の様になり靴もぐしゃぐしゃである。途中ガレージで雨宿りをするが小ぶりになる様子はなく、最も近い駅まで行って今回の街道歩き終了にしよう事になる。調度昼食時、雨宿りを兼ねて食事が出来る場所を探すがない。瀬田の唐橋袂まできて鰻屋を見つけて入る。靴の中もぐしゃぐしゃになり着替えて座敷にあがりホットする。       今回も旅の終わり、うな重とビールで乾杯である。   昼食後、若干小雨になり「瀬田の唐橋」を渡り、本来の目的地<大津宿>よりだいぶ手前<石山駅>で今回の街道歩き終了である。

 本日は歩数2万4千歩、11.8Kmの歩きである。 

 

雨が上がった大宝神社 … 

                

 参道を中山道に向かう

                     

 

 <草津宿> … 69 広重/木曾海道六拾九次之内・草津追分   家並みが川より低い位置に見え、川は水が少なく、小さな仮橋が架かっており、天井川の特徴をよく表現する。揃いの装束で半袖ぬいだ三人の女性は、お伊勢参りの人であろう。彼女らとすれちがって、小さな板橋を渡る傘を肩に担ぎ、風呂敷包みを持つ女は近在の者であろうか、旅なれた感じである。広重の風景画中の人物描写の巧さが、この図をムードあるものとしている。広重はここでも左右の丘をほぽ均等に描き、草津宿、さらに淡墨の比叡の山を描き、見事な透視的構図によって、画面に奥行を与えている。ここには西欧の遠近透視画法を猿真似した時代の不自然さは消え、完全に広重の画法となったことを示している。

江戸の日本橋を東と西に分かれて出発した中山道と東海道の二街道は草津追分で合流、本陣・脇本陣がともに2軒ある大きな宿であった。草津川が天井川のため川端に追分があったが、明治中期に隧道ができ、今は川の下を抜け、追分も移った。中山道の終点とすることもあるが、五街道はいずれも重複部分を持つ。

伊砂砂(いささ)神社 … 500年以上前の応仁年間建立、本殿は一間社流造、檜皮葺き(重文)

                

祭神の石長比売命・寒川比古命・寒川比女命・伊邪那岐神・素戔嗚尊で、最初の三神の頭の音から「いささ=伊砂砂」といわれる

                      明治の追分道標          地蔵堂                            旧草津川

                                

天井川だった旧草津川跡地、

草津宿追分                 火袋付き追分道標    

                

「旧草津川越し」から中山道と東海道の分岐、草津追分道標を見下ろす  手前が中山道、右正面奥の道が東海道、右手方面が京への道

草津追分道標

田中本陣 …                                                  草津宿交流館のジオラマ

                

本陣中庭

立木神社 …  常陸国鹿島神宮から遷宮し、神使の鹿を置く

                

武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祀る草津宿の氏神

                

立木橋 … 草津宿の京口にかかる                  姥が餅屋跡にある道標     稲荷神社        野路一里塚跡碑

                                    

矢倉立場道標 … 姥が餅屋跡  「急がば廻れ」の語源の地。「武士(もののふ)の矢橋の舟は早くとも 急がば回れ瀬田の長橋」

新宮神社                 萩の玉川跡                 弁天池

                

弁天池 … 小島に弁財天が祀られている

東海道狼川                                                                    月輪寺

                   

月輪池                     東海道立場跡                       月輪池の一里塚

                         

 

瀬田の唐橋  … 唐風の古風な擬宝珠は歴代受け継がれ日本三大名橋の一つ、近江八景の「瀬田夕照」としても名高い

                

壬申の乱・源平合戦・承久の乱・建武の戦など戦乱の舞台となり「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた

                          京阪:唐橋前駅

    

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       1日目:ドライブ(伊吹山・長浜城址・佐和山城跡)、2日目:(武佐宿-守山宿)、3日目:(守山宿-草津宿・瀬田の唐橋)

=おわり=