チャレンジ鍼灸師82歳:今、新しい医学・医療創造の志に燃えて生きる!

青春時代の社会変革活動の挫折をのりこえ、鍼灸の道へ。

百万人署名が始まった・・・・・・③

2013年07月03日 | 鍼灸健保問題

協定・委任の問題は、また全く次元の違う問題であり、

この問題が

「鍼灸師・マッサージ師の健保運動」をゆがめ、

現状を変革できない固定観念を、

患者にも業者にも植え付けてしまったといえるのである。

 

そもそも、柔道整復師業者団体と国の「療養費の委任払いに関する団体協定」は

昭和11年に、

法的に問題があったが、整形外科未発達の状況の下で、

患者が整骨師・接骨師の治療を受けることが多く、料金がまちまちであるのを

各県ごとに業者団体と協定し料金を定め、委任払い方式をとり現在にいたった」

ものであり、当時の医療上の必要から、「超法的」に定められたものである。

 

その根本的に問題を処理せず、

目先のごまかしでうまくやっていく日本人的「超法的取り扱い」が

固定化したため、それを手本にした

柔道整復師なみの「委任払いの団体協定」の締結が、

最初から一貫して

鍼灸師・マッサージ師の「健保推進運動の目標」となった。

 

しかし、それは極めて重大な問題点を含んでいるのである。

まず、「行政と業者との団体協定」とはなんだろう?

それは、明白に「法の下の平等」をうたった「憲法」に違反するものである。

 

行政が、特定業者の団体と協定を結ぶことは

特定業者団体以外の業者を排し、その業者の患者の権利を奪うことである。

 

現に、柔道整復師業者団体では、そのような問題が発生し、

今では、行政と諸団体及び個人との協定になっている。

 

しかし、鍼灸師・マッサージ師の業者団体の交渉には

行政側は、応じなかった。

それは、行政側は

柔道整復師との「委任方式」の法無視の問題点を熟知しており

昭和11年当時の医療状況からの歴史的な経緯のなかで

その状態が定着してしまっていたのを

肯定し拡大しようとは考えていなかったのであろう。

 

そのためか・・・・・、

昭和25年1月、当時進みつつあった鍼灸師・あん摩師業界と県との「団体協定」を

阻止する「局長通知・保発4号」が出されたのである。

 

通知は下記の通りである・・・・・

〇按摩、鍼灸術にかかる健康保険の療養費について

標記については療術業者の団体と契約の下に、これを積極的に支給する向きも

あるやに聞き及んでいるが、本件については従前どおり御取り扱いを願いたい・・・・

従前どおりの取り扱いとは、「療養費をあたかも療養の給付のごとく」取り扱ってはならない

ということである。

ここに療術業者とあるが、これは標記からみても、また療術業者はそもそも無資格者であり

療養費の対象となりえないことからも当然当局による誤記であろう。

それは、その翌年出された「昭和26年3月 保発14号」を見れば明らかである。)

 

〇あんま・はり灸、マッサージの施術にかかる健康保険の療養費について

標記については客年1月19日保発第4号をもって通知したにもかかわらず、いまなお

施術業者の団体との契約を続行し、甚だしきは新たに契約を締結しているところが

あるやに聞き及んでいるが、もしかかる事実の存続する場合はその事情のいかんを問わず

至急これを破棄するよう御措置願いたい。

 

この通知によって

鍼灸師・あん摩マッサージ師の健保推進運動には、大きな壁ができたのである。

この通知にもかかわらず、愛知・福井・神奈川など数県では県と業界の信頼関係を

維持し協定なき「団体委任」を守り続けたのである。

 

昭和40年代の初め、私が鍼灸師としてスタートし栃木県鍼灸師会に「保険部」を

立ち上げ、愛知などの先進県の指導を受けながら、県との「委任交渉」に尽力していた。

 

なかなか進展しない中で、県との交渉だけが「健保運動」ではないことに気づき

まず、「療養費」の請求を実際にやってみた。

 

「団体委任」のうまくいっている先進県では、

問題なく委任払いの支給がされており、「療養費の償還申請」などはされない

のでその指導はしていただけなかった。

 

患者のかかりつけの医師や私の懇意の医師を患者に紹介して

やっとの思いで「同意書」を書いていただいて申請してみたが

ほとんど「不支給」になり、

そこから、自分で勉強して「支給基準」なるものをはじめて知った!

 

それで、先進県の指導を受けずに、一方で「委任交渉」を続けながら

「療養費」の請求を患者に勧め、「支給実現」に力を尽くした。

その取り組みの中で

「委任」の問題は、目先で患者の「経済的負担」を軽くする

患者の権利実現にはならないことが明らかとなった。

 

健保運動の軸足を、「療養費」請求の実務の問題点への取り組みに置く

ことで「岸裁判」へたどり着いたのである。

 

そして

健保推進の目標は

療養費をあたかも療養の給付のごとく」扱って

「療養費の支給」を緩和することにあるべきでなく

「療養の給付」の実現への法改正運動を根幹にしなければ

「患者の権利」実現への道は開けないと確信するにいたったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 


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