湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

たえこMyラブ

2018-10-17 11:36:58 | 日記
それは、小さな町工場だった。
ビニールを加工する単純作業は
田舎の奥さん達が
ちょっとパートに出てみょうと思うには
うってつけのような

それでいて
日本で作っているのに、メイドインChina

それほど、賃金は安い
しかし、女性ばかりの工場なので
即日休むことには寛大なところ

うちのように
親戚も兄妹もいない場所で
小さな子供を育てるのには
賃金よりも、当日休めることが何より有難い場所

労働環境、人間関係を言ってしまえば
キリがないほど、良いとは言い難い。
そして、古い御局様のような初老の女性達との軋轢を避ければ、何とかつづけていける工場だった

そんな中で
『たえこさん』と出会った。

関西出身と言うだけで
すぐに、私とは打ち解けあった

しかし、田舎の御局様達とは
彼女の潔癖な性分は合わなかったのか
一年ほどでやめてしまった

けれど、彼女が続けている夜間の硬式テニスの会に呼ばれたりしながら、
しばらくは一緒に過ごしたりしていた。

その硬式テニスの会も
続けたい私の意思とは別に
関西から引き取った両親の圧力に負けて、続けていけなくなってしまった

私は、またしても、好きなことを諦めた。

『たえこさん』とは
その後、個人的には会わなくなったが
偶然、友達の親御さんのお葬式の斎場で働く『たえこさん』と再会した

少し、仕事を外して立ち話。
縁があって、葬儀社で働いているとのこと。
繊細で潔癖な性分の彼女は
悲しみの中で、人に寄り添いながら
仕事を遂行していく姿がカッコよかった。

それからのち
スーパーや街の量販店で
バッタリと会う

その度に互いの親の話をしたりして
真摯な態度に
うちの両親に何かあった時にはお願いしたいと打ち明けた

彼女は、ことがことだけに
商売ではないので、
確約ではなく、相談として受けておくねと、いつも、はにかみながら言っていたが、
とうとう、うちの両親も
あと行くばかりかと介護の最中に
私は彼女に電話をした

うちの家人は、
私の両親が亡くなっても
動いてくれることを期待しないから
ある程度のことは私が決めておきたい。
そうすることで、いざとなった時に
私の気持ちが乱れても
ことなく無事に弔えるようにと
彼女に伝え、しっかりと受け止め
私に励ましの言葉をくれた。

私は
訪問看護の看護士さん達
訪問医の先生
そして、最後に控えてくれている『たえこさん』が居てくれたからこそ
一生懸命に両親と向き合えた

亡くなる前に
葬儀のことを進めるのは
縁起でもないと仰る方もいるでしょう

しかし、
1人でことに当たるのは
前もっての動きは必要なことで
それができているからこそ
私は穏やかでいられたし
また、こうして頼める知り合いがいたことを感謝できた


さてさて
2人の両親を29日で亡くした私の
葬儀の場所に『たえこさん』は寄り添ってくれて
同時に悲しんでくれた。

単なる葬儀社に頼む以上の助言と
その社内での取り扱いは
本当に有り難くて
感謝しても仕切れなかった

そんな『たえこさん』に
会える日は、いつか、、、。


ちゃんとした私でいないといけない。
そうしないと、私にくれた彼女の温情に報えないと。

やっと連絡をし
昨日、食事に誘った。

彼女も分かっていてくれて
連絡した意味、気持ちを
やんわりと包んでくれた。

やっと
ほんの少しかもしれないけれど
彼女に『感謝』の言葉を
言えたことが嬉しくて。

帰宅してから
ご仏壇の前に、しばらく佇む

話をしたの
『たえこさん』のことを。

私は恵まれてるよって伝えたあと
彼女から頂いた、お供養の花を添えた。




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