惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

就職活動の黙示録

2010年11月23日 | チラシの裏
「就活くたばれデモ」は札幌だけじゃなく、東京や大阪も含めて各地で行われるらしい。

そのデモのことにしても、「やりたかったら何でもやったらええねん」的に肯定はするわけだが、正直言うとわたしにはいくぶんアホらしく思えることではある。別にデモなんぞしてみせなくたって、個々の学生が最初から大学を卒業するまで就職活動なんぞは一切しなければいいというだけのことではないか。それ自体がバカみたいだと思えるようなことであるなら(思えるのだろうが)なおさらのことである。事実わたしはそういう意味での就職活動はやったことがない。やらなくてはいけないと思ったことさえない。天下晴れて東京で遊び回りたいから大学に入った(笑)のに、なんでその遊びの最中にそんなことをするのだ。いくら企業が人でなしでも「やれ」と命じているわけではなかろうに。

ずっと長いことわからなかったのがつい最近やっと少しわかった、それがこの間まで書いていた(まだ書くかもしれないけどさ)「人生のある人ない人」シリーズのきっかけになった。大学の次は就職だとああもあっさり思い込んで、しかもその通りに行動して疑問も持たないというのは、彼らが人生を持っていて、それを心の底から信仰しているからである。しかるに現状における新卒予定者の就職活動の平均的なあり方は、いい加減その信仰自体を冒瀆するの域に達しつつある、ゆえに抗議だデモだという機運(笑)が、一部学生の間にさえ生じてきたのであろう。

・・・こう書いていると「おお嫌だ嫌だ」という気分にだんだんなってくる。

だいたい何が「もっとのびのび勉強させろ」だ。そんなことをぬけぬけ言えるほどたいした勉強なんぞはしたこともないボンクラ学生が何をカマトトぶって言ってやがんだと思わないわけにはいかないことである。どうせなら「もっと好き放題遊ばせろ、いっそ育英会の金庫の鍵を寄越しやがれ、誓約書なんざケツ拭く紙にもなりゃしないぜヒャッハー」と、どうして彼らはわざわざデモを組織してみせる程度の知恵なら働くくせに、たったその程度のことさえ言ってみせられないのだ。どうせデモなどしたところで具体的に何かが変わるわけではないと半分判っているのならなおのこと、自分の口から言うことくらいはもっと正直に言ってみせたらいいじゃないか。知識とか教育とかにかかわってる奴ってのはどうしてこう、学生から教師にいたるまで、どいつもこいつもカマトトぶったどうしようもない嘘つきばかりなのだ。こいつらの体の中を流れているのは血液じゃなくウソ液だと、西原理恵子が何かのマンガの中で書いていたことがあるが、まったくそう思う。

大学生の就職活動がこんなことになっているとすると、そのうち「婚活くたばれデモ」なんていうのも出てくるのだろう。そんなに嫌ならよしゃいいじゃねえかと、そんなことさえ普通には口にできない社会になっていて、これからいよいよなるのだとすれば、さすがにこれは破防法自治体のせいだとばかりは言えない気がする、というかこうした嘘つき連中がつべこべ言いながら就職して行った先のなれの果ての典型的なひとつが現在の破防法自治体の体たらくであるのに違いないと、本音を言えばわたしはそう思っている。

こういうのは、キリスト様とかなら「その日は近づいた」とほくそ笑んで語ることだろう。
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