きままにつぶやいてみました
今回はコメント欄は締めさせていただいています。
最近
死んだ夫はどこに行ったんだろう
と、考えることがある
さすがに、
夫の形のままどこかにいるとは考えにくい
夫の思いがどこかにあるとしたら
多分
わたしか、息子の中
最近コカコーラが飲みたくて仕方ないことがあり
夫が飲みたがっている・・のではと考えたり
今はまだ夫の骨は家にある
納骨は夏の夫の誕生日あたりを予定
遺影とともに小さい机に乗っているんだけど
大体写真に目が向くよね
もし骨壷に魂があったら
こっちにいるよ
と言うところだろうか
亡くなってから知らなかったことがいろいろ出て来て
最初の頃はそのたびに
何よ~冗談じゃない!!!
へええ~そんないいところも合ったんだ
怒ったり感心したりして
写真をみながら声をかけていた
こちらの気分次第で
ごめんね・・
ね?大丈夫でしょう
えへへ・・
いろんな表情に見えるんだよね
若くて健康だった頃の写真にしたおかげで
亡くなった時の痩せこけた顔を忘れそう
これはありがたい
ところで
母が亡くなった時は
単純に母が母の形で空に浮かんでいたり
母の顔で私を見てる気がしたものなんだけど
夫に関しては
まさに「千の風になって」空気の中に溶け込んでしまって
そこらで吹いたり、渦巻いたりしてる気がする
多分実体はなくなって
私や息子や兄弟や友人や
いろんな人の記憶の中に存在してるんだと思う
ひと昔前に大流行した
「ソフィーの世界」
まったく私の解釈なので、正しいとは限りませんが
作者が言いたいことは
人は死んでいなくなっても、
人が創造した(あるいは想像した)ものは永遠の命を持つ
って言うことだと思うんだ
夫は人類に残した物はないけど
関わった人々に、思い出を残していきました
両親の亡くなった時
お坊さんの説話に
人は亡くなったあとに
何年も何年も修行しながら高いところへ登っていくんですよ
というお話があって
私の空想の中では
母は一生懸命修行して、確実に上がっているだろう
父は疲れることは嫌いだから、適当なところでずっと昼寝をしてる気がする
もちろん夫は信じてないから、修行なんてしないだろうと思う・・
死んだらおしまいだよ
でも
夫と関わった人が生きている限り
おしまいじゃないよね
今回はコメント欄は締めさせていただいています。
最近
死んだ夫はどこに行ったんだろう
と、考えることがある
さすがに、
夫の形のままどこかにいるとは考えにくい
夫の思いがどこかにあるとしたら
多分
わたしか、息子の中
最近コカコーラが飲みたくて仕方ないことがあり
夫が飲みたがっている・・のではと考えたり
今はまだ夫の骨は家にある
納骨は夏の夫の誕生日あたりを予定
遺影とともに小さい机に乗っているんだけど
大体写真に目が向くよね
もし骨壷に魂があったら
こっちにいるよ
と言うところだろうか
亡くなってから知らなかったことがいろいろ出て来て
最初の頃はそのたびに
何よ~冗談じゃない!!!
へええ~そんないいところも合ったんだ
怒ったり感心したりして
写真をみながら声をかけていた
こちらの気分次第で
ごめんね・・
ね?大丈夫でしょう
えへへ・・
いろんな表情に見えるんだよね
若くて健康だった頃の写真にしたおかげで
亡くなった時の痩せこけた顔を忘れそう
これはありがたい
ところで
母が亡くなった時は
単純に母が母の形で空に浮かんでいたり
母の顔で私を見てる気がしたものなんだけど
夫に関しては
まさに「千の風になって」空気の中に溶け込んでしまって
そこらで吹いたり、渦巻いたりしてる気がする
多分実体はなくなって
私や息子や兄弟や友人や
いろんな人の記憶の中に存在してるんだと思う
ひと昔前に大流行した
「ソフィーの世界」
まったく私の解釈なので、正しいとは限りませんが
作者が言いたいことは
人は死んでいなくなっても、
人が創造した(あるいは想像した)ものは永遠の命を持つ
って言うことだと思うんだ
夫は人類に残した物はないけど
関わった人々に、思い出を残していきました
両親の亡くなった時
お坊さんの説話に
人は亡くなったあとに
何年も何年も修行しながら高いところへ登っていくんですよ
というお話があって
私の空想の中では
母は一生懸命修行して、確実に上がっているだろう
父は疲れることは嫌いだから、適当なところでずっと昼寝をしてる気がする
もちろん夫は信じてないから、修行なんてしないだろうと思う・・
死んだらおしまいだよ
でも
夫と関わった人が生きている限り
おしまいじゃないよね